中間報告
DDみずはし(満載3,900t)の叩き台着々。
23DDみずはし
24DDたかはし
26DD???
DDみずはし戦闘システム概念図完成。
24DDHは25DDHに延期らしい。25DDH広開土王(満載2,900t)。
三胴船で各船体三軸推進。多段式ヘリ格納庫。艦橋+測距儀+CIWS+煙突+SPY+イルミネーター+水中。水上艦の水線下に船体を付け加えれば水上艦+潜水艦の優れもの。マストトップのネルソンはトップヘビーの原因。艦の重心が中心線からズレているなら、水線下の浮心でバランスをとればよい。
【素朴な疑問】
なぜ素人さんはすぐ徴兵制を口にするのか。
なぜ素人さんは徴兵制と志願制が対になる概念だと理解できないのか。
なぜ素人さんは制度と個人的感傷を区別できないのか。
なぜ素人さんは通常兵器を見ながら核戦争の話をするのか。
なぜ素人さんは兵器が合目的に設計されていることを理解できないのか。
なぜ素人さんは兵士も主要な資源の一つであることが理解できないのか。
なぜ素人さんは投下された資源と得られた効用の区別がつかないのか。
なぜ素人さんは軍隊がある種の組織であることを理解できないのか。
なぜ素人さんは軍隊一般と国民軍の区別がつかないのか。
なぜこんな簡単なことが分からないのだろう。
23DDみずはし
24DDたかはし
26DD???
DDみずはし戦闘システム概念図完成。
24DDHは25DDHに延期らしい。25DDH広開土王(満載2,900t)。
三胴船で各船体三軸推進。多段式ヘリ格納庫。艦橋+測距儀+CIWS+煙突+SPY+イルミネーター+水中。水上艦の水線下に船体を付け加えれば水上艦+潜水艦の優れもの。マストトップのネルソンはトップヘビーの原因。艦の重心が中心線からズレているなら、水線下の浮心でバランスをとればよい。
【素朴な疑問】
なぜ素人さんはすぐ徴兵制を口にするのか。
なぜ素人さんは徴兵制と志願制が対になる概念だと理解できないのか。
なぜ素人さんは制度と個人的感傷を区別できないのか。
なぜ素人さんは通常兵器を見ながら核戦争の話をするのか。
なぜ素人さんは兵器が合目的に設計されていることを理解できないのか。
なぜ素人さんは兵士も主要な資源の一つであることが理解できないのか。
なぜ素人さんは投下された資源と得られた効用の区別がつかないのか。
なぜ素人さんは軍隊がある種の組織であることを理解できないのか。
なぜ素人さんは軍隊一般と国民軍の区別がつかないのか。
なぜこんな簡単なことが分からないのだろう。
自治会潰しの大義あるいはブログの不幸
社会主義、民族主義、民主主義はフランス革命に始まり自治会潰しに終わる一連の変化の大義である。
※以下解説が延々と続くが、本文はその下から再開する。
※解説を読むと本文の意味も少しだけ分かり易くなる、つまり本文冒頭の一見関係なさそうな文章に含意があることが理解できるが、残念ながら現代人はそんなに暇ではない。
【解説】
誤解されてはいないと思うが、私はイデオロギーが大好きだとまず宣言しておく。
私は常々イデオロギーを占星術に喩えて来た。それは社会の観察を天体の観測になぞらえ、顕著な観念を星にたとえ、それらを線で結び(関連付け)、結ばれた物に名前を与えればそれがイデオロギーだという意味である。
占星術と天文学が起源を一にし、しかもこれほど天文学が発達した現代でもなお(より)多くの人々に占星術が身近であることは示唆的である。また多くの人 々は顕著な物、即ち星、に目を奪われるが、それが本質的である保証はないことも同様である。さらに、現代人が陥りがちな有用性という観点は、占星術もまた (「精神的」な意味合いであるにせよ)有用であるという事実から、天文学と占星術を分化、深化させようという試みにとって有害である。
私はイデオロギーを女性誌の星占い同様に素晴らしいエンターテイメントとして評価している。しかし同時に、今日の星占いを権威付けに利用する人物を不快 に思っている。ましてや天体の運行によって星座が変化していったとして、それに「ストーリー付け」をする人物をどう思うかは自明だ。彼に与えられるべき名 称は「ポエマー」以外の何であろうか。
【解説の解説】
解説のような前提を持っている私が執筆者であるということを踏まえて、はじめて冒頭の文章には味わいが出て来る。
ここが意味不明な妄想ばかり書き付ける電波ブログだというのは片手落ちの理解であり、冒頭の文章を意味不明と切り捨てるのと同じである。ここは私にとっ てのみ意味が明瞭な妄想ばかりを書き付ける電波ブログであるのと同時に、時間の流れが私自身にとってもここを意味不明な電波ブログへと変えて行く過程を密 かに楽しむ場である。
【解説の解説の解説】
これは頼るべき自己という物があるとしても、それは決して自身の残した反故の類いではないということでもある。つまり本来の自己なるものについて言語化するにはこのブログの余白はあまりにも狭過ぎる。大体、出来るなら禅宗の人がとっくにやってる。
【本文の続き】
というのは私のどうでも良い妄想だが、社会主義や民族主義を口先だけで非難する連中は枚挙に暇が無いというのに、何故か民主主義だけが口汚く罵られないのは不愉快なことである。民主主義というのが何であれ、こんな陳腐な表現はもはや蛙野郎が市街地にバラまく糞尿と同列に扱われて然るべきだ。
それはそうと今日書こうと思ったのはS竹君、あるいはS竹君のような良識溢れる人たち、に関連したことだ。
彼のような良識溢れる人物は、「結論ありき」の人たちを酷く馬鹿にする。確かに特定の結論を導くように論を構築するのは第一に諌められることだから当然と言えば当然だろう。しかしそれはアカデミックな分野での話であり、アカデミックでない分野であるディベートの世界に適用されるべき論ではない。多くの(特に文系科目)講義で説明されるだろうが、アカデミズムは三人称の世界であるのに対して、ディベートは一ないし二人称の世界である。一応注意しておくと、単なる表現の問題であって、私事か他人事かという問題とは本質的に関係がない。
どちらが正しいという問題ではなく、敢えて同列に扱いたければ異なるアプローチとでも表現するほかない。ディベートでの勝利は何らの証明にはならないが、例えばディベートに勝った方の意見を採用するという制度は有り得る。ディベートという仕組みをどう利用するか、あるいはまったく使い物にならないのか、は考えるべきことだが、アカデミックでないという批判はあまりにも無意味だ。
もしディベートの場で「結論ありき」ではいけないと主張するなら、それこそ一意的な解が定まることを立証しなければいけないのはS竹君の方になるということだ。
ところで「自分に都合の悪いことは無視かよ」というのは煽り文句としては素晴らしいが、これは同時にディベートでは当然の態度でもある。
つまり意見の合わない人と侃々諤々の論争を繰り広げているときに、「都合の悪いことを無視するあいつはキチガイだ」と言うのは、実は相手ではなく自分こそが何をしているのか理解できてない証拠である。但し、都合の悪い証拠を提示されたらそれに反論するなり認める(≒無視する)なりするのはそれぞれの裁量だ。だから「都合の悪い証拠を無視したってことは認めたってことだな」と主張するに留めるのが正しい。もちろん奇妙極まりない陰謀論を提示されて反論のしようもないので無視するということだってあるが。
ところでこの糞下らないディベート形式が何の役に立つんだと思ったとしたら少々問題だ。このディベートの部分を裁判や学説論争にでも置き換えて貰えれば分かると思う。逆にディベート形式について理解があれば、裁判のような場が何をしているのかということも分かり易くなるだろう。
今さら先輩面するでもないが、S竹君やあるいはその他の良識ある人にくれぐれも注意して欲しいのは、アカデミズムとディベートは独立していると言うよりは補完し合う関係で用いられることが社会では多く、「結論ありきですね」などと鼻で笑おうものならディベート形式の部分で全敗することになるということだ。
せっかく「結論ありき」よりもマトモな頭をしているんだから、「結論ありき」の場でも負けないようにして貰いたい。アカデミズムに対する「ディベート野郎」の侵略を阻止するためにも。
※以下解説が延々と続くが、本文はその下から再開する。
※解説を読むと本文の意味も少しだけ分かり易くなる、つまり本文冒頭の一見関係なさそうな文章に含意があることが理解できるが、残念ながら現代人はそんなに暇ではない。
【解説】
誤解されてはいないと思うが、私はイデオロギーが大好きだとまず宣言しておく。
私は常々イデオロギーを占星術に喩えて来た。それは社会の観察を天体の観測になぞらえ、顕著な観念を星にたとえ、それらを線で結び(関連付け)、結ばれた物に名前を与えればそれがイデオロギーだという意味である。
占星術と天文学が起源を一にし、しかもこれほど天文学が発達した現代でもなお(より)多くの人々に占星術が身近であることは示唆的である。また多くの人 々は顕著な物、即ち星、に目を奪われるが、それが本質的である保証はないことも同様である。さらに、現代人が陥りがちな有用性という観点は、占星術もまた (「精神的」な意味合いであるにせよ)有用であるという事実から、天文学と占星術を分化、深化させようという試みにとって有害である。
私はイデオロギーを女性誌の星占い同様に素晴らしいエンターテイメントとして評価している。しかし同時に、今日の星占いを権威付けに利用する人物を不快 に思っている。ましてや天体の運行によって星座が変化していったとして、それに「ストーリー付け」をする人物をどう思うかは自明だ。彼に与えられるべき名 称は「ポエマー」以外の何であろうか。
【解説の解説】
解説のような前提を持っている私が執筆者であるということを踏まえて、はじめて冒頭の文章には味わいが出て来る。
ここが意味不明な妄想ばかり書き付ける電波ブログだというのは片手落ちの理解であり、冒頭の文章を意味不明と切り捨てるのと同じである。ここは私にとっ てのみ意味が明瞭な妄想ばかりを書き付ける電波ブログであるのと同時に、時間の流れが私自身にとってもここを意味不明な電波ブログへと変えて行く過程を密 かに楽しむ場である。
【解説の解説の解説】
これは頼るべき自己という物があるとしても、それは決して自身の残した反故の類いではないということでもある。つまり本来の自己なるものについて言語化するにはこのブログの余白はあまりにも狭過ぎる。大体、出来るなら禅宗の人がとっくにやってる。
【本文の続き】
というのは私のどうでも良い妄想だが、社会主義や民族主義を口先だけで非難する連中は枚挙に暇が無いというのに、何故か民主主義だけが口汚く罵られないのは不愉快なことである。民主主義というのが何であれ、こんな陳腐な表現はもはや蛙野郎が市街地にバラまく糞尿と同列に扱われて然るべきだ。
それはそうと今日書こうと思ったのはS竹君、あるいはS竹君のような良識溢れる人たち、に関連したことだ。
彼のような良識溢れる人物は、「結論ありき」の人たちを酷く馬鹿にする。確かに特定の結論を導くように論を構築するのは第一に諌められることだから当然と言えば当然だろう。しかしそれはアカデミックな分野での話であり、アカデミックでない分野であるディベートの世界に適用されるべき論ではない。多くの(特に文系科目)講義で説明されるだろうが、アカデミズムは三人称の世界であるのに対して、ディベートは一ないし二人称の世界である。一応注意しておくと、単なる表現の問題であって、私事か他人事かという問題とは本質的に関係がない。
どちらが正しいという問題ではなく、敢えて同列に扱いたければ異なるアプローチとでも表現するほかない。ディベートでの勝利は何らの証明にはならないが、例えばディベートに勝った方の意見を採用するという制度は有り得る。ディベートという仕組みをどう利用するか、あるいはまったく使い物にならないのか、は考えるべきことだが、アカデミックでないという批判はあまりにも無意味だ。
もしディベートの場で「結論ありき」ではいけないと主張するなら、それこそ一意的な解が定まることを立証しなければいけないのはS竹君の方になるということだ。
ところで「自分に都合の悪いことは無視かよ」というのは煽り文句としては素晴らしいが、これは同時にディベートでは当然の態度でもある。
つまり意見の合わない人と侃々諤々の論争を繰り広げているときに、「都合の悪いことを無視するあいつはキチガイだ」と言うのは、実は相手ではなく自分こそが何をしているのか理解できてない証拠である。但し、都合の悪い証拠を提示されたらそれに反論するなり認める(≒無視する)なりするのはそれぞれの裁量だ。だから「都合の悪い証拠を無視したってことは認めたってことだな」と主張するに留めるのが正しい。もちろん奇妙極まりない陰謀論を提示されて反論のしようもないので無視するということだってあるが。
ところでこの糞下らないディベート形式が何の役に立つんだと思ったとしたら少々問題だ。このディベートの部分を裁判や学説論争にでも置き換えて貰えれば分かると思う。逆にディベート形式について理解があれば、裁判のような場が何をしているのかということも分かり易くなるだろう。
今さら先輩面するでもないが、S竹君やあるいはその他の良識ある人にくれぐれも注意して欲しいのは、アカデミズムとディベートは独立していると言うよりは補完し合う関係で用いられることが社会では多く、「結論ありきですね」などと鼻で笑おうものならディベート形式の部分で全敗することになるということだ。
せっかく「結論ありき」よりもマトモな頭をしているんだから、「結論ありき」の場でも負けないようにして貰いたい。アカデミズムに対する「ディベート野郎」の侵略を阻止するためにも。
あれが引退を決意した瞬間でしたね
新聞を読んでいた。プルーン値上がりでニヤニヤした。さらに「45ナノ」という表記で吹き出してしまった。なお括弧は原文にもついていて、ナノは2バイト文字のように縮めてあるやつ(㍉みたいな)。
約1人のために注意しておくと、プルーン値上がりと東芝が45ナノプロセスの量産開始時期を発表したことには何の関係もない。
約1人のために注意しておくと、プルーン値上がりと東芝が45ナノプロセスの量産開始時期を発表したことには何の関係もない。