現代アート作家・ヤマオタケシ(TakeshiYamao)ブログ -20ページ目

現代アート作家・ヤマオタケシ(TakeshiYamao)ブログ

「Stand UP!Monster!!人生を変えちゃうアートを!!!愛のバクダン!!!!もっとたくさん!!!!!落っことすゼ!!!!!!」

「l am...〜その先の希望〜」
Acrylic gouache on canvas
SM(227×158mm)
2021.05

自分とは何者だろうか

タバコを吸い

酒を飲み

TVショーに1人あれやこれやと文句を垂れる

SNSに汚物のような自意識を吐き出し

世の中を悟ったかのように全てを諦める

そこに希望はあるのでしょうか

今一度

自分自身を見つめる時ではないでしょうか

自分の中にある燻ってるものを炙り出し

対峙する時代ではないでしょうか

そこに待ってるものは

きっと、、、


今、この瞬間、苦しんでる人の光になりますように。この子達が300年500年先のどこかの誰かの光になりますように。
3年後5年後の僕自身の光になりますように。

via Takeshi Yamao Art show
Your own website,
Ameba Ownd
「祈り」
Acrylic gouache on canvas
SM(227×158mm)
2021.05

老病死

仏陀も恐れた人間の性

肉体がある以上

避けては通れない道

この世に生まれ出た以上

そんな人生を如何にして生きるか

刻に弄ばれ

病気に飲まれ

天災に殺される

そんな中にも人々の優しさがきっとあるはず

自分の周りを知り

寄り添う手を見つけ

一欠片の愛を知る

そんな地味な人生

それでいいじゃない

っと祈りにも似た願いを

愛するあの人にこの胸の想いを馳せる



今、この瞬間、苦しんでる人の光になりますように。この子達が300年500年先のどこかの誰かの光になりますように。
3年後5年後の僕自身の光になりますように。

via Takeshi Yamao Art show
Your own website,
Ameba Ownd
「明日には希望を」
Acrylic gouache on canvas
SM(227×158mm)
2021.05

明日に希望を馳せて…

今日という日を懸命に生きる

毎日毎日明日という日に希望を馳せる

今日という日がどんなに苦しくても

今日という日がどんなに痛くても

今日という日で苦悩が終わると信じて

毎日毎日明日という日に希望を祈る

昨日でもなく明日でもなく今日でもなく

たった今この瞬間が大事なのに

その瞬間さへも明日に希望を馳せる…



今、この瞬間、苦しんでる人の光になりますように。この子達が300年500年先のどこかの誰かの光になりますように。
3年後5年後の僕自身の光になりますように。

via Takeshi Yamao Art show
Your own website,
Ameba Ownd


Into  Free Black & White 〜」


自分を縛るモノを解き放ち、自由へ。


誰もが抱える心の闇。

誰もが通る真っ暗なトンネル。

右も左も上も下も分からぬまま光を目指して歩く。


世の中が抱える暗闇。

戦争、テロ、貧困、人権、環境汚染、ウイルス。

その中で、希望を見失い塞ぎ込む者、今日をただただ生き延び生きる者、明日への希望を捨てずに歩く者。

様々な状況下で、様々な想いを持ち生きる者たち。


そんな「闇」と「光」にスポットを当て、黒と金という対照的な色を使い、「光」だけが正義じゃなく、「闇」の大切さ、「闇」あるからこそ「光」がある。「光」があるからこそ「闇」がある。


輝かしい事だけでは生きていけない。


暗いことだけじゃ生きていけない。


「光」と「闇」の表裏一体が人の心。


そこで見つける自身の自由への道。


そんな表現がしたいなって、実験的に作ってる作品たちです。

(ちなみにコンセプト名は僕自身がファンであるB'zの曲からパクってます。なんかカッコいいから(。・ω・。))






深田恭子が「適応障害」で芸能活動休止が報道されて、TVで「適応障害」の説明をしていたので興味深く観てました。


そこで「適応障害」と言う言葉を知り、どんな病気なのかと表面的にでも少し理解をしました。


そこで過去の自分を振り返ってみると、、、その前に前提として私自身(以降、俺)が小学校1年生から今年37歳になる30年間の精神疾患(精神疾患と診断されたのは22〜3くらいに病院に行った時だけども)を振り返ってみると、小1の時に原因不明の症状は「適応障害」が発端だと仮説すると納得できる部分があるなと思い、久しぶりに、エッセイ的なものを書いてみようと試みる。


俺が小1の時にパニック発作のような症状が出てから、症状を繰り返し学校に行けなくなったり行けたりと繰り返し、中学2年生の冬休みにトラウマ級のパニック発作に襲われて「不登校」and「引きこもり」and「ニート」になったわけだが、ある程度お外に出れるようになった頃からずっと考え続けてたのは、小1の時に我が身に起こったのは「パニック障害」と完結させたんだが、「適応障害」の内容を見るに「適応障害」からの「パニック障害」併発で引きこもりになり「鬱」を併発させたんじゃないかなと。


なんせ、30年も前のことだから記憶が曖昧なのだけど、教室という一度授業が始まったら抜け出せない閉鎖感がストレスで、風邪だったかな、体調の悪さがトリガーを引き「パニック発作」のような症状を起こしたと。


この「適応障害」というのは、TVの知識だけど、何かハッキリしたこれっというストレスが起因で起こるそうな。


それに対して、例えば「鬱」なんかは1つのストレスだけじゃなく、いろんなストレスが起因となり、、、っという、説明があった。


そう考えるとね、俺は今では珍しくもない母子家庭で育ってじーちゃんばーちゃんに面倒見てもらってたんだけど、小さい頃に散々言われた「親の愛情不足」なり、「教室という空間」なり、今ではもう思い出せないが、1つだけ思い出せるのが「教室という閉鎖空間」が嫌いだったことを思い出すと、この30年間の苦しみの始まりは「適応障害」が始まりだったんではなかろうかと。


ちなみに、30年苦しんできたと言うような表現をしたが、病気や障害の話に限って言えば当てはまるのだが、人間、30年も生きてりゃ色んな人と関わり、色んな文化に触れ、時代の流れを見てきて生きてきたわけだから、決して苦しい、辛い、しんどい、だけの人生ではないんだよなぁ。


あと、「パニック障害」にしろ「適応障害」にしろ、上にも書いたが散々聞いた「親の愛情不足」ではなく、思春期の頃は親に当たったりもしたが、仮にそうであったとしても、病気または障害なんだから、親のせいって事でもないでしょう。じーちゃんばーちゃんには愛情たっぷり貰ってたと思うし、親も兄貴も、忙しい中で自分なりの愛情を注いでくれたと思うし。っと考え、前向いて、親が作った家族じゃなく、自分で作ってく家族(または友人)、まぁ、平たく言えば与えられた環境で甘えてズブズブとパラサイトになるより、自分が作ってく環境の方に目を向けた方が良いんじゃないかな。っと22〜3才の時に病院を受診して、今の自分の状況を知り、それこそ物凄い恐怖と戦いながら今日は玄関から1歩外へ、明日は2歩外へと外の世界に出てゆき、今じゃ飛行機乗って海外まで行けるくらいにはなっとる。


しかし、いまだに世に言う「普通に働く」事が出来なくて、無理解もあるけれど、こんな俺が家族を持つ日なんて来ないと思ってたが、結婚し、今は奥さんのお腹に子供までいる。
一般的な線路から外れた生き方をしてきてる俺が、家族が出来るなんて思いもよらなかったが、その事自体は非常に幸福で、子供の誕生も楽しみで仕方がない。


人に恵ま、絵を描いて生きてくことも自然と続けられてて、状況だけを見ると幸せこの上ない環境に身を置いているが、でも、まだ、病気や障害のせいなのか、はたまた個々人の状況は関係なく「人間」の性なのか、まだまだ人生とは苦の連続。
気持ちが、精神が、心が、魂が、平穏になる事がない。
精神疾患は脳の誤作動とも言うが、それくらい、いわゆる「心の病」と言うものは根が深いと実感する。




ここから余談だが、さて、最初に「適応障害」からの話をしたが、いつも思うんだが、なんか、いつも話がズレていってるような。。。
ま、気にしなーい気にしない(。・ω・。)


タイトルがねー「ヤマオタケシという人間」にしたが、自分の30年間を書いたら、文章がもっと長くなるし、なんなら日々のアレやコレやを書いたら収集がつかんので、そんなのはTwitterで愚痴っとけばいいだけの話で、グダらないようかなり端折って、絵描き「ヤマオタケシ」はアーティストとしても、ただのいち人間としても、ここでは語りきれないけど、ただ、概要として、こんな人生を送ってるからこそ、今「絵描きのヤマオタケシがいる」っと思ってもらえればそれでよいかなーと。


絵を描き始めた時期も経緯もここでは書いてないが、作品作りにも、上に書いたような自分自身の経験から生まれ出るものが、コンセプトを決めてテーマをどんなに意識しても、それ以外の感情や想いが作品の中に組み込まれてしまうからね。


ここまで読んでくれる人はいるのだろうか?っと、長くなった文章を見て思う。
有名人でもなけりゃ、他人の人生なんて興味ないだろうなーって。
なので、ここまで読んでくださった、そこの紳士淑女の方々に感謝します。