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「東山魁夷展」 東京富士美術館


に行ってきました。


東京富士美術館、ようやく、ようやく初めて行くことができました。

今回の東山魁夷展は、長野信濃美術館 東山魁夷館所蔵品によるものですが、いやー素晴らしかったです。

東山魁夷が人物を描くという、初めてみた自画像や、

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東京美術学校日本画科時代の、しっかり日本画も凄かったことを証明する、
「牡丹図」

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また、名作「道」が完成するまでのスケッチやタペストリーもとてもよかったです。


でも本当に良かったのは、白馬が登場するシリーズと、晩年の絶筆に至るまでの作品群に圧倒されました。


白馬が登場する、
「緑響く」 (1982)

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いやーまさしく釘付けとなりました。

白馬がいることで、風景画が、風景画以上のものになっていると思いました。

白い馬は、東山魁夷の祈りということですが、

僕には、人間がこの世に、魂の修行のため生れ落ちてきて、この世で目指すべき、不動心の象徴のように感じました。

人は、なぜこの世で、辛い思いをしたり、悲しくて仕方がない思いをするのか?

ぼくはそれは、ちょっとやちょっとのことでは、どんな辛いことがあっても、理不尽なことがあっても、悲しくて仕方がないことがあっても、揺るぎない、不動心、泰然自若とした確固たる魂に到達するためだと思います。

人って、悲しまないようになるには、辛い思いをしなくなるようには、逆に沢山、悲しい思い、辛い思いをしなければならないのだと思います。

沢山沢山辛い思い、悲しい思いをして、やっと、不動心、泰然自若に至るものなんだと思います。

でも・・・悲しいかな、その境地に近づいたころには、肉体は衰えて、やがてこの世から去ってしまう。

・・・でも自然は違う。

どんなに厳しい季節を経てこようが、台風や、自然災害に見舞われようが、自然は、泰然自若とした不動心を持っている。
そしてそれはずっと繰り返される。


「夕静寂」

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僕は、東山魁夷は、風景画家といわれていますが、
「不動心を持った、自然を描き、また人間がその不動心を得るまでの道しるべを描いている画家」だと感じました。

白馬はその、不動心への道しるべの象徴。


そんな人間がこの世に生まれてきて、この世で目指すべき不動心への道しるべを描き続けてきた、東山魁夷も、自分自身が、どんどん泰然自若に近づいていく。

そんな晩年の作品群の中で、僕が一番感動したのが、これ。

「行く秋」 (1990)


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行く秋。

それは寂しいどころか、人生の最高に極まった円熟の輝きを見せている。

この作品、僕には、人間の60歳代の姿に感じたのですが、

この作品こそ、50代の僕が今目標にすべき、自分自身の60歳代になった時のイメージです。

こんな風に円熟味を光り輝かせた60歳代になりたい。

若いころを懐かしむではない。若くないことを悔やむのではない。
むしろ、60歳代から見れば、50歳代の僕はまだ未熟。

この50代にしっかり自分により磨きをかけて、こんな輝ける60歳代になりたい!

金粉を散りばめたこの作品、あー、こんな自分自身の「行く秋」を迎えてやるぞという、希望が湧いてきました。

行く秋をこれだけ金粉で輝かせているのは、もちろん、長年身に着けてきた経験であり、叡智であり、教養であり、人間としての器の大きさでしょう。

長い年月努力し続けてきてようやく光を放つ輝きでしょう。

この作品のような60歳代を迎えられるように、今の日々をしっかり頑張ろうと希望が湧いてきました。

いやー、素晴らしい作品で感動しました。


アート鑑賞に夢中だっていう話を知り合いとかにすると、「自分でも作品作りたくならないの?」とかよく言われるんですが、

僕は、絵とか自分で描きたいとかは思わない。
でも、自分自身の心がキャンバスで、自分自身の心を、自分自身の最高傑作として、美しく輝く作品に仕上げていきたいとは思っている。

まさにそのために、アート鑑賞に夢中になっているのかもしれない。

「行く秋」は、そんな僕にとって、最高のお手本、道しるべとなりました。


さてさて、
東山魁夷の晩年の素晴らしい作品群。

これもよかった。
「木枯らし舞う」 (1997)

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まさに大団円。壮大な映画のフィナーレのよう。


そしてそして、なんと!東山魁夷の絶筆があるんですね。

しかもそれがめちゃめちゃいい!!

それが、
「夕星」 (1999)

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この作品は、ついに烙印を入れることはなかったということですが、僕には、この星が、東山魁夷本人で、この星がこの作品の烙印だと感じました。

星は東山魁夷自身で、死んで星となっても、天からいつも地上を照らしているぜっていう、まさに目指していた自然と一体となった不動心を獲得した姿のように思えました。

僕は、飲食店をしながら、いつも思っているのは、

「いっとき流行って輝く花火のような店ではなく、普段は忘れていても、街の中で、いつも静かながらも、目立たないながらも輝き続ける星のような店になりたい」

ってことです。

そして、店もいつかは閉店する。

東山魁夷の作品が、東山魁夷が亡くなってからも、ずっと人々の心の中に生き続け、このような展覧会に沢山の人が集まり、沢山の人の心の中で輝き続けるように、

わらべも、閉店する日が来ても、そのあとも、お客様の心の、いい思い出として残り続けて行けるような店にしたいってずっと思っていました。

「行く秋」が、自分自身の今後の人生の理想、道しるべなら、

この「夕星」は、わらべというお店の、今後も目指していく姿のように感じました。


最後は星になって、描き続けた泰然自若とした自然を照らし続けている東山魁夷。

今回の展覧会でも、僕らに沢山の感動という輝きを与えてくださいました。

最高でした!!