それを人にたとえれば
代数は電波だけど、確率解析は本当に嫌な野郎だなあ。ほっといてくれ。
俺の頭の中で、異性愛者(神の愛とは人間にのみ特殊の性質が与えられたという主義の持ち主)と同性愛者(神の愛とは神と世界がhomoである、つまり世界は神の愛の中にあるという主義の持ち主)が世界最終戦争を始めやがった。
代数学は自ら知られるところを欲さず。
【Sさんへの伝言で有り得たはずのもの】
「銅貨投げとランダム・ウォークにおける変動」には「原点へ戻る回数」という項目が含まれていて、「リードが変る一番確からしい回数はゼロである」とは言ったものの、実は一番確からしいだけであり、相対的に最も起こりそうという程度に過ぎない。もちろん、ゼロよりは少なくとも1回変る確からしさの方が大きいことだって大いに有り得る。
引用は同じくフェラーの『確率論とその応用』より。
『タイになる回数は確率でいうと(2n)^(1/2)に比例して増すだけである. すなわち, ゲームを続ける回数が増すと, タイになる度数は急激に減少し, "波"の長さが増してくる.』
※2nは試行時間
つまり、同一条件の2者間で傾いた形勢を立て直そうとすれば、それは相手が偶然有利さを獲得するのに有した時間より「はるかに」多くの時間を要することを意味している。一方で、
『10,000回の銅貨投げでリードがまったく変らない確率は約0.0085である. また同じ確率で1,000,000回の銅貨投げで変化が起こるのは10回より少ない.』
つまり長く同じ条件で続けていれば、ほとんど確実には形勢は逆転する。そして、その後に「緒戦の優位」を取り戻すのに必要な時間は直観では理解しがたいほど膨大となる。
俺の頭の中で、異性愛者(神の愛とは人間にのみ特殊の性質が与えられたという主義の持ち主)と同性愛者(神の愛とは神と世界がhomoである、つまり世界は神の愛の中にあるという主義の持ち主)が世界最終戦争を始めやがった。
代数学は自ら知られるところを欲さず。
【Sさんへの伝言で有り得たはずのもの】
「銅貨投げとランダム・ウォークにおける変動」には「原点へ戻る回数」という項目が含まれていて、「リードが変る一番確からしい回数はゼロである」とは言ったものの、実は一番確からしいだけであり、相対的に最も起こりそうという程度に過ぎない。もちろん、ゼロよりは少なくとも1回変る確からしさの方が大きいことだって大いに有り得る。
引用は同じくフェラーの『確率論とその応用』より。
『タイになる回数は確率でいうと(2n)^(1/2)に比例して増すだけである. すなわち, ゲームを続ける回数が増すと, タイになる度数は急激に減少し, "波"の長さが増してくる.』
※2nは試行時間
つまり、同一条件の2者間で傾いた形勢を立て直そうとすれば、それは相手が偶然有利さを獲得するのに有した時間より「はるかに」多くの時間を要することを意味している。一方で、
『10,000回の銅貨投げでリードがまったく変らない確率は約0.0085である. また同じ確率で1,000,000回の銅貨投げで変化が起こるのは10回より少ない.』
つまり長く同じ条件で続けていれば、ほとんど確実には形勢は逆転する。そして、その後に「緒戦の優位」を取り戻すのに必要な時間は直観では理解しがたいほど膨大となる。
天唾
もう唯菜のライフは0よ的何か。
ライブにCDより明らかに下手糞な歌を聞きに行ってる奴っているのかね。声優イヴェントに関して聞いた事のあるまともな感想は「パンツが見えた」と「パンツ見えたらしいね」しかない。つまり歌じゃなくてステージを観ろってことか、パンツを。
※ほっちゃんは天使だった、みたいなのは感想ではない。
【オタクプロパーを気取るより】
父は時折、かつてボールディングが講義の最後に日本の学生たちに言った餞の言葉を引く。
"study hard"
そう、場所も年齢も問わず、ただ勉強しさえすれば良いのだ。しかし、それを達観するために人間はどれほどの苦悩と挫折を経なければならないのだろう。
実はこの言葉には前があり、革命家を気取るよりもしっかり勉強しなさい、とボールディングは言ったそうだ。折しも当時は全共闘の熱気醒めやらぬ頃であり、革命家気取りは世に溢れていた。もちろん彼らは気取っていただけであり、革命に対する理解など欠片も無かった、というのも今や笑い話だ。
活動家やセクトが世に疎んじられるとすれば、それは彼らがユダヤ人だからではなく、ただ不勉強だからである。しかし同時にユダヤ的発想は不勉強の言い訳には最適である。彼らはその程度にはユダヤ人=革命(主義)向きだったのかもしれない。
それでやっと表題の話だが、結論から言えば「オタクプロパー」を気取る暇があったら「勉強」しなさいということだ。
昨今はオタクという表現も幅広く用いられるようになり、歴史的経緯とはあまり関係なくなってきているが、それにしても不毛なオタが散見される。「オタクとは斯く在るべし」という類いのことをカリカチュアライズされたオタク像に則って主張されると本当に見苦しい。具体的には、なのはコスで駒場生協をうろついた奴のことなどを思い浮かべれば良いと思う。
いま思えば秋葉原デモは大変な成功だった。あれはオタクを気取りたいだけの人間を洗い出すのに役立ったと言える。あれが(特殊な分野を除いた)オタク趣味一般にとって何の関係があったのかと考えてみればすぐにわかる。あのデモに単純なオタク的立場から否定的主張をした人物たちは、つまりはオタク趣味になど立脚していない(とまでは言わずとも趣味人としては青い)人物だということを露呈したに過ぎない。
【書記長に話した(このブログ上定義された)思いつき】
オタク行為とは解体と再生である。創造的破壊、クリエイティブ・マイノリティは経済人ではなく同人が体現したのである。だから秋葉原はシュムペーターの夢なのだ。
【話さなかった方】
同時に『すべては過去の巧妙な変形に過ぎない』。つまりオタク行為は有志以来人間が繰り返して来た行為の一部に過ぎない。
【結論】
秋葉原デモに目くじらを立てるのは、「死霊の盆踊り」を観て激怒するような話に過ぎない。面白い鑑賞法を提唱できない人間に趣味性は皆無である。
ライブにCDより明らかに下手糞な歌を聞きに行ってる奴っているのかね。声優イヴェントに関して聞いた事のあるまともな感想は「パンツが見えた」と「パンツ見えたらしいね」しかない。つまり歌じゃなくてステージを観ろってことか、パンツを。
※ほっちゃんは天使だった、みたいなのは感想ではない。
【オタクプロパーを気取るより】
父は時折、かつてボールディングが講義の最後に日本の学生たちに言った餞の言葉を引く。
"study hard"
そう、場所も年齢も問わず、ただ勉強しさえすれば良いのだ。しかし、それを達観するために人間はどれほどの苦悩と挫折を経なければならないのだろう。
実はこの言葉には前があり、革命家を気取るよりもしっかり勉強しなさい、とボールディングは言ったそうだ。折しも当時は全共闘の熱気醒めやらぬ頃であり、革命家気取りは世に溢れていた。もちろん彼らは気取っていただけであり、革命に対する理解など欠片も無かった、というのも今や笑い話だ。
活動家やセクトが世に疎んじられるとすれば、それは彼らがユダヤ人だからではなく、ただ不勉強だからである。しかし同時にユダヤ的発想は不勉強の言い訳には最適である。彼らはその程度にはユダヤ人=革命(主義)向きだったのかもしれない。
それでやっと表題の話だが、結論から言えば「オタクプロパー」を気取る暇があったら「勉強」しなさいということだ。
昨今はオタクという表現も幅広く用いられるようになり、歴史的経緯とはあまり関係なくなってきているが、それにしても不毛なオタが散見される。「オタクとは斯く在るべし」という類いのことをカリカチュアライズされたオタク像に則って主張されると本当に見苦しい。具体的には、なのはコスで駒場生協をうろついた奴のことなどを思い浮かべれば良いと思う。
いま思えば秋葉原デモは大変な成功だった。あれはオタクを気取りたいだけの人間を洗い出すのに役立ったと言える。あれが(特殊な分野を除いた)オタク趣味一般にとって何の関係があったのかと考えてみればすぐにわかる。あのデモに単純なオタク的立場から否定的主張をした人物たちは、つまりはオタク趣味になど立脚していない(とまでは言わずとも趣味人としては青い)人物だということを露呈したに過ぎない。
【書記長に話した(このブログ上定義された)思いつき】
オタク行為とは解体と再生である。創造的破壊、クリエイティブ・マイノリティは経済人ではなく同人が体現したのである。だから秋葉原はシュムペーターの夢なのだ。
【話さなかった方】
同時に『すべては過去の巧妙な変形に過ぎない』。つまりオタク行為は有志以来人間が繰り返して来た行為の一部に過ぎない。
【結論】
秋葉原デモに目くじらを立てるのは、「死霊の盆踊り」を観て激怒するような話に過ぎない。面白い鑑賞法を提唱できない人間に趣味性は皆無である。