白鳳時代の金銅仏の傑作といえば、
興福寺の「仏頭」
加古川の鶴林寺の「聖観音菩薩像」
深大寺の「釈迦如来像」
薬師寺の 「薬師三尊像」
などがありますが、
法隆寺の、「橘夫人稔持仏(金銅阿弥陀三尊像)」と「夢違(ゆめたがえ)観音像」も 白鳳時代の金銅仏の傑作ですね。
まず、法隆寺の、「橘夫人稔持仏(金銅阿弥陀三尊像)」
唐の新しい文化をくむ白鳳仏らしい三尊像で、中尊が阿弥陀の坐像、左右に脇侍の観音・勢至両菩薩が立つ。部分的には、一世代前の止利様飛鳥仏の形を残すが、像全体の印象はかなり異質だとのことです。
三尊を安置する厨子内は、浄土経典の無量寿経が説く阿弥陀浄土の世界を、鋳造や彫金によって具現した蓮池涌現式浄土の立体構成とされてます。
そのデザインな技法は感動もので素晴らしく、なんかアールデコっぽくもあり
ますね。
光明皇后の母である橘夫人(たちばなふじん)の念持仏(ねんじぶつとは、常
日ごろから身近において拝む仏像)と伝えられているこの像。ただ、これには
確証がないそうです。
高さ263cmとかなり大きな厨子(国宝/奈良時代)の中に入れられていま
すが三尊は像高さ60cmほどの銅造で白鳳時代末期の作とみられる、日本最
古の念持仏です。
橘夫人は聖武天皇の后、光明皇后の生母県犬飼橘三千代。
初め敏逹天皇系の美努王に嫁ぎ、葛城王(橘諸兄)らを生んで離縁。後に藤原不比等と再婚し、光明皇后となる安宿媛をもうけたのですね。
熱心な崇仏家だった橘夫人の信仰心は、娘の光明皇后にも継承された。皇后は聖武天皇とともに、仏教による国造りを推進、慈悲の心で貧窮者救済にも献身したんですね。
次に
「夢違(ゆめたがえ)観音像」
夢違観音像は仏像の種類としては「観音菩薩立像」ですが、「本来見たい夢とは違う夢=悪夢を見ても、この観音様にお祈りすれば良い夢に変えていただける」という話が江戸時代以降に広まり、現在に至ってもこの信仰が受け継がれ「夢違観音」と呼ばれています。
この像は おそらく 当時の豪族の夫人などが厨子などにしまい所有していた念持仏であったと言われているそうです。
いやー、本物、見ているはずなんだけど、全く記憶がないので、また会いに行きたいよお。