鄭敾は両班(ヤンバン)と呼ばれた貴族の出身で、文人画家ですが、朝鮮王国で絵画制作のための機関である図画署の画員つまり宮廷画家の経歴をもっています。韓国の絵画史を紐解くときに最高位に置かれる画家の一人です。

 

 

鄭ゼン

 

 

高麗を継いだ朝鮮王朝では、絵画制作のための機関である図画署も設けられ、そこで初期に活躍したのが、安堅(あんきょん)です。「夢遊桃源図」(天理大図書館)は、日本の国宝になっていますね。


安堅は、北宋の李正や郭煕の画風を継承した繊細な山水画風を確立します。安堅の様式は、朝鮮時代中期に至るまで強い影響をおよぼし、朝鮮絵画様式の基底をなしたんですね。


1392年(いざ国建てんと、李成桂)


16世紀になると、明の浙派画風も朝鮮に伝来し、後期の18世紀には国王の英祖や正祖の治世のもと文化が爛熟し、朝鮮の文人画を大成した、
鄭ゼン風俗画も描いた金弘道(きむほんど)などを排出しました。

 


 

金弘道

 

 

 

朝鮮時代の絵画は、室町時代以来、日本にもたらされた中国絵画として伝わる傍ら、17世紀の金明国のように朝鮮通信使に随行して来日する画家もいたんですね。

ちなみに、朝鮮の美術一般に、各時代ごとに特徴的な様式が1つだけあって、他の様式の作品は少ない。いくつかの流派が競ったりする事もなく、地方ごとに異なる特徴があるという事もない。
単一的で、多様性に欠ける事が、朝鮮の美術の特徴です。

 

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