7月中に焼くつもりでいた窯焚きがやっと一昨日終わった。体調不良もあり、普段なら3日ほどで終わる絵付け,釉薬掛け、窯詰に10日もかかってしまった。外は38度。窯の中は1260度。比較するものではない。暑い時の窯焚きは温度が上がりにくい。まして今回は先日煙突を新しくしてから初めての窯焚き。煙突の内部の体積が1.2倍ほどになった。どんな風に焼きあがるか、の不安もあり、窯を焚く時間もいつもよりも長くなってしまった。
その10日の間に縄文土器に関する番組をいくつか見た。私の好きな井戸尻の土器も取り上げていてた。番組は、参考になるものも吹きだしそうになるものもあった。
私の尊敬する方のFBです。もしよろしければ覗いてみてください。
今月19日には苗木 雑木林窯で野焼きで土器を焼きます。天気次第ですが。暑くても大変。降っても大変です。
夜中に何日か「新 花へんろ」を見た。 『天下御免』 で早坂暁という名前を知り、その後の「夢千代日記」「花へんろ」は大好きなドラマのひとつです。そのあたりはリアルタイムで見ていたのてすが、この「新花へんろ」はちょうど日本にいなくてなんとか見たいと思っていたので、夜中の番組だったけれど楽しく見た。すごい脚本だった。胸が詰まった。いい時間だった。
疲れていたが、来客も多く、おいしいものもいろいろ頂いた。和蜜(日本ミツバチの蜂蜜)とこの海苔は絶品でした。

来週の土曜日11日は坂下総合庁舎前の広場で14時から「与三郎まつり」。「フォークジャンボリー記念館」も「 椛の蔵」もオープンします。
70年代、ジャンポリーが三回で終了したころに、時の商工会長さんから「盆踊りを再興してくれないか。」という依頼が坂下の「比較的前進座」にあり、ちょうど発掘した古い盆踊りの曲を中心にした祭りを考えた。借金して買ったSONYのオープン・デッキを担いで取材に同行して民謡やわらべ歌をおしえていただいた。その中に「音頭与三郎」があった。「我夢土下座」の協力も得て盆踊りを復活した。この「比較的前進座」で毎春秋の新盛座でのフィールド・フォーク・ムーブメントで何回か芝居をした。私も何回か脚本を書き、演出をした。西部劇をしたり、星新一のショート・ショートを芝居にしたり、もちろん歌舞伎もやった。新盛座の歌舞伎では曽我の五郎役の私の長袴を縛った人がいて、見事に転んだ。
その後80年代には同様に「坂下太鼓」を作りたいので曲をと依頼を受け、三曲作った。かみさんは結婚するまで「田楽座」という長野県の伊那にある民族歌舞団に所属していたので、彼女に指導、協力してもらってなんとか三曲作り上げた。かみさんは亡くなるまで、中津川市内の小学校、保育園での運動会の踊りの指導を頼まれて出かけていた。また、秋の花馬祭りの手踊りの指導もしていた。獅子舞の笛も手伝っていた。先日ある小学校の校長先生から動画が残っていたのでと、DVDを頂いた。まだ、見ていない。
25年ほど愛知県の瀬戸で「美夜の窯劇団 土火土火座」という焼き物の職人さんたちが劇団員という劇団を作り、毎年4月の第一日曜に花見の席のステージで芝居をした。私は脚本、演出、音楽。かみさんが振り付け、和楽器、踊りという分担だった。取材にもあちこちへ行かせてもらった。
少したわいのないことを書きすぎた。おあとがよろしいようで。





