Study Hard -358ページ目

もっとこう

 ブログっぽいことを書こうと思った。時事ネタを痛快に斬ったつもりが実は自分が斬られてただけ、みたいな。

 みなとみらい線が当初目標を達成し、営業利益8億強だが、有利子負債が1100億円くらいあるのでやっぱり最終損益(06年度上半期?)は赤字だったという記事があった。一日平均乗客数が14万人強ということだが、このうちどのくらいが創価学会の貢献分なのかを考えた。
 神奈川文化会館という創価学会の施設がある。通称カナブンである。ここは主に東海道(神奈川+静岡)などの大きな集まりの際に利用され、100人単位の集会が幾つも同時に開かれる場所だ。東京圏に暮らしながらカナブンに自動車で来る不埒者も居るには居るが、みなとみらい線元町・中華街駅の地上出口すぐそばという立地もあって鉄道で来る者が多いようだ。会館の維持に必要な人員や休日の集会だけを考えても一日平均で100人単位の乗客を生んでいることは間違いなく、まったく大雑把ではあるが、みなとみらい線全乗客数の0.1%程度には最低でも相当するものと思う。ちなみに私自身、みなとみらい線には学会の用事で既に2往復乗った。
 実際にはもっと多いと思うが、平日のカナブンに行ったことがないので詳しいことは分からない。何にせよ、創価学会のような団体が数百個あれば、みなとみらい線が維持できてしまうのだ(赤字だけど)。
 余談だが、カナブンは「池田会長降ろし」の後に最初に池田先生が訪れた場所だということになっている。ということで、神奈川>東京(信濃町)なのだという主張を神奈川都民としてさせて頂きたい。

 ブログっぽくなった?

天孫降臨型宗教法人格

 すべてが二次創作のために存在するのは自明である。それは存在が二次創作のために存在しているという意味ではなく、存在しているということが二次創作であるということを意味している。例えば、人間が神に象って造られたというのは、人間のみを特に神概念の二次創作に位置付ける信仰である。
 現在の二次創作の多くは、我々が何の二次創作であるかという課題に対して、我々から生み出される二次創作をもって答えようとする行為に収束している。しかし二次創作にとっての二次創作とはまさに「一次存在」を二次創作によって探ろうとする行為に他ならず、二次創作の二次創作が一次存在に到達し得るという考え方は一次存在と二次創作が1対1に対応しているという幸福な幻想に裏打ちされる必要がある。
 不可知論は脇に置くとしても、さらに困難な議論が待っているのは火を見るより明らかである。仮に一次存在に到達したところで、それが何の二次創作なのかという次の課題が生まれるのだ。一次存在が二次創作と一体であるという幸福な考えは閉じており、一見したところ「完璧」であるが、しかしながら我々はそのようなことを問うていたのではないという至極単純かつ現実的な主張により何ら意味を為さなくなる。無意味な主張の数もまた無限にあるのだ。二次創作の意義が永遠の循環する自己定義行為であるはずがない。現在我々が言えるのはその程度に留まっている。

順調順調

 規則正しい生活は楽しいなあ。何より相手の規則が正しくて助かる。
 あと公安委員会は本当に解体して警察に一本化した方がいいんじゃないか。馬鹿は死ねというのと同じ理由である。