現代アート作家・ヤマオタケシ(TakeshiYamao)ブログ -19ページ目

現代アート作家・ヤマオタケシ(TakeshiYamao)ブログ

「Stand UP!Monster!!人生を変えちゃうアートを!!!愛のバクダン!!!!もっとたくさん!!!!!落っことすゼ!!!!!!」

深田恭子が「適応障害」で芸能活動休止が報道されて、TVで「適応障害」の説明をしていたので興味深く観てました。


そこで「適応障害」と言う言葉を知り、どんな病気なのかと表面的にでも少し理解をしました。


そこで過去の自分を振り返ってみると、、、その前に前提として私自身(以降、俺)が小学校1年生から今年37歳になる30年間の精神疾患(精神疾患と診断されたのは22〜3くらいに病院に行った時だけども)を振り返ってみると、小1の時に原因不明の症状は「適応障害」が発端だと仮説すると納得できる部分があるなと思い、久しぶりに、エッセイ的なものを書いてみようと試みる。


俺が小1の時にパニック発作のような症状が出てから、症状を繰り返し学校に行けなくなったり行けたりと繰り返し、中学2年生の冬休みにトラウマ級のパニック発作に襲われて「不登校」and「引きこもり」and「ニート」になったわけだが、ある程度お外に出れるようになった頃からずっと考え続けてたのは、小1の時に我が身に起こったのは「パニック障害」と完結させたんだが、「適応障害」の内容を見るに「適応障害」からの「パニック障害」併発で引きこもりになり「鬱」を併発させたんじゃないかなと。


なんせ、30年も前のことだから記憶が曖昧なのだけど、教室という一度授業が始まったら抜け出せない閉鎖感がストレスで、風邪だったかな、体調の悪さがトリガーを引き「パニック発作」のような症状を起こしたと。


この「適応障害」というのは、TVの知識だけど、何かハッキリしたこれっというストレスが起因で起こるそうな。


それに対して、例えば「鬱」なんかは1つのストレスだけじゃなく、いろんなストレスが起因となり、、、っという、説明があった。


そう考えるとね、俺は今では珍しくもない母子家庭で育ってじーちゃんばーちゃんに面倒見てもらってたんだけど、小さい頃に散々言われた「親の愛情不足」なり、「教室という空間」なり、今ではもう思い出せないが、1つだけ思い出せるのが「教室という閉鎖空間」が嫌いだったことを思い出すと、この30年間の苦しみの始まりは「適応障害」が始まりだったんではなかろうかと。


ちなみに、30年苦しんできたと言うような表現をしたが、病気や障害の話に限って言えば当てはまるのだが、人間、30年も生きてりゃ色んな人と関わり、色んな文化に触れ、時代の流れを見てきて生きてきたわけだから、決して苦しい、辛い、しんどい、だけの人生ではないんだよなぁ。


あと、「パニック障害」にしろ「適応障害」にしろ、上にも書いたが散々聞いた「親の愛情不足」ではなく、思春期の頃は親に当たったりもしたが、仮にそうであったとしても、病気または障害なんだから、親のせいって事でもないでしょう。じーちゃんばーちゃんには愛情たっぷり貰ってたと思うし、親も兄貴も、忙しい中で自分なりの愛情を注いでくれたと思うし。っと考え、前向いて、親が作った家族じゃなく、自分で作ってく家族(または友人)、まぁ、平たく言えば与えられた環境で甘えてズブズブとパラサイトになるより、自分が作ってく環境の方に目を向けた方が良いんじゃないかな。っと22〜3才の時に病院を受診して、今の自分の状況を知り、それこそ物凄い恐怖と戦いながら今日は玄関から1歩外へ、明日は2歩外へと外の世界に出てゆき、今じゃ飛行機乗って海外まで行けるくらいにはなっとる。


しかし、いまだに世に言う「普通に働く」事が出来なくて、無理解もあるけれど、こんな俺が家族を持つ日なんて来ないと思ってたが、結婚し、今は奥さんのお腹に子供までいる。
一般的な線路から外れた生き方をしてきてる俺が、家族が出来るなんて思いもよらなかったが、その事自体は非常に幸福で、子供の誕生も楽しみで仕方がない。


人に恵ま、絵を描いて生きてくことも自然と続けられてて、状況だけを見ると幸せこの上ない環境に身を置いているが、でも、まだ、病気や障害のせいなのか、はたまた個々人の状況は関係なく「人間」の性なのか、まだまだ人生とは苦の連続。
気持ちが、精神が、心が、魂が、平穏になる事がない。
精神疾患は脳の誤作動とも言うが、それくらい、いわゆる「心の病」と言うものは根が深いと実感する。




ここから余談だが、さて、最初に「適応障害」からの話をしたが、いつも思うんだが、なんか、いつも話がズレていってるような。。。
ま、気にしなーい気にしない(。・ω・。)


タイトルがねー「ヤマオタケシという人間」にしたが、自分の30年間を書いたら、文章がもっと長くなるし、なんなら日々のアレやコレやを書いたら収集がつかんので、そんなのはTwitterで愚痴っとけばいいだけの話で、グダらないようかなり端折って、絵描き「ヤマオタケシ」はアーティストとしても、ただのいち人間としても、ここでは語りきれないけど、ただ、概要として、こんな人生を送ってるからこそ、今「絵描きのヤマオタケシがいる」っと思ってもらえればそれでよいかなーと。


絵を描き始めた時期も経緯もここでは書いてないが、作品作りにも、上に書いたような自分自身の経験から生まれ出るものが、コンセプトを決めてテーマをどんなに意識しても、それ以外の感情や想いが作品の中に組み込まれてしまうからね。


ここまで読んでくれる人はいるのだろうか?っと、長くなった文章を見て思う。
有名人でもなけりゃ、他人の人生なんて興味ないだろうなーって。
なので、ここまで読んでくださった、そこの紳士淑女の方々に感謝します。
「SNS〜吐き出された自意識は毒にしかならない〜」
Acrylic gouache on canvas
F4(333×242mm)
2021.02.10

誰もが自由にいろんな想いを世界に垂れ流せる時代

誰もが自由にいろんな主張を世界に垂れ流せる時代

誰もが自由にいろんな作品を世界に垂れ流せる時代

そんなSNSの世界で

顔も声も知らない人々の中で「いいね」1つで一喜一憂する人々

そこに希望はあるのでしょうか?

そこに理想はあるのでしょうか?

そこに未来はあるのでしょうか?

広大であるネットの世界

故に自由の使い道を知らない人々には狭く苦しい

吐き出した自意識は毒にしかならない



今、この瞬間、苦しんでる人の光になりますように。この子達が300年500年先のどこかの誰かの光になりますように。
3年後5年後の僕自身の光になりますように。

via Takeshi Yamao Art show
Your own website,
Ameba Ownd
「自意識過剰」
Acrylic gouache on canvas
SM(227×158mm)
2021.02.05

誰も僕のことなんか気にもかけてないのに

人の目が気になって

言いたい事も言えず

体の不調も笑って誤魔化す

まるで牙を抜かれたサーカスの虎のよう

僕は何のために生きてるのだろうか

via Takeshi Yamao Art show
Your own website,
Ameba Ownd
「浮上する自意識と沈みゆく自己」
Acrylic gouache on canvas
SM(227×158mm)
2021.02.03

自意識ばかりが先走り己の想いはおざなり

己はどこにあるのでしょうか?

どこまでも吐き出してしまう自意識

他人の目が気になり

過剰なほどに己の気持ちとは正反対にペルソナを着ける

自己の想いとかけ離れ

どんどん深みにハマってゆく



今、この瞬間、苦しんでる人の光になりますように。この子達が300年500年先のどこかの誰かの光になりますように。
3年後5年後の僕自身の光になりますように。

via Takeshi Yamao Art show
Your own website,
Ameba Ownd

中野 信子「ペルソナ 脳に潜む闇」を読みました。


本屋でジャケ買いと言うか、印象買いと言うか、チラッと見て、裏表紙に「わたしは存在しない」と言う言葉に、あ、これ買って読もうと思って手に取った本。


久方ぶりに読んだ本のアウトプットをやってみよう。


総括的な感想は、読んでいて、なんだか自分と似てるなって思った。

もちろん経歴も性別も何もかもが違う人なのに、俺、この人と中身?思考?が似てるなぁって。

っと書くだけじゃ本の内容に触れてないね。

ま、個人的感想でいいや。


んー、なんだろ、1つのテーマとして読み取れるのは日本人の気質や文化を、「脳科学」と「生きづらさを感じてきた著者の想い()」とを融合させて客観的に日本社会をぶった斬ってる感じ。


、、、アウトプットってこの本について書けるのこの程度だわ、今のワタクシ。



周りと浮いた存在、自分とは何だろうかっと考える者、闇を抱えて生きてる事を意識してる者。にとっては面白い本ではなかろうか。

随所に散りばめられた著者の闇の部分(その他大勢とは相容れぬ部分)も、脳科学と世の中とを照らし合わせて語っておられる部分が興味深いので。



そして、裏表紙に書かれていた「わたしは存在しない」っという言葉についてだけど、脳科学的に見て人間とは己をも騙す記憶を作り出す。とこから来て、人脈や、もしくはテレビなどメディアに出て知られる事が多くなるほどに他者から持たれる勝手なイメージ。と、自分自身が矛盾する考えや想いを持っていたり、、、「たった一つの自分」ではなく、多角的に見ると複数の自分がいる。そこからくる結論が「わたしは存在しない」じゃないのかな。っと推察。



昨今のTwitterで多いフェミニスト(女性解放運動)に関しても参考になるような事が書いてある。

研究結果や著者の体験の元、男性を非難するのではなく、傾向、ステレオタイプ、としての女性の不利な場面も書かれているとこも共感が持てる。

っと言うのも、余談だが、SNSなどでフェミニストと名乗る多くの人は女性解放運動ではなく、男性を責める、男性に嫌悪する「ミサンドリー」が多い傾向に見て取れるから。(あくまでも私個人の主観だが)



余談だが、、、

122p

(学者が)報酬を受け取る事ができるのは、静かに深くものごとを考える学者ではなく、自らの仕事をギリギリアウトにならないレベルにまで盛ってアピールすることができる、アメリカのビジネスマンのような研究者なのだ」

という言葉があるのだが、これを読んで、自分がアートを絵描きをやってる事に当てはめて考えてみたら、ぴったんこカンカンなんだよなぁ。日本の横文字アートの世界も。


市場の流れ、時代、流行をリサーチし、雑草魂よろしく、ぐいぐいと食らいついていかなきゃ生きてけない横文字アート。

自分が元気な時は、ただ作品を作るだけでなく、流れや流行を意識してコンセプトを考え、作品を作り、他者にアピールする。そういうものが現代アートだと思ってなんとか食らい付いて来たが、時代の流れは止まる事はなく、流行は日々変化し、真意の分からない大量の情報だけがどんどん流れるのを収集していくのに疲れた今の俺は、腑抜け。

もう「作品作ってるだけじゃダメなの??」って泣きそうになりながら作品作ってる。

泣かないけど。



著者は美術芸術がお好きなようで、私の絵が好みかは分からんが、、、何かどこかで縁があれば午後のコーヒータイムをご一緒してみたいなぁ。

私はこの本を読んでそう思ったが、後書きにも書いてあるが、著者はそういうのは好きではないようだ。

っというのも、メディアや本で読む「中野信子」というイメージを確定させて安心したい。そうでなければ仕事を持ってくるはず。と著者は考えておられるので、この本を自伝とし、私を知りたきゃこの本を読んで。っという意味合いもこの本にはあるようだ。

むしろ、私はこの本で「中野信子」さんと言う人物を知り、興味を持ったのだがね。