
日本経済、なかなか良くなってる気がしませんね。
経済的な豊かさだけでなく、心の豊かさも、取り戻せていないようです。
経済的に豊かでなくても、「男はつらいよ」や「三丁目の夕日」のような、
心の豊かさが感じられればいいのですが、
核家族化から、無縁社会に進み、人々がバラバラな中での弱者の脅し、大衆の反逆が止まらなくなってる気がします。
元気も、明るさも失いつつある中、ヨーロッパの経済破たんなど、世界経済
はさらに悪化することが予想されています。
さて、そんな世の中で子供を育ていていく中、子供たちにどんなことを教え
ていかなくてはいけないんでしょうね?
これからますます教育の重要性は増してくると思います。
戦前は日本の教育には、富国強兵といったような目的意識がありました。
戦後その教育の目的意識が薄れ、いつのまにか、受験とか就職とかが教育の目的のようにされてしまいました。
今後いくら勉強しても、就職できない子は増えるでしょう。
そんなときにいつまでも大人が、
「勉強しないと就職できないぞ」なんて言っていても、
「バカ言え、勉強しても就職出来ない奴いくらでもいるじゃないか」
って言われてしまいますね。
就職難、
もう、黙ってればだれかが手を差し伸べてくれる時代は終わりだってことを
自覚しないといけないかもしれません。
受験に成功すれば、就職出来れば、人生うまくいったなんて時代ではもうないと思います。
学校にいって会社に入れば、弱者救済のようにみんななんとか食っていけるような時代ではない。
まともに学校を出て、就職出来るのは、これからは、10人のうちの、1人
か2人だっていう時代に確実になると思います。
でもそれって、長い人類の歴史の中ではそっちの方が当たり前だったんじゃないかって感じます。
また国全体も、全体の一割のエリートをしっかり育てる環境を整えないとい
けないと思います。
飲食店の世界なんてとっくに、新規開店の店で生き残れるのは一店か二店だっていう時代になってますしね。
10人が10人、同じように平等に救われる時代は去った。
これからは、たった一人か二人のエリートをしっかり育てる時代になった。
そしてその一人か二人のエリートを育てることによって、あとの8人9人の
面倒を、そのエリートがみるようにしていかないといけないのではって思い
ます。
この大変化を国、社会、行政はしっかり自覚しないといけないと思います。
さて、ではこのような大変化の中、個々の子供たちは意識をどう変化させないといけないでしょうか?
僕は、これからは、黙っていれば、どこかの学校や会社などの組織に属していれば救われる時代ではない、
これからは、
「自ら師を求めていく時代」だと思います。
以前にも書きましたが、
自分自身の力で食っていける人間にならなければいけない中、でもそれはすぐには無理。であれば、まず現在自分自身の力で食っていけている人間にいかに好かれて、師と仰ぎ、敬意を持って接し、愛され、仲良くしてもらえる人間になるべきだと思ってるんです。
そのために、誰が正しいのか、誰を師とすべきなのかを、きちんと見分ける
目を持たなければいけない。
僕は、その目を持つために、勉強をしないといけないと思ってます。
勉強の目的は何だと言われた時、
「自分が誰を師とすべきなのかを見分ける目を身に付けるため」
といった、明確な目的意識を持つのがいいのではって思うのですが、いかがでしょうか?
今言ったことと全く矛盾したことを言うようですが、実は、どれだけ勉強し
たって、誰を師とすべきかなんて僕は分かるようにはならないものだと思い
ます。
大切なのは、師を持つこと。そして、いい師と出会うために勉強して努力す
ることだと思うのです。そうゆうところに勉強する目的を置くってのもひと
つの戦略だと思うのです。
だって、いい師の明確な基準なんてないし、実は、すぐとなりにいる人を、
明日から「師」だと思えば、もう「師」になってしまうものでしょうからね。
@師弟関係では、弟子にはこれから就いて学ぶべき師を正しく選択したかどうかについては挙証が求められません。弟子に師を適正に格付け出来る能力があらかじめ備わっているはずがないと考えるからです。だから、誰を師としてもよい。そのような乱暴なことが言いきれるのは、一つには、師が何も教えてくれなくても、ひとたび、「学び」のメカニズムが起動すれば、弟子の眼には師の一挙手一投足のすべてが、「叡智の徴(しるし)」として映るということです。そのとき、師とともに過ごす全時間が弟子にとってはエンドレスの学びの時間になる。(内田樹「日本辺境論」)
うんうん、誰かを師として定め、その誰かから学ぼうと必死になることが重
要なんですよね。
僕はそれが、今の日本の教育に欠けてる部分だと思います。でもこれからはここが重要になってくると思います。
@(たとえば、師が兵法極意を伝える気なんかまるでなかった時でも、弟子に学ぶ気持ちがあれば、極意を会得することが出来る)
弟子はどんな師に就いても、そこから学びを起動させることが出来る。
仮に師が全く無内容で、無知で、不道徳な人物であっても、その人を、「師」と思い定めて、衷心から使えれば、自学自習のメカニズムは発動する。(内田樹「日本辺境論」)
@弟子は師が教えたつもりのないことを学ぶことが出来る。これが学びのダイナミズムの玄妙なところです。(内田樹「日本辺境論」)
まさにその通りだと思います。
それだけに、自ら師を求めようとするか、求めようとしないで誰かが何かを
与えてくれるだろうと待っているかでは、大きな差になると思うのです。
これからは、自ら師を求める奴が唯一生き残っていくような気がしています。
@師から伝統を継承し、自分の弟子にそれを伝授する。師の仕事というのは極論すると、それだけなんです。「先人から受け取って、後代に手渡す」だけで、誰でも師として機能し得る。僕はそう考えます。
教育者に必要なのは、ただひとつでいい、「師を持っている」ということだけでいい。(内田樹)
無縁社会、孤立社会、・・・そんな中で生き残っていくには、縦の関係性の
大切さを意識し重要視した奴なんだと思う。
継承する、伝達する、日本人としての大きな歴史的輪の中で、自分もその一員としてつなぐという意識って持ってる奴は強いって思うな。
だってその意識が薄れてしまってるところに問題があるのだし、その意識が薄いのなら、それを持ってる奴は無敵だって思うしね。
これからは、「みんながやるから俺もやる」っていう発想の奴は生き残れな
い。「みんながやらないから、俺がやる」っていう発想の奴が生き残れるん
じゃないかな?
@兵法奥儀とは、「あなたはそうすることによって私に何を伝えようとしているのか」と師に問うことそれ自体であった。
「何を」学ぶかということは二次的な重要性しかない。重要なのは「学び方」を学ぶことです。
師が弟子に教えるのは、「コンテンツ」ではなくて、「マナー」だということです。(内田樹「日本辺境論」)
難しい話でもなんでもない。
これからの時代に生き残っていくために、若者たちにアドバイスするとすれ
ば、簡単なこと。
まず自ら師を求めよ。
そして、
「三尺下がって、師の影を踏まず」
(弟子が師につき従う時、三尺離れて影も踏まないようにするということ。弟子は師匠を敬い、礼儀を忘れてはならないという戒め。)
この気持ちを持ちなさいってことだね。
日本社会全体に、この気持ちが薄れてしまっている。
でもだからこそ、チャンスがあるんだよね。
ビッグチャンス!!
かっこ悪いことでもなんでもない。逆にそれが出来てる奴は周りからうらや
ましがられるぞ。
明るく元気に、この厳しい時代を楽しんで生きていこうよ。せっかく奇跡の
ごとくこの世に産まれてこれたんだからさ。
