反他者理解メモ
つまりだ。これまでの言説を総合すると、俺は始域における「個人」という元が嫌いなんだろう。一方で終域の場合は問題なさそうだ。個人の存在は前提に置けないということか。
これで俺の否定的な言説のほとんどすべてが統一的に理解できるはずだ。言い換えれば、主体としての人間を認めないということか。あるいは「確立した個」の如き言説を拒否しているだけであって、人間の集まりについては容認しているのか。
我々が人間であって人間固有の認識から出発している、というほとんど誰も疑わないであろう前提を否定するなら前者で、認めるなら後者か。
「こうである」という肯定的言説は固有の論理に基づいていることを認めるのに、「こうではない」という否定的言説はそれを認めないとしたら破綻しているなあ。
ここ2500年ばかり固有の論理は変化していない可能性が高い。そういったものの差異を認めないということか。
人間は変わっていないが、入出力は常に変化している。というのは一見尤もらしいが、実際は人間と入出力を区別しているという意味で陳腐な思索に過ぎない。こんなことは結局のところ、人間が特別の存在として産み落とされたという信仰の延長に置くほかない。
これで俺の否定的な言説のほとんどすべてが統一的に理解できるはずだ。言い換えれば、主体としての人間を認めないということか。あるいは「確立した個」の如き言説を拒否しているだけであって、人間の集まりについては容認しているのか。
我々が人間であって人間固有の認識から出発している、というほとんど誰も疑わないであろう前提を否定するなら前者で、認めるなら後者か。
「こうである」という肯定的言説は固有の論理に基づいていることを認めるのに、「こうではない」という否定的言説はそれを認めないとしたら破綻しているなあ。
ここ2500年ばかり固有の論理は変化していない可能性が高い。そういったものの差異を認めないということか。
人間は変わっていないが、入出力は常に変化している。というのは一見尤もらしいが、実際は人間と入出力を区別しているという意味で陳腐な思索に過ぎない。こんなことは結局のところ、人間が特別の存在として産み落とされたという信仰の延長に置くほかない。
正19角形の作図可能性
http://gs.dengekinet.com/suteki/index.html
プリンセスで家族……ホーエンツォレルン家みたいなもんか。19!の派閥に分かれて継承戦争。買うわ。
19!≒1.2*10^17だから1派閥1秒で把握しても……あ、実は40億年くらいで終わるな。
それよりも、1派閥をチェックする時間が半減ずつして行けば、有限の派閥数ならば、最初の派閥をチェックする時間の2倍までの時間で終了するのか、神なら。
十女が「敬愛する将軍様」と言い出したのかと思って大興奮したら、全然関係なかった。三国志かよ。
そもそも実際に敬愛する将軍様の為に四連機銃を30秒で組み立てる9歳の少女が共和国に居たんだから、所詮空想は現実には勝てぬ。
プリンセスで家族……ホーエンツォレルン家みたいなもんか。19!の派閥に分かれて継承戦争。買うわ。
19!≒1.2*10^17だから1派閥1秒で把握しても……あ、実は40億年くらいで終わるな。
それよりも、1派閥をチェックする時間が半減ずつして行けば、有限の派閥数ならば、最初の派閥をチェックする時間の2倍までの時間で終了するのか、神なら。
十女が「敬愛する将軍様」と言い出したのかと思って大興奮したら、全然関係なかった。三国志かよ。
そもそも実際に敬愛する将軍様の為に四連機銃を30秒で組み立てる9歳の少女が共和国に居たんだから、所詮空想は現実には勝てぬ。
真面目な話だからオチは無いよ
以前某所で"CEP"の項目を編集したときに思ったのは、指標や相関と、因果関係を含めたより本質的な部分の区別がつかない人が多いなあということだ。
相変わらずアルセロール・ミタル国(俗称ルクセンブルク)の1人あたりGDPが怪しく高いなあと思ったのでなんとなく。
このブログを恒常的に観察している怪しく賢明な方々に繰り返し説明する必要はないが、そろそろGDP以外の指標も真面目に検討する時期が来たのかもしれない。
経済学が貧困の撲滅を掲げ、乳幼児が栄養失調でバタバタ死んでいた時代には、1人あたり摂取カロリーと豊かさには正の相関があった。ところが一定以上豊かになると、カロリーの過剰摂取の方が問題になるのは現代人なら誰でも理解できることだ。GDPが、豊かさと言われる茫漠とした概念の函数として良い性質を持たなくなっている可能性はある。
だからと言って「こころの豊かさ」だの「国民総幸福」だのと言い出しても切りがない。それはそのような概念に意味がないからではなく、計測方法が無いからだ。「お気持ち次第」の先に学術分野は存在できない。
【地方分権(笑)】
ルクセンブルクやノルウェーを見習おうという考えに単純に到るのは飛躍である。もちろんどこからでも見習うことは出来るが、そういう意味では共和国からだって見習うことはある。
なんせ日本にはトヨタ国(俗称愛知県)をはじめとするルクセンブルクより遥かに高いGDPを誇る国がゴロゴロ転がっている。何をどうするのかはさっぱりだが、見習いたいならあっちを見習ってみてはどうだろうか。
相変わらずアルセロール・ミタル国(俗称ルクセンブルク)の1人あたりGDPが怪しく高いなあと思ったのでなんとなく。
このブログを恒常的に観察している怪しく賢明な方々に繰り返し説明する必要はないが、そろそろGDP以外の指標も真面目に検討する時期が来たのかもしれない。
経済学が貧困の撲滅を掲げ、乳幼児が栄養失調でバタバタ死んでいた時代には、1人あたり摂取カロリーと豊かさには正の相関があった。ところが一定以上豊かになると、カロリーの過剰摂取の方が問題になるのは現代人なら誰でも理解できることだ。GDPが、豊かさと言われる茫漠とした概念の函数として良い性質を持たなくなっている可能性はある。
だからと言って「こころの豊かさ」だの「国民総幸福」だのと言い出しても切りがない。それはそのような概念に意味がないからではなく、計測方法が無いからだ。「お気持ち次第」の先に学術分野は存在できない。
【地方分権(笑)】
ルクセンブルクやノルウェーを見習おうという考えに単純に到るのは飛躍である。もちろんどこからでも見習うことは出来るが、そういう意味では共和国からだって見習うことはある。
なんせ日本にはトヨタ国(俗称愛知県)をはじめとするルクセンブルクより遥かに高いGDPを誇る国がゴロゴロ転がっている。何をどうするのかはさっぱりだが、見習いたいならあっちを見習ってみてはどうだろうか。