「大清帝国展」 東洋文庫

http://toyo-bunko.or.jp/museum/daichin-detail.pdf

 

を観てきました。

 

清の時代の歴史を整理するのにとてもよかったです。

 

清といえば、ロシア・ロマノフ王朝、江戸幕府と大体同時代ですね。

 

 

ロマノフ王朝 1613~1917  (ロマノミ・ロマノフ)

 

江戸幕府  1603~1868

 

清       1616~1912

 

 

今回の展示は、康熙帝、雍正帝、乾隆帝の時代がメインで、アヘン戦争後の1842の南京条約で、ほとんど展示が終わって、清の黄金の時代はそこで終了って感じでした。

 

 

まずは、

1616  ヌルハチが後金を建国するんですね。   (いろいろ、寒さ、しんしん)

 

 

 

 

 

1636 清に改称

 

1644 李自成の乱で、明が滅亡するんですね。

 

<康熙帝>

 

1661 康熙帝即位   (昔々の康熙帝)

 

 

1683 台湾の鄭成功、清に帰属  (むやみな抵抗、止めタイワン)

 

鄭成功の台湾が帰属し、康熙帝によって旧明領の平定が実現するんですね。

この鄭成功が、人形浄瑠璃で人気になった、国姓爺ですね。それを小説にしたのが、近松門左衛門です。

 

 

 

 

 

 

 

 

台湾が帰属し、南が落ち着くと、北方の脅威、黒竜江の方に向かうんですね。

 

1689 ネルチンスク条約   (色はくろき、ネルチンスク)

 

ネルチンスク条約で、清朝とロシアとの境界が確定し、ロシア勢力を封じたんですね。

このネルチンスク条約が、中国がヨーロッパの一国と結んだ初めての国際条約と言われていました。(近年別の考えがある)

 

 

 

 

 

<雍正帝>

 

 

 

 

1722 雍正帝即位   (避難ブーブー、止ーせー帝)

 

1727年 キャフタ条約  (夏ならキャンプだ、シベリアだ)

 

これで、シベリア、外蒙古の国境が画定するんですね。

 

 

<乾隆帝>

 

1735~1795 乾隆帝  (人並越えて、泣く子も黙る乾隆帝)

 

漢人よりも、圧倒的に人口の少ない満州人が軍事的に優位を保つように工夫したんですね。

 

 

 

 

 

これだけ広い地域を領土にすると、乾隆帝は色々な顔を合わせ持つことになるんですね。

 

清= 1、中国伝統王朝の継承者の顔

    2、草原の大ハーンとしての顔

    3、チベット仏教の施主としての顔

 

 

 

なんと、清朝皇帝は、チベット仏教の最高施主であり、文殊菩薩の化身ともなったんですね。

 

また乾隆帝は、中国古来の膨大な資料集「四庫全書」を作らせたり、

北宋の徽宗皇帝に倣い、古銅器の図録、「西清古鑑」を作らせたりしたんですね。

 

 

 

 

 

 

 

1757 外国貿易を広州一湾に制限  (非難こないか、公行(こほん)貿易)

 

だんだん調子にのってきたのか、産業革命で綿工業の大量生産が出来るようになったイギリス中心の貿易に制限していくんですね。

 

さて、そして、今回の展覧会で、僕が一番のメインと感じたのがこれ。

 

1793 英使・マカートニー、北京に貿易制限撤廃要求  (無くさんとした公行(こほん)制)

 

清の貿易制限撤廃を求め、紳士的な態度でイギリスのマカートニーがやってきたが、それに対して、乾隆帝は、偉そうな態度で接し、要求をのまなかったんですよね。

 

これが歴史の大きな転換点と感じました。

イギリスに対して、偉そうな態度で接した晩年の乾隆帝。しかし、それが大きなしっぺ返しとなり、アヘン戦争、アロー戦争を招き、諸外国に清はズタズタにされてしまうんですね。

 

晩年の乾隆帝はかなりおかしくなっていたのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

イギリスでは、茶の需要が急増し、イギリスは綿の輸出では、中国ではあまり売れず、貿易赤字が大問題となって、その赤字解消のため、アヘンを清に輸出するようになるんですね。

あーあ、これが大清帝国が没落する転換点ですね。

 

もしこのとき、乾隆帝が、イギリスの立場も考えて、イギリスにもメリットのあるような関係を作っていたら・・・、アヘンで国をダメにすることはなかったかもしれませんね。

 

もう一度、この絵、じっくり教訓として学びたいです。

 

 

 

 

 

 

1840~42  アヘン戦争  (恥を、世に出す、アヘン戦争)

 

 

 

 

 

1842  南京条約

 

この屈辱の南京条約で、中国が、初めて外国に対し、自国が不利となる条約を結ぶことになるんですね。

 

南京条約の内容は実にヒドいもの。

「まずは賠償金2100万ドルと香港をよこせ! 港を5ヶ所を開放しろ!」というもの。

 

しかも翌年にはさらに「ウチの国民がお前んとこで犯罪やっちまっても勝手に裁くなよ!ウチをVIP扱いしろよな!」などなどの条件が追加されます。


既に負けた清が逆らえるはずもなく、この横暴な不平等条約を飲むしかありません。

 

しかもこれを見たアメリカとフランスも「同じ欧米人なんだから、オレたちにも同じことを認めるのが当たり前だよね」という滅茶苦茶な理由で同じ内容の条約を迫ってくるんですね。

 

この後も度重なる反乱などにより清は弱体化し続け、他国にあちこち切り取られていってしまいます。
アヘン戦争は清がボロボロになるだけでなく、欧米列強がアジアに足がかりを作るきっかけになった戦争でもあり、これが、幕末日本で、大きな恐怖となるんですね。

 

 

 

 

 

はい、今回の展覧会は、大体このあたりで終わりです。その後の悲惨な清の最後はカットです。ま、なくていいですね。

 

 

1851~64 洪秀全挙兵→太平天国の乱  (GOD、論じた、洪秀全)

 

 

1856~60 アロー戦争  (ごろつきどもが、群れてくる)

 

1862   同治中興   (止むに止まれず、同治中興)

 

       李鴻章らの洋務運動。対外和親と西洋文明導入

 

1894 日清戦争

 

1899 義和団事件

 

1911 辛亥革命

 

1912 中華民国成立。清滅亡。

 

 

ああ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

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