功山寺仏殿 は、 鎌倉時代の禅宗様建築として残される数少ない建物です。

 

功山寺は当初、嘉暦2年(1327)に、虚庵玄寂を開山として臨済宗の金山長福寺として創建されました。

 

  正慶2年(1333年)には後醍醐天皇の勅願寺となり、その後、足利氏、厚東氏、大内氏などの尊敬あつく隆盛を誇ったが、 弘治3年(1557)、大内義長が毛利元就に敗れ、この地で自刃したんですね。

 

この戦乱によって一時堂宇が荒廃する。  その後、慶長7年(1602)、長府藩主毛利秀元が修営し再興、曹洞宗に転宗。  2代藩主光広が、秀元公の霊位をこの寺に安置して以来、長府毛利氏の菩提寺となり、秀元の法号、智門寺殿功山玄誉六居士にちなんで、 功山寺と改称したのですね。

 

なんといっても有名なのは、元治元年三条実美等七卿が潜居中に高杉晋作が門前で義兵の旗挙げをした維新発祥の地でもあることですね。

 

仏殿は、
元応2年(1320年)建立。
理由はわからないが創建といわれる年より古いのですね。
一重裳階付入母屋造、桧皮葺。禅宗様式。
年代のはっきりしている禅宗様建築では日本最古です。
国宝。本尊は千手観音菩薩です。

 

 

仏殿側面の格子は波状になっていますが、これは珍しいそうですよ。

 

 

 

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