
「身体で考える。」 内田樹、成瀬雅春
という対談を読みました。
ヨーガの成瀬先生、いやーめちゃめちゃ面白かったです。
二回にわたって少し紹介します。
@「後悔ととりこし苦労は絶対にしてはいけない」というのは武道の基本。
@未来のイメージというのは、凄く吸引力がある。危機的なときこそ、取り越し苦労は自制して、無理やりにでも、物事を楽観的に見ることが大切。
これは学びたいところですね。
絶対に取り越し苦労はしてはいけないって自分に縛りをかけるっていいですね。
取り越し苦労する人って、自分で不幸を引き寄せてしまう。
なんでも、無理矢理でも物事を楽観的に見ていると、楽観的なものごとを引
き寄せますからね。
これは常に意識しておきたいです。
@瞑想中に悪魔が出てきたら、その悪魔をしっかり見据えないとダメ。取り殺されそうになったら、「じゃあ、取り殺してごらんなさい」と言わないとダメ。瞑想の中で悪魔がでてきたからといって、実際に殺されることなんてありえません。「どうぞ殺してみてください」とむしろ言った方がいいのです。すると、そうゆうものは大抵消えてしまいます。
@なぜ幽霊がでるかといば、見て怖がる人がいるからなんです。怖がらなければ、幽霊は逃げていきますから。幽霊は寂しがり屋。見てほしい、聞いてほしいというのがある。「どうしたの?」って言うと、ホッと和むんです。
死の恐怖、地震に対する恐怖、なんでもそうだけど、それを怖がっているから、面白がって、低級な霊とかがわざともっと怖がらせてやろうとするんだろうね。天変地異も同じだと思う。
地震も、怖い怖いとあおればあおるほど、怖がる人が増えれば増えるほど、
面白がってもっと怖がらせてやろうって低級な霊とか思うかもしれない。
一番大切なのは、一番備えなければいけないのは、心の備えなんだよね。何があっても動じないぞというどっしりとした心のありようなんだよね。
その不動心を持てば、怖がらせようとしても面白くないから、そうゆう事態
から遠ざかると思うな。
@論語のなかの、「服喪三年」と言う話。3年といっても、実際は三回忌と同じで、丸二年のことなんです。とにかく親が死んだら、二年は服喪せよと。
どうして二年かというと、子供の時、自分が両親の手から離れるまでに二年ぐらいは扶養してもらっているからなんです。だから、両親が自分の手から離れた後の二年間くらいは今度は親を供養したらどうかねという理屈なんです。
へー。
@自分のやったことのないことは、絶対に面白い。
あー今、【第一回練馬JAZZ祭】の準備めちゃめちゃ楽しんでます。
もちろん分からないことばかりだし、なにしていいかわからない。だからこ
そ面白いなって思う。
散歩でも、旅でも、初めて行く知らないところはより楽しいように、人生も
知らないことやったことのないことをやるのは本当に面白いね。
@いかにして自分が持っている「生きる力」と「知恵」を高めていき、楽しい人生を送るのか。それが武道修行の目的だと僕は思っています。
@身体運用の要諦は、使える限りのあらゆる身体資質を総動員して、それを複雑に連接させた総合的な使い方をするということのはずです。
@武道の場合は、「いきなり始める」というのが基本なのです。いきなりゼロから最大出力になるのが武道的な身体運用なんです。
@武道家は、道場に入った瞬間に、体感が一変しないといけないんです。道場の外と内の間の線を越えた瞬間に、パンとスイッチが入って、武道モードに切り替わる。それができないと、武道の稽古にはならないんです。
面白いなー。自分はいかに生きるか、勉強になります。
@すり足とは、「その場を領するざわめきのようなもの」にまるごと身を委ねるための歩行法じゃないかという気がするのです。そうゆう歩行法は、主体とか自我というものを重視するヨーロッパではまず成立しないんじゃないかな。
うーん、凄い!
まるごと身を委ねるか・・・。いかにして自我をなくしていくか、生き方に
も通じるなー。
凄いなー。
@「歩いているときは、センサーの感度が一番敏感になっている」ということをおっしゃってましたが、それは歩くとき人間が一番不安定だから。あえて「変なこと」をしているわけですから、ある限りの身体資源を全部動員しないと、「うまく歩けない」んですよ。
あらゆる状況にアンテナをたてないといけないね。
歩くことは基本的な修行かもしれませんね。
@運動の精度というのは、じつは自由な粒子の数で決まるらしい。
どんな身体操作でも、精度の高い動きをしようとしたら「リラックスしろ」と言いますよね。
体術の場合でも同じで、精密な運動をしようと思ったら、リラックスして、身体の自由度を上げた方がいい。どこにもこわばりや詰まりがないほうが、運動精度は上がる。それは要するに「自由に運動している粒子の絶対数をふやす」ということじゃないかな。
飲食店でも、肩に力が入ってる店ってちょっとつかれるよね。自由度が足り
ない。
わらべは、力抜きすぎって感じもあるけどね(笑)
@競争と言うのが、まさに上達の妨げになっていると僕は思う。
他の条件を一緒にしておいて、個別的な能力を数値的に競う競争では、その試合で1位になった時点で全部が終わってしまう。ふつうは勝って奢り、負けていじけるだけなんです。競争というのは、人間の潜在能力を開花させるためには、非常に不利なシステムだと思う。
せっかく素晴らしい素質に恵まれながら、若い時期に同世代のトップに立ったせいで、それから何をしていいか分からなくなった人って、本当にあとがきついんです。競争は百害あって、五利くらいしかない。
自分のパフォーマンスをいかに高めるか、自我をなくし宇宙に同化していく
修行に勝ち負けもないし、これで終わりってものもないしね。
武道って、つくづく、宗教や、スピリチャルや、哲学などで言われているこ
とと同じだよなー。
@「僕程度の人間は、とても専門家として武道家になれません。」という人がよくいます。謙遜しているのか、自信がないのか、よくわからない。君はそれでいいかもしれないけれども、後の人たちがいるんだから、そこは多少無理しないと。先行世代の仕事は、後から来る世代のために、階段を作ってあげる。つり橋かけてあげるということでしょう。一人が無理してやっておけば、後の人が楽になる。
「凡庸な能力の人間でも、ここまでなら行ける」ということを示すのも、後世への大切な贈り物だと思います。
自分で終わりではない。次につなげないといけない。
犠牲バントでもいい。とにかく次に繋げるために自分には何が出来るのか。
自分のつまらないプライドなんかではなく、大きな考えで、遠慮せず僕もし
っかり生きていきます。
【第一回練馬JAZZ祭】。もちろん僕がやるのでは力不足だと十分に承知
しています。
でも他に本気で取り組み人が少ないなら、俺も微力ながら力を出す。
それが次に繋がると信じてますから。
最初のゼロからイチへの取り組みなくして、第二回、第三回はないからね。
頑張るぞ。
この本の紹介、もう一回続きます。凄い面白いでしょ?
