アレに国民軍の維持と関連法整備および砲艦外交以外の機能があるとは知りませんでした
軍事費4倍って言ったけどあれは訂正。3倍でいいです。その他0は変わらず。
急には無理だからとりあえず社会保障費を0で軍事費を2倍に。社会保障費ゼロ化による不満は増員した軍隊で抑える。これで収支の黒字化が来年からでも可能ですな。
それから社会保障制度などという不労所得階級的仕組みの存続を主張するのはすべて反革命なので射殺が妥当。
急には無理だからとりあえず社会保障費を0で軍事費を2倍に。社会保障費ゼロ化による不満は増員した軍隊で抑える。これで収支の黒字化が来年からでも可能ですな。
それから社会保障制度などという不労所得階級的仕組みの存続を主張するのはすべて反革命なので射殺が妥当。
憂国
東京大学環境報告書2006から恐ろしい事実が判明した。学部の男女比がかつては4.5:1程度だったと記憶しているが、平成18年度5月現在では4.2:1(11573:2756)に悪化している。10:1を目指し邁進していた吾々にとっては訃報に等しい。絶望のあまり今後の方策さえ立たない有様だ。
それにしても今年度の「ウォームビズ」啓発ポスターに描かれている「さっちゃん」とヌルいマスコットキャラクターが気になって仕方がない。「さっちゃん」はどう見てもなのは辺りからフィーリングを得ているとしか思えない。ちなみに「なのはそのもの」という説と「(なのは+さくら)÷2」という説があるが、なのは説が有力か。
どうでもいいことだが、自治会の「うったえかけ」程度のことを自治と言うなら環境三四郎も余裕で自治会系団体だな。さらにどうでもいいが環境三四郎の主張する「システムの改善」にはお役人の言う「私どもが枠組みを整備してですね」と同じ何かを感じる。あまり具体性が感じられないというか。微妙にキーワードが先行するところとか。
とは言え、彼らのイデオロギー的側面には感じ入るものがあるので協力することにやぶさかでない。とりあえず駒場祭期間中のゴミの部室等への持ち帰りと後日処分を多くの人に訴え、「システム」化していきたいと思う。
あれ、今日は一日中PCの前に居たような……
それにしても今年度の「ウォームビズ」啓発ポスターに描かれている「さっちゃん」とヌルいマスコットキャラクターが気になって仕方がない。「さっちゃん」はどう見てもなのは辺りからフィーリングを得ているとしか思えない。ちなみに「なのはそのもの」という説と「(なのは+さくら)÷2」という説があるが、なのは説が有力か。
どうでもいいことだが、自治会の「うったえかけ」程度のことを自治と言うなら環境三四郎も余裕で自治会系団体だな。さらにどうでもいいが環境三四郎の主張する「システムの改善」にはお役人の言う「私どもが枠組みを整備してですね」と同じ何かを感じる。あまり具体性が感じられないというか。微妙にキーワードが先行するところとか。
とは言え、彼らのイデオロギー的側面には感じ入るものがあるので協力することにやぶさかでない。とりあえず駒場祭期間中のゴミの部室等への持ち帰りと後日処分を多くの人に訴え、「システム」化していきたいと思う。
あれ、今日は一日中PCの前に居たような……
主題:声優の何が歴史に書かれるべきか
事実とは認識されたもののことであり、歴史が記述されたもののことだとすれば、歴史になる事実、即ち歴史的事実とは何だろうか。
同時代史ほど難しいものはない。書かれるべきほとんどの事柄が進行中であったり十分な審判を経ておらず、また自身がその中に生きているということによる看過し得ないバイアスが記述をあらゆる意味で困難にするからだ。しかし歴史を単なる後知恵に終わらせないためには同時代史を記述せざるを得ない。それは同時代史には後世の人間でなく当時の人間が何を重要視していたのかが透けて見えるからに他ならない。
同時代史の記述を困難にしているものは、一つに記述の形式があるだろう。編年体か紀伝体かという問題ではなく、歴史的事実に対する評価を付け加えようとすることだ。これからどうなるか分からない物事を一意的に評価せよという考えに無理があるのは自明だろう。いわゆる自然現象においてさえ結果が確率分布するのであれば、社会的事象がしない理由などない。だとすれば一意的に評価するなど無用なことだ。何より多くの場合、社会的事象に対する評価とは善悪であり「うまくいった」とか「だめだった」といったものであるが、漠然とそのようなことを述べても無益だ。せめて立場を明確にしてから述べるべきとしか言えない。
個々に見れば馬鹿馬鹿しく扱うに足らないと思うようなものでも、それが全体として社会に見られるならば社会科学において十分に扱い得る。それに話はちょっとずれるが、例えば個々の娼婦、男娼のことなど知らずとも「売春の社会史」という本は出るのだ。
少なくとも声優について述べる場合に評価を述べることは不要である。「気持ち悪い」「不愉快」「可哀相」「不要」「本人はともかくヲタがキモイ」などと述べることは「第二次世界大戦は『良い戦争』であった、俺にとって」と述べるのと同様無意味である。仮にそのような評価を述べる意味があるとすればそれはその個人の歴史においてでしかない。
声優をもっと大きな流れの中に位置付けることは可能であろうが、それは特に声優という何かに特化して記述することを妨げるものではない。また声優という個人について記述するのか、声優という職業について記述するのか、あるいはもっと別の角度から見るのかということを明確にする必要がある。
そもそも無定義のまま声優という単語を使ってきたが、現在において声優という単語がそれが隠語であるにせよ必ずしも「俳優業の声の部分」を意味するものでは無くなっているのも事実である。またラジオドラマの役者やラジオのパーソナリティの(役割の)ことを声優と称していた時代もあったそうだが、現在では「声優のラジオ番組」という概念があるのだから別物だと言っていいだろう。こうした点から見ても、声優について記述するということは役者業の声部門について記述されなければならないということでもない。それではどういう観点から記述し得るのだろうか。
こうしてみると吾々はまだ声優について記述するための事実の集積を持っていない。
うーん、年末の暇潰しにはいいね。あれ、君はなんでここ読んでるの?
同時代史ほど難しいものはない。書かれるべきほとんどの事柄が進行中であったり十分な審判を経ておらず、また自身がその中に生きているということによる看過し得ないバイアスが記述をあらゆる意味で困難にするからだ。しかし歴史を単なる後知恵に終わらせないためには同時代史を記述せざるを得ない。それは同時代史には後世の人間でなく当時の人間が何を重要視していたのかが透けて見えるからに他ならない。
同時代史の記述を困難にしているものは、一つに記述の形式があるだろう。編年体か紀伝体かという問題ではなく、歴史的事実に対する評価を付け加えようとすることだ。これからどうなるか分からない物事を一意的に評価せよという考えに無理があるのは自明だろう。いわゆる自然現象においてさえ結果が確率分布するのであれば、社会的事象がしない理由などない。だとすれば一意的に評価するなど無用なことだ。何より多くの場合、社会的事象に対する評価とは善悪であり「うまくいった」とか「だめだった」といったものであるが、漠然とそのようなことを述べても無益だ。せめて立場を明確にしてから述べるべきとしか言えない。
個々に見れば馬鹿馬鹿しく扱うに足らないと思うようなものでも、それが全体として社会に見られるならば社会科学において十分に扱い得る。それに話はちょっとずれるが、例えば個々の娼婦、男娼のことなど知らずとも「売春の社会史」という本は出るのだ。
少なくとも声優について述べる場合に評価を述べることは不要である。「気持ち悪い」「不愉快」「可哀相」「不要」「本人はともかくヲタがキモイ」などと述べることは「第二次世界大戦は『良い戦争』であった、俺にとって」と述べるのと同様無意味である。仮にそのような評価を述べる意味があるとすればそれはその個人の歴史においてでしかない。
声優をもっと大きな流れの中に位置付けることは可能であろうが、それは特に声優という何かに特化して記述することを妨げるものではない。また声優という個人について記述するのか、声優という職業について記述するのか、あるいはもっと別の角度から見るのかということを明確にする必要がある。
そもそも無定義のまま声優という単語を使ってきたが、現在において声優という単語がそれが隠語であるにせよ必ずしも「俳優業の声の部分」を意味するものでは無くなっているのも事実である。またラジオドラマの役者やラジオのパーソナリティの(役割の)ことを声優と称していた時代もあったそうだが、現在では「声優のラジオ番組」という概念があるのだから別物だと言っていいだろう。こうした点から見ても、声優について記述するということは役者業の声部門について記述されなければならないということでもない。それではどういう観点から記述し得るのだろうか。
こうしてみると吾々はまだ声優について記述するための事実の集積を持っていない。
うーん、年末の暇潰しにはいいね。あれ、君はなんでここ読んでるの?