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「聖地巡礼」 内田樹×釈徹宗

を読みました。



今回は、大阪・上町台地、京都・蓮台野と鳥辺野、奈良・飛鳥地方

を歩きながら色んなお話をされる。

とても面白かったです。

こうゆう企画はいいですね。ただ、関西方面には地理的に疎い面があるので、
出来るなら関東でもやってほしいし、出雲とか、伊勢とか熊野とかでもやって
ほしいなー。



@神社というのはどんどん習合していくのです。そして、「勧請」といって、人気の神様を分けてもらって人を集める。つまり神も人も、あらゆるものが集うコネクタが神社なんです。


そこを僕も理解できてなかったので、神社に行くと、なんで色んな神様がいた
りするんだろうと不思議に思ってました。



@鬼というのは疱瘡の象徴で、病気にかかった時の赤い顔。それで亡くなった人たちが流れ着いた場所が天満宮。祇園祭も天神祭も夏祭りで、夏祭りは基本的に疫病を流す祭りです。一方秋祭りは農村の祭りです。夏祭りは都市の祭り。今は都市であっても秋祭りがあるところはかつて完全な農村だった。

なるほど。



@古代の日本語では異界との境界を表す言葉は「サッ」という音を含んだそうです。「境」も「坂」も「崎」も「岬」もみんなその音を含んでいる。海と陸が交わる場所が、同時に異界と交流できる特権的なトポス。

@海民というのは中央政府にまつろわない人たちであって、そうだとすると、網野史観によれば天皇とダイレクトに繋がってる形でコントロールされていた。遊行の民、ノマドは伝統的に天皇の保護を受ける形で存在している。



@平氏と源氏の争いって、海民と騎馬民族の間で行われた覇権闘争じゃないかと思う。海民は発生的に平氏と同族。陸には白旗、沖には赤旗。この海と陸の図式的な対立が源平合戦の基本構図。

おー、なるほどそうかそうか。


@大阪城内には豊国神社がある。これは豊臣秀吉を祀ってるのだが、かつて豊国大明神として神格化したんだけど、徳川家康がのちに神格をはく奪した。


@東照宮権現の「権」というのは「テンポラリー」という意味。一時的なもの。「仮」という意味。「権現」は、神性が現実世界に便宜的に顕現したものということ。


@大阪はほとんどが湿地帯とか海とかだったので、いろんなものが流れてくる。大和から流れてくる。京都から流れてくる。海側から渡来系が流れてくる。吹き溜まりみたいな状態でしたから、あまり秩序だったような土地になっていない。

@もともと天神はスクナヒコナと習合していたのに、いつのまにか菅原道真がとってかわった。スクナヒコナは、オオクニヌシと一緒に国造りをする神で、オオクニヌシはオオナムチとも呼ばれてすごく大きいのですが、スクナヒコナは凄く小さい神。スクナヒコナをいまでもちゃんと祀ってるのは、京都・五条天神社です。あそこの近くで義経と弁慶が闘うのは、スクナヒコナとオオナムチのイメージだと言われています。


へーそうだったんだ。


@子供は「お帰り」っていってもらえる場所があるから遊ぶのが楽しい。無条件で「お帰り」って抱いてもらえる世界がなければ、苦難の道を生き抜くことは難しい。


全く同感です。



@閻魔天は人類で初めて死んだ人とされて、死の世界のリーダーになったので、それを祀っている。地獄の裁判官のイメージ。異界の人が、人間世界の方を向いて、怖い顔をして、「こっち来るなよ」と警告している。


@人間は繋がっているから生きていると実感する。なにかと繋がっていると実感した時に、明日も生きようと思う。


はい。



@怒りや恨みは、坂を転がるみたいにどんどんと連鎖してきます。それを転換しなければならない。聖地は「そこに身を置くこと」で転換できる装置です。


@飛鳥の橘寺は能発祥の地という説もある。あそこで翁を舞ったのが最初の能ではないかという説がある。聖徳太子が倒した物部守屋を鎮魂するために、守屋を翁にみたてて舞わせたといいます。


@結界ってスクリーニング機能なんです。神社、お寺、学校も、だいたい門とか鳥居とかがある。あれが霊的バリアーとして働いている。ある種の人はそこをうまく通り抜けられないから、結界はそこを通り抜ける時に、今の自分とは別のものにならないと通り抜けさせてもらえない。それが嫌だという人は結界の中に入れない。俺は俺のままでいたいという人は、結界を超えることはできない。

@三輪山の神様は大物主です。大物主はそもそもこの大和の土地神様です。

@神様はなんでやってくるのか、それは非日常をもたらすためです。非日常がやってこないと、日常の喜びが輝かなくなる。つまり、非日常によってもう一度、日常がクリエイトされる。