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ヨハン・フリードリヒ・オーファーベック(1789~1869年)はナザレ派(愛国的・宗教的な画家たち)のドイツ人画家です。

ナザレ派は、19世紀初頭のドイツロマン派の画家たちによる、キリスト教美術の誠実性と精神性を取り戻そうとする芸術運動ですね。

ルネッサンス前半以前への回帰を目指していたと思われる作品が多く残っています。


オーファーベックは、ダヴィットの孫弟子に当たります。
ネサンス初期の宗教画やフレスコ画に傾倒して、アカデミーの方針とは違っていました。4年生の時(1810年)学生仲間の一団とともに、アカデミーから放逐されました。

そしてナザレ派を結成するんですね。

ナザレ派は1800年代初頭にドイツで発生した絵画運動です。ナザレ派は中世こそ文化の黄金期であるとして、騎士道精神やキリスト教信仰を道徳の中心に置き、集団生活をしながら工房や修道院での共同による作品の制作を目指しましたんですね。


ナザレ派は、「反アカデミズム」を標榜した美術史上はじめての絵画運動であると言われています。


当時の芸術は、フランスを中心に調和と形式を重んじる新古典主義から個人の感情の発露を大切にするロマン主義へと移行していきました。


 ドイツ語圏でもこの流れは変わらず、1776年から感情は理性を凌駕するとする「シュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)」の時代が到来し、古典主義からロマン主義へと移行していきます。

 さらに、1806年のナポレオンのドイツ諸国への侵攻は、フランス文化の否定とドイツ・ナショナリズムの高揚を引き起こしました。

 この結果、ドイツ圏の人々は、古代ローマやギリシャを規範とする古典やフランスの後追いをする芸術ではなく、自分たち独自の芸術を模索するようになり、そこで出現したのが古のドイツへの回帰思想だったのですね。



1809年、ウィーンで6人の美術アカデミーの学生が「聖ルカ兄弟団(ルーカスブリューダ)」を結成しました。


フランツ・プフォール(Franz Pfoll)
 ヨハン・フリードリヒ・オーヴァーベック(Johann Freidrich Overbeck)
 ルートヴィッヒ・フォーゲル(Ludwig Voger)
 ヨハン・コンラート・ホッティンガー(Johann Konrad Hottinger)

 ヨゼフ・ヴィンターゲルスト(Josef Wintergerst)
 ヨゼフ・ヨハン・ズッター(Joseph Johann Sutter)


「聖ルカ兄弟団」のメンバーは、芸術は技巧ではなく真なるものであり、それを描くためには良心や道徳など人間としての美徳が必要であると考え、宗教改革以前のドイツを理想としました。

この辺りは好感が持てますね。
このナザレ派は、ラファエル前派に多大な影響を与えたといいますが、果たしてラファエル前派の人たちが、そのナザレ派の人間としての美徳までしっかり学んだかかどうかは・・・・。

ナザレ派は髪を伸ばし、大きなベレー帽をかぶって黒いマントを身につけ、修道院で質素な共同生活を送りました。
 ローマの人々はそんな彼らを揶揄して「ナザレ派」と呼んだんですね。

ナザレ派は、中世の工房システム、つまり、マイスターと弟子たちによる共同作業での絵画制作を理想としていました。


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