Study Hard -356ページ目

そうだその通りだ

 僕の心を捉えて離さない軍隊は自衛隊という名前じゃないのだ。思い煩うだけ無駄だったというものだ、さあ新しい軍隊を作ろう。
 地元の銀行から小さい陶器の猪が来た。嬉しいなあ。僕のことを本当に気にかけてくれているのは地元銀行だけだ。生き恥を晒して来年でもう2周りか。

 三年学ばずして師を選べ。一休上人の言葉が身に滲みる。三年学ばずして俺は何をするというのか。
 生死に執着せずにやっていかなきゃ。就職ごときを以て何が将来の見通しだ、一体誰が野垂れ死んではいけないというのか。

(遠い目)

 なんかリベリア内戦にかこつけた米帝のプロパガンダ番組やってる。あれが米帝のプロパガンダに過ぎないという決定的証拠は、あの番組を見ている私の頭の中では仮想のS竹君とMさんが侃々諤々の言い合いをしていたことだ。S竹君とMさんと言えば戦史研二大(注)米帝の手先であるので間違いない。

(注)
 戦史研は二天を戴かず。常に万人の万人に対する闘争が行われている。そこで行われる闘争は常に二大派閥の争いであり、各派閥は一人によって構成されている。
 戦史研二大米帝……S竹君、Mさん
 戦史研二大狂人……(削除)、(削除)
 戦史研二大御大……御大、久保田御大
 戦史研二大p……p、ppp
 戦史研二大院生……Sさん、隠棲氏
 戦史研二大院政……傍系氏、Sさん
 戦史研二大セレク……史学、宗教
 戦史研二大辺境……鴻巣、北本
 戦史研二大先生……先生、先生
 戦史研二大主義……敗北主義、日和見主義
 戦史研二大戦犯……(笑)、(笑)

 米帝と言えば、ロバート・キャパの「戦争のイメージ」という写真集を見つけたときのことを思い出す。私は「戦争に対して一般に付与されたイメージ」を写真化するという内容だと思って、なんと優れた発想だろうと胸を高鳴らせて写真集を手に取った。それ以上は何も言えない。

 私は、多くの人が戦争に対してどういうイメージを持つかにはそれほど興味はない。ただ一つ理解してほしいと思うことがあるとすれば、「戦争だから何をしても構わない」のはその通りだが、それとまったく同じ理由で「平和だから何をしても構わない」のだということだ。
 現在の法律は「こういうことをしたらこうなりますよ」という形で規制しているのであって、「これをしろ/するな」という宗教上の戒律ではない。だからこそ「何をしても構わない」し、やったらやったで相応の対応を受けるだけだ。つまり現在に至っては、どのような状況でも「何をしても構わない」のであり、そのかわり状況に応じて「相応の対応」を受けるに過ぎない。だからこそ私は確信犯を認めるし、逆に言えば確信犯を認めない考え方の裏には「ある国教によって制定された戒律」がなくてはならないと思う。
 簡単にまとめれば「戦争だから何をしても構わないが、戦争という状況に沿って対応される」ということになる。問題は戦時と平時ではどのような違いがあるのか、そしてそもそも「戦時法」と「平時法」によって明確に区分されうるのかということだろうか。
 確かに戦争にもルールは必要であり、それは平時にもルールが必要な理由と同じだ、ということしかやっぱり分からないなあ。

 ところで戦争を個人の想念の集合としての産物と捉える向きにおいて、「戦争には断固として反対されなければならない」というイメージを持たせようとするために「戦争だから何でもアリの悲惨な状況が生まれる」というイメージを利用することは、いざ戦争になったときに「戦争だから何でもいいや」という想念を生み出してしまいその精神と正反対の結果を生むことになる、という点に到るのではないだろうか。
 だとすれば草の根平和活動こそ「戦争は何でもアリではなく、ルールが必要だ」と主張しなければならない最右翼だということになるはずだけど、平和活動のイメージとは全然合わないね。

おかしいな

 最近疲れが全然抜けない。これはもう死ぬね。

【今日のビラ】
 加藤周一講演会。小森陽一研究室には猛省を促す。冗談は民青までにしてくれ。連絡先がFAXしかないが、俺が苦情を送らないとでも思ってるのだとしたら大誤算だな。