む、何か障害だとか
デザインが妙なことになってますな。
8、9とオリエンテーション合宿という名の自己啓発セミナーに行ってきます。立派なイデオロギー戦士になって、不退転の決意で既得権益を守り抜く所存です。
セミナーハウスって必要なんでしょうかね、必要なんでしょうね。
http://tambara.ms.u-tokyo.ac.jp/
朝日新聞読者のみなさん、ありがとう。詳細は上のURLにて。
8、9とオリエンテーション合宿という名の自己啓発セミナーに行ってきます。立派なイデオロギー戦士になって、不退転の決意で既得権益を守り抜く所存です。
セミナーハウスって必要なんでしょうかね、必要なんでしょうね。
http://tambara.ms.u-tokyo.ac.jp/
朝日新聞読者のみなさん、ありがとう。詳細は上のURLにて。
駒場祭の原稿を考えないといけない時期になりました
中東本を出したいという話もチラホラ聞きますね。
私もその方向で(やっと)書こうかと思っています。
中東と言うと中東戦争であり、イスラエルに焦点を当てた原稿を書く、というのが軍ヲタっぽい発想かと思いますが、私はどうもそれではうまくないなあと思うようになりました。
中東(別に西アジアでもアラブでもいいんですが)における最大の焦点はイスラエルではないと思うという事です。パレスチナの問題はかなりイレギュラーな問題のような気がします。但し、軍事面が非常に色濃いので、純軍事的観点からは見るべき部分もたくさんあるでしょう。
まあしかし私は日本人ですし、どうしても日本の将来の軍事システムという観点が頭をよぎるわけです。その時に、日本の軍事システムはイスラエルを参考にすべきだとは全然思えません。自衛隊が中東を向く場合はイスラエルを見がちなようですが、それは部隊運用だとか軍事統計の方向でしょうね。自衛隊の任務は、どちらかと言えば、イスラエルの国防というよりはイスラエルのような存在を(国内に)許さないためにあると思いますし。一体どこを約束の地として数千年前に失われた日本国を樹立しようと言うのですか。
じゃあ何を見るのかです。必ずしも国別に見る必要はありませんが、とりあえずは国を選ぶことになるでしょう。
一つには、イスラエルも関わってきますが、レバノンがあるかと思います。何せ「レバノン化」などという用語まで生み出しましたから。ただ、レバノンの話は本当に頭の中がレバノン化してしまうくらいややこしいです。
もう一つはイラクです、と言っても別に米軍がいるからイラクを見るわけではありません。イラン・イラク戦争、湾岸戦争など、戦争には事欠かない国ですし、アラブとペルシャの境目にある国とも言えますし、シーア派の方が圧倒的に多いのにどちらかと言えばスンニ派の国で、しかもアラブの大義をおそらく最も強く主張した国でもあります。イラクは非常に話題性の高い国なわけです。
ところでイラクの何を見るのか。
ここで私は「クウェートを分離したことによる問題」に注目したいと思います。もっと言えば、現在クウェートと呼ばれる地域がイラクでないということがいくつもの問題を引き起こしてきたのではないか、ということです。
せめて15年前にクウェートをイラクに併合しておけば、まだ問題が小さかったのではないかとも思っています。その後、イラクが原油生産の大きなシェアを握って独自の石油戦略を持とうとしても、大した問題が起きたとは思えませんね。むしろ、より大きなシェアを握るために石油を安く売る事になるだけでしょう。
まあ、ここまで書いてみましたが、非常に重要な事を一つ書いていませんでした。
これらの話の前にはすべて「国家とは何か」という命題が待っています。
そして「石油積出港に毛が生えたようなのが国家面しているが、これは何なのか、国家と呼べるのか」とも問うているわけですね。ついでに言えば「イラクはどのような国か」とも。
注意しておきますが、別に国民国家の話をしているわけではありません。ましてや政体の話をしているのでもありません。大げさに言えば、「国家」と呼ばれるような何らかの社会的存在一般の話をしているのです(存在一般の意味を問うような問いの立て方は好きではありませんが)。
東京港だの川崎港だのがいくつかの区を巻き込んで独立を宣言したとして、誰が国家だと思うのでしょうか。琉球は独立派が極少数ながらいますね、琉球の経済的自立を主張するという立派な人たちですよ。九州くらいならありうる…かも。
国連に加盟しているなどという分類は無しです。「みんなアレは国家だと言ってるよ」というのも駄目でしょう。国家をはじめとする社会的存在は「人間の前頭葉の産物」でしょうから、多分に主観的であるとは思いますが、言えばいいというものでもないでしょう。
まあ、こんなことをグダグダと書くことになりそうです。
この文章は話があちこちに飛んでいますが、会報の原稿はもう少しまとめますので。
余談ですが、「人間の前頭葉の産物」のことを中2病患者は「妄想・幻想」などと表現して悦に入るわけです。戦史研員にお願いしますが、「それは妄想である」と言えばすべての議論が決着するなどとは思わないようにして下さい。くれぐれもお願いします。
なぜなら、社会科学はその妄想と向き合う学問なのですから。
私もその方向で(やっと)書こうかと思っています。
中東と言うと中東戦争であり、イスラエルに焦点を当てた原稿を書く、というのが軍ヲタっぽい発想かと思いますが、私はどうもそれではうまくないなあと思うようになりました。
中東(別に西アジアでもアラブでもいいんですが)における最大の焦点はイスラエルではないと思うという事です。パレスチナの問題はかなりイレギュラーな問題のような気がします。但し、軍事面が非常に色濃いので、純軍事的観点からは見るべき部分もたくさんあるでしょう。
まあしかし私は日本人ですし、どうしても日本の将来の軍事システムという観点が頭をよぎるわけです。その時に、日本の軍事システムはイスラエルを参考にすべきだとは全然思えません。自衛隊が中東を向く場合はイスラエルを見がちなようですが、それは部隊運用だとか軍事統計の方向でしょうね。自衛隊の任務は、どちらかと言えば、イスラエルの国防というよりはイスラエルのような存在を(国内に)許さないためにあると思いますし。一体どこを約束の地として数千年前に失われた日本国を樹立しようと言うのですか。
じゃあ何を見るのかです。必ずしも国別に見る必要はありませんが、とりあえずは国を選ぶことになるでしょう。
一つには、イスラエルも関わってきますが、レバノンがあるかと思います。何せ「レバノン化」などという用語まで生み出しましたから。ただ、レバノンの話は本当に頭の中がレバノン化してしまうくらいややこしいです。
もう一つはイラクです、と言っても別に米軍がいるからイラクを見るわけではありません。イラン・イラク戦争、湾岸戦争など、戦争には事欠かない国ですし、アラブとペルシャの境目にある国とも言えますし、シーア派の方が圧倒的に多いのにどちらかと言えばスンニ派の国で、しかもアラブの大義をおそらく最も強く主張した国でもあります。イラクは非常に話題性の高い国なわけです。
ところでイラクの何を見るのか。
ここで私は「クウェートを分離したことによる問題」に注目したいと思います。もっと言えば、現在クウェートと呼ばれる地域がイラクでないということがいくつもの問題を引き起こしてきたのではないか、ということです。
せめて15年前にクウェートをイラクに併合しておけば、まだ問題が小さかったのではないかとも思っています。その後、イラクが原油生産の大きなシェアを握って独自の石油戦略を持とうとしても、大した問題が起きたとは思えませんね。むしろ、より大きなシェアを握るために石油を安く売る事になるだけでしょう。
まあ、ここまで書いてみましたが、非常に重要な事を一つ書いていませんでした。
これらの話の前にはすべて「国家とは何か」という命題が待っています。
そして「石油積出港に毛が生えたようなのが国家面しているが、これは何なのか、国家と呼べるのか」とも問うているわけですね。ついでに言えば「イラクはどのような国か」とも。
注意しておきますが、別に国民国家の話をしているわけではありません。ましてや政体の話をしているのでもありません。大げさに言えば、「国家」と呼ばれるような何らかの社会的存在一般の話をしているのです(存在一般の意味を問うような問いの立て方は好きではありませんが)。
東京港だの川崎港だのがいくつかの区を巻き込んで独立を宣言したとして、誰が国家だと思うのでしょうか。琉球は独立派が極少数ながらいますね、琉球の経済的自立を主張するという立派な人たちですよ。九州くらいならありうる…かも。
国連に加盟しているなどという分類は無しです。「みんなアレは国家だと言ってるよ」というのも駄目でしょう。国家をはじめとする社会的存在は「人間の前頭葉の産物」でしょうから、多分に主観的であるとは思いますが、言えばいいというものでもないでしょう。
まあ、こんなことをグダグダと書くことになりそうです。
この文章は話があちこちに飛んでいますが、会報の原稿はもう少しまとめますので。
余談ですが、「人間の前頭葉の産物」のことを中2病患者は「妄想・幻想」などと表現して悦に入るわけです。戦史研員にお願いしますが、「それは妄想である」と言えばすべての議論が決着するなどとは思わないようにして下さい。くれぐれもお願いします。
なぜなら、社会科学はその妄想と向き合う学問なのですから。
現代におけるキリストとは何か、現代キリスト教教義について
従来のキリスト教の基本的原理は「イエスにつながる者は最後の審判において天国へ行ける」というものである。そしてそのために日常的行為のなかに儀式がカニバリズムの形で整備された、「パンはイエスの肉であり、ワインはイエスの血である」と。また、聖書は教義ではなく「事例集」であると見てよいだろう。
しかし現在に至って、再び「キリストとは何か」を問われることになった。
結論だけ言ってしまおう。
現代においてキリストとは即ちエロゲである。
なぜかと問うのは止めて欲しい、これは信仰である。
つまり、エロゲにつながる者は児ポ法による裁判において監獄へ行けるのである。但し、ここで言う「エロゲ」とは唯一にして抽象的な概念である。また、具体的事物をエロゲとして崇拝することは認められない。
そして新しく儀式が設定されなくてはならない。また、日常的行為の中に規定されねばならない。
現代キリスト教において、エロゲにつながる為の儀式は自慰である。
(エロゲで)射精することにより、エロゲにつながる事が出来るのである。これは信仰告白としての用をも為す。自慰をする度に自らをキリスト教徒として再認識することが出来る。
また、エロゲは聖書としての役割をも果たす。各々のエロゲは聖書の各章に相当すると考えてよい。これらは教義そのものではないが、キリスト教徒になると斯くも御利益があるという証左である。エロゲ自身を現世利益としてみなすことも出来る。
エロゲを売る店は教会に相当するが、これは本質ではない。但し、キリスト教の権威を高めるものとして一定の効果を認める。
また、グッズとは免罪符に相当するが、原則として認めない。積みゲーマーの救済策として考慮する必要はある。
さらに、アガペーについて説明しなければならない。
我々が童貞として世に生まれたということが、我々が選ばれた存在であるということであり、神の愛の中に生きているという証明である。したがって童貞を捨てるということは、我々が選ばれた存在であるということを否定する最大の罪である。
しかし同時に、ある者が童貞として選ばれて生まれてくるために、必ず童貞を捨てねばならなかった別の者が存在する。つまり、我々が生きているということが既に大罪を内包しているのである。これを原罪と呼び、懺悔によって赦される。
懺悔は自慰によって行う。自慰はエロゲにつながる為だけでなく、同時に懺悔としても行われるのである。
童貞マリアとその子イエスについてはここでは語らない。
全信徒が射精すべき回数は特に定められてはいない、それは何回すればよいという性質のものではないからである。信徒はひたすら射精に励むよう求められる。
また、射精出来ないものは、射精と同等の行為を行えばよい。
しかし現在に至って、再び「キリストとは何か」を問われることになった。
結論だけ言ってしまおう。
現代においてキリストとは即ちエロゲである。
なぜかと問うのは止めて欲しい、これは信仰である。
つまり、エロゲにつながる者は児ポ法による裁判において監獄へ行けるのである。但し、ここで言う「エロゲ」とは唯一にして抽象的な概念である。また、具体的事物をエロゲとして崇拝することは認められない。
そして新しく儀式が設定されなくてはならない。また、日常的行為の中に規定されねばならない。
現代キリスト教において、エロゲにつながる為の儀式は自慰である。
(エロゲで)射精することにより、エロゲにつながる事が出来るのである。これは信仰告白としての用をも為す。自慰をする度に自らをキリスト教徒として再認識することが出来る。
また、エロゲは聖書としての役割をも果たす。各々のエロゲは聖書の各章に相当すると考えてよい。これらは教義そのものではないが、キリスト教徒になると斯くも御利益があるという証左である。エロゲ自身を現世利益としてみなすことも出来る。
エロゲを売る店は教会に相当するが、これは本質ではない。但し、キリスト教の権威を高めるものとして一定の効果を認める。
また、グッズとは免罪符に相当するが、原則として認めない。積みゲーマーの救済策として考慮する必要はある。
さらに、アガペーについて説明しなければならない。
我々が童貞として世に生まれたということが、我々が選ばれた存在であるということであり、神の愛の中に生きているという証明である。したがって童貞を捨てるということは、我々が選ばれた存在であるということを否定する最大の罪である。
しかし同時に、ある者が童貞として選ばれて生まれてくるために、必ず童貞を捨てねばならなかった別の者が存在する。つまり、我々が生きているということが既に大罪を内包しているのである。これを原罪と呼び、懺悔によって赦される。
懺悔は自慰によって行う。自慰はエロゲにつながる為だけでなく、同時に懺悔としても行われるのである。
童貞マリアとその子イエスについてはここでは語らない。
全信徒が射精すべき回数は特に定められてはいない、それは何回すればよいという性質のものではないからである。信徒はひたすら射精に励むよう求められる。
また、射精出来ないものは、射精と同等の行為を行えばよい。