5日ほど前に、肺の病気で3年ほど入院している祖父の意識レベルが低下して病院に呼ばれた。
モニター(心拍数、血圧など)の数値は正常だけど、酸素吸ってるから、吐き出しがうまく出来なくなってきて頭に二酸化炭素がたまって意識が落ちたようだ。
いわゆる、CO2ナルコーシスっというやつ。
数値は正常なので呼吸器を入れてCO2を飛ばそうと言うことになり気管挿管かした。
お医者様も休みのところ急いで来てくれて、看護師さん一同、祖父を生かそうと頑張ってくれた。
そして、意識は戻った。
問題はここから。
意識が戻ったのは嬉しいことなのだけど、呼吸器が苦しそうで、2日目の夜で自分で抜いてしまったようで、抜いても特に数値に変化もないし意識もしっかりしてるので、看護師さんサイドじゃ大変だっただろうけど、問題なく今は酸素だけで生きてる。
1週間ほど朝晩、毎日様子を見に行ってるが、しかし、、、呼吸器は苦しそう。
顔を見に行く度「外してくれ」と目で訴える。
外れたら外れたで、絶食状態なので「食わせろ、水飲ませろ」っと言われても僕には何も出来ない。
尿の管も入ってるからか、抜かないように?手にミトンされてる。
「ミトンを取ってくれ」と弱った声で訴える。
だいぶ辛そうで、しんどそう。
果たして、意識レベルが低下した時、果たして気管挿管してもらって良かったんだろうか?っと思う。
食べたいものも食べれず、飲みたいものも飲めず、点滴で生きている。
こんな状態で生きていて、彼は幸せなのだろうか?
あの時、意識の無いまま逝かせてやれば良かったのか?
っと思い悩む。
個人的な想いとしては、先が短い命なら好きなもの食べて、好きなもの飲ませて死なせてやりたい。
だけど祖父の場合、食べる、飲む、その事自体が命に関わる。
水をゼリー状にして飲ませても、そこで酸素の数値が下がって苦しくなる。
なので食べたら、それこそ死ぬだろうな。
母子家庭だったから、小さい時は祖父祖母に面倒見てもらってた。
祖母はリウマチだったので、特に祖父には保育園の送り迎えとか、引きこもってる時は毎週ジャンプにサンデーにマガジンと買って家に持って来てくれていた。
今思うと、すごいマメな祖父。
可愛がられてたんだろうな、俺。
だから、恩返しとかじゃないけど、出来るだけ顔出したいし、出来る事なら何でもやりたい。
ただ、ここ一年、調子悪くてまともに面会に行ってなかったが。。。
すみません。
調子悪くなってから、また顔出し始めるなんて都合がいいよね。
っと俺の懺悔は置いといて。
医療の発達は多くの命を救うけど、それはとても素敵な事だけど、うちの祖父に関しては、医療の発達でもう危ないかもと言われる度、医療に助けられここまで長生きできたのだから(88か89かな?)、もう苦しいのなら辛いのなら楽に逝かせてやりたいと思う。
今までと「もう危ない」の質が少し違うから。
もう寿命なんだと思うから。
果たして彼にとって今は、今日は、とても辛く必死で命を繋いで生きてるんじゃないかと思う。
もしかしたら、気管挿管されるわ、手も自由に使えないわでもう死にたいと思っているのかもしれない。
それは、今の僕には知る由もないが、陳腐な言葉を使うと、自由が無くなった今、祖父にとって「生きてる意味」があるのだろうか?
家族サイドからすれば少しでも生きていてほしいと思うけど、今の祖父を見ていると辛そでかなりしんどそうなので、僕自身はもういいんじゃないかと、もう楽になってもいいんじゃないかと思う。
生きるという事はどういうことなのだろうか?
死ぬとはなんだろうか?