Study Hard -203ページ目

LAWは人のためならず

 この格言は、LAWは対戦車兵器なので対人用ではないという意味で人口に膾炙しているが、本来はLAWを小隊に配備するのは対戦車兵のためだけではなく小銃手にも恩恵が返ってくるのだという意味であった。
 LAWを配備しても戦車への対処能力はほとんど向上せず逆に小隊が対戦車戦闘に巻き込まれて小銃手が一方的に損をするという文句に対する格言であった。現在では核地雷と並び歩兵たちの敬意を受けている兵器である。
 対人使用を禁止されているLAWを敵歩兵に撃ったところ、自部隊が戦車の掩護を受けていると勘違いして突撃した敵小隊が全滅したという事例があり、このLAWを撃った兵士は「規則を破った」という理由で勲章を授与されることになったが辞退した。理由は、自分は敵歩兵ではなく熊に対して発射したつもりであり、軍規違反を犯したという不名誉を受けたくはないということであった。消息筋からは、妻かと思ったら熊だったのではないかという指摘もある。


 よし、泣きゲーのシナリオの骨格が出来たぞ。あとはこれを企画書にして持込みか。

後世的私信

【典座教訓】
 泣きゲーのシナリオライターは単に修行を放棄した者がなるのではなく、泣きゲーのシナリオを書いていてさえ修行になるほどの高位の僧がすべきである。
 まずは幾つかの特徴を押さえる必要があろう。何事も師は大事である。

・珍妙なキャラクタ
・(理系)専門用語の誤用、濫用
・世界設定が離散的かつ開放系
・ブログが痛い

 取りあえずこれぐらいは守っておこう。
 まずブログが痛いは既にクリアしている。専門用語の濫用は彼らと違って意図的にできるので、するだけなら楽勝。あとはキャラクタと世界設定だな。

 非常に重要なことだが、泣きゲーに対して世界観という用語を使うのは間違えている。なぜなら世界=定義域に対する原理的な理解が不可能だからだ。上にも書いたように彼らの設定は離散的で開放系、日常用語になおすと支離滅裂で投げっ放し、なので正統な学術的訓練はこの際一度すべて忘れる必要がある。

 珍妙なキャラクタを作る際に珍妙な語尾をつけたりするのは手法に過ぎない。その本質は異質性であり、珍妙なキャラクタとは一言で言えば異邦人なのである。しかも通常の異邦人と異なり故郷を持ってはいけない。もちろん設定上の故郷はあっても良いが、本質的にはどこにも帰るべき場所のない者でなくてはならない。そうでなくてはあらゆる常識的判断を乗り越えて意味不明な結末に到達する「リアリティ」が生まれないのである。

 泣きゲーはゲーム内で完結していないほど良い。そうであるほどに現実への延長が容易だからである。
 感情移入という表現が良く用いられるが、泣きゲーにおいて行われていることはゲーム世界を現実へ移入することに他ならない。つまり完結したゲーム上の世界に没入するのではなく、まさにゲーム内の事象を延長することにより自らの事象と錯覚せしめるのが泣きゲーの重要な要素である。
 最良の泣きゲーは最も感情を動かすゲームであり、最も感情を動かすには自分のこととして受け止めさせねばならない。自分のこととして受け止めさせるには、まず中途半端に実際的な設定は有害である。自分以外の誰かの話だと思わせては駄目で、そのためにはいっそ誰のことでもない設定にする必要がある。そして支離滅裂で投げっ放しであることにより、初めて「私を含む誰の物語でもない、私の物語」になるのである。

 ライターの痛いブログは取りも直さず有用である。なぜならライターこそはプレイヤーの同志であり、痛いブログはその意味不明なシナリオを躊躇せずに現実に延長せしめる最良の小道具だからだ。
 言ってみれば、ライターという画面の向こう側の存在が現実側に飛び出て来て、まさに今からプレイヤーがすべき作業の模範を見せてくれているのである。

(未完)

【メモ】
http://www.nicovideo.jp/tag/超級者向け

民族の苦悩を除去する経

 2次元の祖は誰かというρの命題に対して、デカルトと答えるのは建前だ。大体、7次元未満は全部零集合なのであって。
 古代バビロニアまで行かざるを得ないか。

 R3上の閉曲面において軍人よりもかわいらしいものが存在するかという命題も素晴らしい。ρもわかってきたな。
 個人的な予想だが、恐らく人間の想像力の範囲では境界上に最大値が存在せざるを得ないので存在しないだろう。あるいは至る所singularなR3上の曲面の閉包をとった場合の境界は興味深いのではないか?
 そもそも軍人をR3上で扱うのが間違えてる気はする。相対位相を入れることは出来ても意味のある位相空間を構成しそうには思えない。

 声優がR7上のmanifoldのrankが落ちた部分なのではないかという気がしてきた。
 しかしそうすると2.5次元というのはどういうことだろうか。極限操作を伴うmanifoldで、その部分はHausdorff次元で2.5ということか? そもそもHausdorffなのかという話もあるが、それはcompact空間からHausdorff空間への連続写像を構成できるかという辺りから考えておこう。

 最近、ミンゴスと結婚する方法を考えているから話しかけるなという若者が増えているが、そのような考え方はよろしくないだろう。私ならどうしたら中村繪里子になれるかを考える。

 石朋一択。