映画 「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」
を観ました。
ロダンは、近代彫刻の父であることに全く異存はないのですが、どうにも自分勝手で、
人間的にはどうかなって思っていましたが、
この作品を観て、さらに人間的には嫌いになりました。
とはいえ、多分この作品でも、相当ロダンを美化しているように思えます。カミーユ目線の映画作品もあるようですが、それは見ていませんが、それを観たら、もっと人間的にはロダンを嫌いになるかもですね。
この作品を観て、
ジャイアント馬場さんの
「立派なプロレスラーである前に、立派な社会人でなければならない」
という言葉を思い出しました。
立派な政治家である前に、立派な芸能人である前に、立派な弁護士である前に、立派なもんじゃ屋である前に、
そう、立派な社会人でなければならない。僕はそれは前提条件だと思います。
逆に言うと、多少芸術性においては、劣っていても、社会人として立派な方の方が僕は立派だと思います。
日展の色んな先生方にあって、どの方も、人間として、社会人としてあくまで第一印象ですが、凄く立派だと感じるんです。
で、立派な方だと感じる方の作品を観ると、よりその作品が優れて感じられるんです。
僕はカラバッジョのように、芸術性は疑いもなく高くても、人間としてダメだったら、やっぱり前提条件が整っていないという点で、失格だと思うのです。
会田誠もそう。どんなに立派な作品残しても、やっぱり僕はダメだと思います。
まー、ただ、ダメな人間だったからこそ、こうやって、映画にもなったんだろうなー。
題材としては凄いよね。
なんか、ロダンに対して、ひどいこと言っているみたいですが、作品は凄いですし、好きです。
そんなもんです。
ロダン作品は、とっくにロダンを超えていると僕は思います。
猪木さんの名勝負が、猪木さんをはるかに超えているように。