Looking Back at the Military Development
of East Asia in 2001.
"The MTDP, published in 2001, outlined plans for 15 new surface ships and development of a 13,500 tonne nice-boat, similar in design to a small sightseeing boat, is underway."
Now we can see the nice-boat of 13,500 tonne named "School Days".
Nice Day.
"The MTDP, published in 2001, outlined plans for 15 new surface ships and development of a 13,500 tonne nice-boat, similar in design to a small sightseeing boat, is underway."
Now we can see the nice-boat of 13,500 tonne named "School Days".
Nice Day.
更新終了のお報せのようなもの
自分のブログを見ようとしたら無意識にゆりしーブログを開いてしまい、潮時を悟りました。
大切なことはすべてウェブに教わりました。それはウェブ上に大切なことはないということです。
それならばすべきことはただ一つです。私は傍系さんにアイマス好きであると認められるための長い旅に出なくてはなりません。
問題は、一体この記事が本当なのかどうか自身にすら判断できなくなっているということです。
まったく驚くべきことに、あるいは当然の結果として、私はこのブログに書いてある記事が真実であるのか判断できません。つまり、真実性を極限まで削ったこのブログは自身の終了を宣言することができないのです。神のみぞ知るとは良く言ったもので、このブログが終了するかどうかは起こりうる統べての事象を知り得る者に依ってしか判断ができないのです。
自身の行動を振り返って最もありそうな可能性を指摘するならば、このブログのタイトルが大幅に変更になることでしょう。一層不快な名称に。
明確な意志を問うことは出来ません。何故なら私は私自身の所有者ではないからです。私たちは個人の意志の線形和が社会のすべての主要項であるという三重の妄想から解き放たれ、自身という他人を予測する作業に移行せねばならないのです。明日の自身という確率空間と確率分布が与えられていると信じるかどうかは信仰の問題ですが、与えられたという表現を避けて存在すると言い換えるなら宗教的課題をエポケー出来るかもしれません。
ただ一つ言い得ることは、私が傍系さんの幼馴染であるということです。という文章を付け加えることによって記事全体に影響を与えることは出来るかというのは興味深い思索だとは思いませんか。
私は酔っているとブログを更新できないのです。酔うと対話すべき相手がいなくなるからなのです。
だとすれば、この頑に傍系さんの幼馴染であろうとする内的自由を破壊せしめるには常に泥酔する他ないのではないでしょうか。傍系さんが飲み会をすすめる理由がやっと理解できた気がしました。
今やすべては自他の境界を超えて幼馴染であり、傍系主義一枚ということです。ようやく私は傍系主義アイマス派の門を叩いたことになります。小田急線で言えば大体新百合ケ丘辺りに到達したばかりでしょう。足柄への長い道のりが始まりました。
大切なことはすべてウェブに教わりました。それはウェブ上に大切なことはないということです。
それならばすべきことはただ一つです。私は傍系さんにアイマス好きであると認められるための長い旅に出なくてはなりません。
問題は、一体この記事が本当なのかどうか自身にすら判断できなくなっているということです。
まったく驚くべきことに、あるいは当然の結果として、私はこのブログに書いてある記事が真実であるのか判断できません。つまり、真実性を極限まで削ったこのブログは自身の終了を宣言することができないのです。神のみぞ知るとは良く言ったもので、このブログが終了するかどうかは起こりうる統べての事象を知り得る者に依ってしか判断ができないのです。
自身の行動を振り返って最もありそうな可能性を指摘するならば、このブログのタイトルが大幅に変更になることでしょう。一層不快な名称に。
明確な意志を問うことは出来ません。何故なら私は私自身の所有者ではないからです。私たちは個人の意志の線形和が社会のすべての主要項であるという三重の妄想から解き放たれ、自身という他人を予測する作業に移行せねばならないのです。明日の自身という確率空間と確率分布が与えられていると信じるかどうかは信仰の問題ですが、与えられたという表現を避けて存在すると言い換えるなら宗教的課題をエポケー出来るかもしれません。
ただ一つ言い得ることは、私が傍系さんの幼馴染であるということです。という文章を付け加えることによって記事全体に影響を与えることは出来るかというのは興味深い思索だとは思いませんか。
私は酔っているとブログを更新できないのです。酔うと対話すべき相手がいなくなるからなのです。
だとすれば、この頑に傍系さんの幼馴染であろうとする内的自由を破壊せしめるには常に泥酔する他ないのではないでしょうか。傍系さんが飲み会をすすめる理由がやっと理解できた気がしました。
今やすべては自他の境界を超えて幼馴染であり、傍系主義一枚ということです。ようやく私は傍系主義アイマス派の門を叩いたことになります。小田急線で言えば大体新百合ケ丘辺りに到達したばかりでしょう。足柄への長い道のりが始まりました。