後世的私信
【典座教訓】
泣きゲーのシナリオライターは単に修行を放棄した者がなるのではなく、泣きゲーのシナリオを書いていてさえ修行になるほどの高位の僧がすべきである。
まずは幾つかの特徴を押さえる必要があろう。何事も師は大事である。
・珍妙なキャラクタ
・(理系)専門用語の誤用、濫用
・世界設定が離散的かつ開放系
・ブログが痛い
取りあえずこれぐらいは守っておこう。
まずブログが痛いは既にクリアしている。専門用語の濫用は彼らと違って意図的にできるので、するだけなら楽勝。あとはキャラクタと世界設定だな。
非常に重要なことだが、泣きゲーに対して世界観という用語を使うのは間違えている。なぜなら世界=定義域に対する原理的な理解が不可能だからだ。上にも書いたように彼らの設定は離散的で開放系、日常用語になおすと支離滅裂で投げっ放し、なので正統な学術的訓練はこの際一度すべて忘れる必要がある。
珍妙なキャラクタを作る際に珍妙な語尾をつけたりするのは手法に過ぎない。その本質は異質性であり、珍妙なキャラクタとは一言で言えば異邦人なのである。しかも通常の異邦人と異なり故郷を持ってはいけない。もちろん設定上の故郷はあっても良いが、本質的にはどこにも帰るべき場所のない者でなくてはならない。そうでなくてはあらゆる常識的判断を乗り越えて意味不明な結末に到達する「リアリティ」が生まれないのである。
泣きゲーはゲーム内で完結していないほど良い。そうであるほどに現実への延長が容易だからである。
感情移入という表現が良く用いられるが、泣きゲーにおいて行われていることはゲーム世界を現実へ移入することに他ならない。つまり完結したゲーム上の世界に没入するのではなく、まさにゲーム内の事象を延長することにより自らの事象と錯覚せしめるのが泣きゲーの重要な要素である。
最良の泣きゲーは最も感情を動かすゲームであり、最も感情を動かすには自分のこととして受け止めさせねばならない。自分のこととして受け止めさせるには、まず中途半端に実際的な設定は有害である。自分以外の誰かの話だと思わせては駄目で、そのためにはいっそ誰のことでもない設定にする必要がある。そして支離滅裂で投げっ放しであることにより、初めて「私を含む誰の物語でもない、私の物語」になるのである。
ライターの痛いブログは取りも直さず有用である。なぜならライターこそはプレイヤーの同志であり、痛いブログはその意味不明なシナリオを躊躇せずに現実に延長せしめる最良の小道具だからだ。
言ってみれば、ライターという画面の向こう側の存在が現実側に飛び出て来て、まさに今からプレイヤーがすべき作業の模範を見せてくれているのである。
(未完)
【メモ】
http://www.nicovideo.jp/tag/超級者向け
泣きゲーのシナリオライターは単に修行を放棄した者がなるのではなく、泣きゲーのシナリオを書いていてさえ修行になるほどの高位の僧がすべきである。
まずは幾つかの特徴を押さえる必要があろう。何事も師は大事である。
・珍妙なキャラクタ
・(理系)専門用語の誤用、濫用
・世界設定が離散的かつ開放系
・ブログが痛い
取りあえずこれぐらいは守っておこう。
まずブログが痛いは既にクリアしている。専門用語の濫用は彼らと違って意図的にできるので、するだけなら楽勝。あとはキャラクタと世界設定だな。
非常に重要なことだが、泣きゲーに対して世界観という用語を使うのは間違えている。なぜなら世界=定義域に対する原理的な理解が不可能だからだ。上にも書いたように彼らの設定は離散的で開放系、日常用語になおすと支離滅裂で投げっ放し、なので正統な学術的訓練はこの際一度すべて忘れる必要がある。
珍妙なキャラクタを作る際に珍妙な語尾をつけたりするのは手法に過ぎない。その本質は異質性であり、珍妙なキャラクタとは一言で言えば異邦人なのである。しかも通常の異邦人と異なり故郷を持ってはいけない。もちろん設定上の故郷はあっても良いが、本質的にはどこにも帰るべき場所のない者でなくてはならない。そうでなくてはあらゆる常識的判断を乗り越えて意味不明な結末に到達する「リアリティ」が生まれないのである。
泣きゲーはゲーム内で完結していないほど良い。そうであるほどに現実への延長が容易だからである。
感情移入という表現が良く用いられるが、泣きゲーにおいて行われていることはゲーム世界を現実へ移入することに他ならない。つまり完結したゲーム上の世界に没入するのではなく、まさにゲーム内の事象を延長することにより自らの事象と錯覚せしめるのが泣きゲーの重要な要素である。
最良の泣きゲーは最も感情を動かすゲームであり、最も感情を動かすには自分のこととして受け止めさせねばならない。自分のこととして受け止めさせるには、まず中途半端に実際的な設定は有害である。自分以外の誰かの話だと思わせては駄目で、そのためにはいっそ誰のことでもない設定にする必要がある。そして支離滅裂で投げっ放しであることにより、初めて「私を含む誰の物語でもない、私の物語」になるのである。
ライターの痛いブログは取りも直さず有用である。なぜならライターこそはプレイヤーの同志であり、痛いブログはその意味不明なシナリオを躊躇せずに現実に延長せしめる最良の小道具だからだ。
言ってみれば、ライターという画面の向こう側の存在が現実側に飛び出て来て、まさに今からプレイヤーがすべき作業の模範を見せてくれているのである。
(未完)
【メモ】
http://www.nicovideo.jp/tag/超級者向け