7月中に焼くつもりでいた窯焚きがやっと一昨日終わった。体調不良もあり、普段なら3日ほどで終わる絵付け,釉薬掛け、窯詰に10日もかかってしまった。外は38度。窯の中は1260度。比較するものではない。暑い時の窯焚きは温度が上がりにくい。まして今回は先日煙突を新しくしてから初めての窯焚き。煙突の内部の体積が1.2倍ほどになった。どんな風に焼きあがるか、の不安もあり、窯を焚く時間もいつもよりも長くなってしまった。

 その10日の間に縄文土器に関する番組をいくつか見た。私の好きな井戸尻の土器も取り上げていてた。番組は、参考になるものも吹きだしそうになるものもあった。

 私の尊敬する方のFBです。もしよろしければ覗いてみてください。

https://www.facebook.com/shinya.kazutaka/posts/1079339398881614?comment_id=1090981164384104&notif_id=1533727126379707&notif_t=feed_comment_reply

 今月19日には苗木 雑木林窯で野焼きで土器を焼きます。天気次第ですが。暑くても大変。降っても大変です。

 

 夜中に何日か「新 花へんろ」を見た。 『天下御免』 で早坂暁という名前を知り、その後の「夢千代日記」「花へんろ」は大好きなドラマのひとつです。そのあたりはリアルタイムで見ていたのてすが、この「新花へんろ」はちょうど日本にいなくてなんとか見たいと思っていたので、夜中の番組だったけれど楽しく見た。すごい脚本だった。胸が詰まった。いい時間だった。

 疲れていたが、来客も多く、おいしいものもいろいろ頂いた。和蜜(日本ミツバチの蜂蜜)とこの海苔は絶品でした。

 

 来週の土曜日11日は坂下総合庁舎前の広場で14時から「与三郎まつり」。「フォークジャンボリー記念館」も「 椛の蔵」もオープンします。

 70年代、ジャンポリーが三回で終了したころに、時の商工会長さんから「盆踊りを再興してくれないか。」という依頼が坂下の「比較的前進座」にあり、ちょうど発掘した古い盆踊りの曲を中心にした祭りを考えた。借金して買ったSONYのオープン・デッキを担いで取材に同行して民謡やわらべ歌をおしえていただいた。その中に「音頭与三郎」があった。「我夢土下座」の協力も得て盆踊りを復活した。この「比較的前進座」で毎春秋の新盛座でのフィールド・フォーク・ムーブメントで何回か芝居をした。私も何回か脚本を書き、演出をした。西部劇をしたり、星新一のショート・ショートを芝居にしたり、もちろん歌舞伎もやった。新盛座の歌舞伎では曽我の五郎役の私の長袴を縛った人がいて、見事に転んだ。

 その後80年代には同様に「坂下太鼓」を作りたいので曲をと依頼を受け、三曲作った。かみさんは結婚するまで「田楽座」という長野県の伊那にある民族歌舞団に所属していたので、彼女に指導、協力してもらってなんとか三曲作り上げた。かみさんは亡くなるまで、中津川市内の小学校、保育園での運動会の踊りの指導を頼まれて出かけていた。また、秋の花馬祭りの手踊りの指導もしていた。獅子舞の笛も手伝っていた。先日ある小学校の校長先生から動画が残っていたのでと、DVDを頂いた。まだ、見ていない。

 25年ほど愛知県の瀬戸で「美夜の窯劇団 土火土火座」という焼き物の職人さんたちが劇団員という劇団を作り、毎年4月の第一日曜に花見の席のステージで芝居をした。私は脚本、演出、音楽。かみさんが振り付け、和楽器、踊りという分担だった。取材にもあちこちへ行かせてもらった。

 少したわいのないことを書きすぎた。おあとがよろしいようで。

 

 「もうそろそろやばいぞ」と思っていたら案の定。朝から動けない。今日は少し遠くで面白い企画があり、ダルシマーとアイリッシュ・ブズーキーでお手つだする予定だったけれど残念ながら断念。約束を破る形になってしまった。やっとピックを持っての演奏が少しできるようになって喜んでいたのにとても残念。まだ長い時間は指が持たないのだけれど、できなくなっていたことが少し回復してきていた。練習も重ねていた。あいゃー。三日ほどスケジュールをキャンセルして休みます。

 

7月に入ってハードで、いくら1300度の窯の熱にも接しているからといって連日の暑さはこたえた。

 三日前にこのままでは畑が干上がるので最後の手段。雨乞いしかないと自分ではできないので、今回の碑前祭と文集の事務局長を仰せつかったので葉山嘉樹の資料と作品の整理をしながら枝雀さんの落語「雨乞い源兵衛」を聴くことにした。弾みがついて「 地獄八景亡者戯』(じごくばっけいもうじゃのたわむれ) も続けて聴いた。まず枝雀さん。次に米朝さん。最後にこの噺では一番好きな吉朝さんのを聴いた。そして二日後夕立ちになった。

 25日は私も理事をやっている[NPO法人かがやきキッズクラブ」での夏休み陶芸教室。ここは障害を持った子供たちの学童保育を行うところ。夏休みには利用者がずっと増える。今年は例年の倍近くの子供たちがさんかしていれ、にぎやかに粘土で遊んだ。夏休みの一作品用の子供も多く、みな一生懸命だった。今年は6歳になる重心(重度身体障碍者)のS君も参加してくれ、しかも3点も一緒に作ることができ、本当に嬉しそうにしてくれた。嬉しかった。生きていてよかったと思った。至福の時と空間だった。こころなしか彼が参加してくれたことによって他の子供たちのやさしさが増したようにも感じた。顔写真が載せられないのが残念だけど。

 

 飛翔の里にも、年齢はもっと上だが、待っていたくれる人がいる。彼はかろうじて右手が少し動くだけだけれど、その手で粘土を握って、顔を真っ赤にして力を込める。いくつもいくつもつくる。にこにこにこにこを繰り返す。こちらもにこにこになる。

 南相馬から京都へ移住した友人が訪ねてくれた。唄の話になった。3.11以降二度お邪魔して、海岸で「海に向かって」を大勢の人たちと唄ったことを思い出した。

 「我夢土下座」の唄だけではなく、他の友人たちのつくった唄、古くから伝わってきている唄、外国曲、自作の曲。いろいろな唄を唄ってきた。唄いたいけれど私には無理だ、まだ無理だという唄も多い。それとこの歌は唄わない、という唄もいくつかある。我夢土下座時代には一緒に唄ってきた「我が大地の歌」はまだ唄わない。タグさんの「時は流れて」もそんな曲だ。良ちゃんが新作発表会で唄って

衝撃を受けた「特攻花」もその一つ。知覧も訪ねたがまだ唄わない。ドラさんの詞はときとしてダブル・ミーニング。このうたにも込められている。

 「アメィジング・グレイス」という唄がある。アメリカにいるときに何か知ってる唄をといわれて唄い始めたら、それはやめろ。といわれた。喜ぶ人たちもいる。嫌がる人もいる。ちゃんと考えて、調べてみる必要性を覚えた。

 日本の曲では「花は咲く」。これが始まるといつも静かに席を立つことにしている。先日もあるコンサートで同様に静かに席を立つ人がいて少し力を得た。福島でのコンサートでもこれはやめてね。となんども言われた。私も唄う気はない。 作詞:岩井俊二、作曲:菅野よう子。 お二人の責任ではないと思う。けれど、その後のこの歌の使われ方をみれば、私は唄わない。

 「花は咲けども」という唄も生まれている。

https://www.youtube.com/watch?v=5Vd8owCwSTM

 

 

 

 芝居や映画に大きな足跡を残した二人の方が亡くなった。浅利慶太さんは「劇団四季」の創設者。私がちょうど1972年にロンドンで「ジーザス・クライスト・スーパー・スター」を見て帰ってきたとき、日本ても四季が公演するよ、と聞いた。四季の舞台は「キャッツ」だけしか見たことがないし、あまりミュージカルは好きではないけれど、日本のミュージカルの世界を築かれた凄い人だと思う。

 もう一人が脚本家の橋本忍さん。黒澤作品の共同出費つしゃの一人で、人間観察を事細かにし、それを脚本に生かしたという。その話を聞いて、私も電車で学校へ通っているときに試みたが、中途半端でものにならなかった。中途半端といえば二度ほど見ただけなので決めつけられないけれど、いま放送されている朝のドラマの脚本、演出のひどさはお話にならない。ごめんなさい。独り言です。

 ヘレナにいるときに、近くに元刑務所を改装して、ギャラリー、ライブハウス、映画館が作られていた。いくつかの展覧会やライブも見たが、一時期シアターでは「黒澤明特集」をやっていていくつかの作品を観た。英語の映画を見るときにいつも笑いが遅れていた。でもこの時は英語の字幕が出るので、他の観客より先に笑えた。なんとなくなさけなくも優越感を覚えた。

 先週は小学校での教室が続いて、その間にいくつもの会議やサロンがあった。タイの子供たち13人の救出劇は「人間もまだ捨てたもんじゃないなぁ」と思わせてくれた。悪い話やとんでもない話が飛び交う中で爽やかな風が吹いた。