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「ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ」展  パナソニック汐留ミ
ュージアム



に行ってきました。

以前、このパナソニック汐留ミュージアムで、ルオーの作品見たときにも書き
ましたが、


僕は、ジョルジュ・ルオー(1871~1958)の描くキリストに、「男はつらいよ」の寅さんの姿を見るんです。


「寅さんって本当にいい人ね。」


ルオーのキリストの絵画を見ていると、なんか救われるというか、「辛いのは自分だけじゃない」っていうような楽な気持ちになる気がします。

僕はキリスト教徒ではないけど、でも、ルオーの描くキリストに、寅さんに似た存在を感じるからだと思います。


自分の身近に、一番苦しく理不尽な思いをしているのに、それに対して文句ひとつ言わず、笑いとばし、また他人の苦しみすらも、喜んで自分が引き受けてくれるような存在がもしいたら、・・・それって凄く救われる気持ちになるんじゃないでしょうか?


偉そうに説教を垂れるのではなく、積極的に理不尽な境遇と戦おうというので
もなく、ただ、ひたむきに、他人の不幸までも背負ってしまうような、なんか
そんな存在、

寅さんみたいな人が、身近にいたら、凄く気持ちが楽になると思うし、僕は、
ルオーの描くキリストにそんな存在を感じるんです。



で、今日も凄く感じたのは、ルオーのキリストって、なんか道祖神みたいなところがあって、特に何を言うのでも、特に何をするのでもないのだけど、ただ、そこに第三者としているだけで、場が荒れないというか、争いになりにくくなる、そんな存在みたいだなってことです。

1対1の二者関係って、ぶつかるとなかなか修復が難しいし、出口が見つけに
くい。

あらゆる交渉事も、当事者の二者の他に、特に何もしなくても、間に入る第三
者がいると、結構うまく行ったりする。

母親と息子の二者関係でも、二者だけだと、ギスギスして逃げ道なかったりす
るけど、そこにおばあちゃんが第三者としていたりすると、意外とうまく行っ
たりする。


先生と生徒の二者関係でも、その閉じた中では難しい関係になることがあって
も、そこに、PTAの人とか、町会の人とかが、第三者として入ると、うまく
まとまったりする。


人間関係って、二者関係だと難しい部分も、三者関係にすると、わりとすんな
り運ぶことってよくある。


薩長の二者関係だったら、まず同盟なんて考えられなかったけど、そこに坂本
龍馬が間に入って、奇跡のような薩長同盟もなしえることが出来た。


僕は、ルオーの描くキリストの絵って、会社などの会議室などに飾ると、二者
関係で対立しがちなところに、うまく、道祖神のように、見守ってくれて、争
いを未然に防ぎ、穏やかな気持ちにさせてくれて、争いごとが起きにくくする
効果があるように思えます。

クッション役になってくれる。


今回の展覧会も素晴らしく、特に第4章の聖書の風景のコーナーは、まさに、
「男はつらいよ傑作場面集」って感じで、もう僕の頭の中では、「男はつらい
よ」のテーマ曲が鳴りっぱなしでした。



大好きな
83「秋の夜景」 (1952)

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はやっぱり今回もしびれて、まさに「男はつらいよ」のエンディングシーンを
感じたし、


39 「ヴェロニカ」(1945)

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も良かったねー。終戦の年にこんな作品を描いていたんだねー。

聖女ヴェロニカとは、キリストが十字架を背負いゴルゴダの丘に向かう途中、
キリストに布を差し出し、汗をぬぐったというお方だそうです。その汗を拭っ
た布にキリストの顔の後がのこり、それを、「聖顔布(せいがいふ)」という
そうです。



そして、
42 「サラ」 (1956)

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ルオーの最後に描いた作品の一つとされるもので、いやー、画像だとわからな
いけど、マチエールが凄すぎる!!彫刻のよう、仏像のよう!


しびれます。



ところで、ルオーの作品は、マチエールが強くて、一見自己主張が強いような気がしますが、ほとんど自己主張を感じない。
むしろ、自分を犠牲にしてまでも、世の中の人たちを救いたいっていう、優しい気持ちが溢れているような感じがします。

ルオーのマチエールには、自己主張ではなく、苦しんでいる人たちを優しく、深い寛容力で包み込む愛の深さを感じます。


凄く優しく、穏やかな気持ちにさせてくれる、展覧会でした。


あー、またジョルジュ・ルオー、より好きになりました。

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