この本、発売した当初に目について気になってたんだけど、その頃は小説以外の本を読まなかったので、その時は読まなかったんだよね。
で、最近は小説以外の本を読みたくてブックオフ行ったら100円で売ってたから買ってみたの( ̄▽ ̄)
本の最初の方のたけし軍団の間抜けエピソードは読みながら笑ってしもたなぁ。
つかみはOKです(。-_-。)
間が悪いからって、だから悪いってことでもなくて、間抜けって一生懸命やってもどこかズレちゃう人だから、その時はイライラしちゃって怒ったりもするけど、あとあと思い出すと愛嬌みたいなのあって面白くていいよねっとか。
一般社会でならクビになるかもしれないけど、芸人ならそれは時として勲章になることもあるよなぁっとかとか。
確かに、活躍する舞台が違えば求められるモノも違うくて、やっぱ、生き方って一つじゃないんだよなぁ( ̄▽ ̄)
人が1人死んでも悲しむのは親族と友達くらいで、社会にとって別に痛くも痒くもないけど、だからって不要な人間なんていなくて、みんなそれぞれ道があって、視点を変えれば生き方もいっぱいあるんだよなぁ。
その後の話は、まぁ、生きてく上で「間」がどれだけ大事か、映画撮るにしても、漫才するにしても、「間」が大切だし、たまたま生まれてきたこの生きてる時代の「間」ってのもあるしね。
漫才ブームが起きた時代に漫才師やれて「間」が良かったなぁみたいな、不可抗力的な力っていうのかな?
ゴッホも生きてる時は絵を理解してくれる人がいなくて、死んでから売れちゃって間が悪いよなぁっとかね( ̄▽ ̄)
ただ、この本の発売された時期のビートたけしの考え方は、芸術家は生きてるうちに売れて消えて無くなるより、今の時代に受け入れてくれる度量がなくても後世に残る作品を狙ってく方が芸術家じゃねぇか?って考えみたいね。
ん~、おれ、今売れたいです( ̄▽ ̄)
たった今売れたいです( ̄▽ ̄)
人並みの生活を送りたいです( ̄▽ ̄)
まぁ、その日暮らしの今も嫌いじゃないけどね( ̄▽ ̄)
ただ、くろこちゃんを仏のような存在にしたくて、300年先くらいに仏みたいに人の気持ちを救うような拝まれるキャラになってたらなぁーっとかは考える( ̄▽ ̄)
さてさて、この本でも書いてるけど、今の時代、間が無くなってきちゃってギスギスしてるし、俺が思うのは「これが幸せの形ですよぉー」ってマスコミに押し付けられた幸せの形を探して自分の間を無理矢理埋めるように生きてる人がいっぱいいるように思うんだけど、幸せなんてさぁー、人それぞれなんだし、それこそ、人それぞれ「間」が違うわけだしさ、胡散臭い言葉を使えば、それこそフィーリングっていうのかなぁ?
なんだろ?
まぁ、「間」を埋めるばかりじゃなく、「間」をとって生きる時も必要なんじゃない?
自分でもまだ「間」というのを言葉で説明できるほど理解してないので、なんて書いたらいいんだろうか(。-_-。)
まぁ、いいや( ̄▽ ̄)
テキトー。
テキトー。
あははははψ(`∇´)ψ
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ぶっちゃけ、小さい時は読書感想文なんて超苦手で書くことすら拒否してたくらいだから、本について何かを書くのは、「俺のこの解釈は間違ってないだろうか?」っとか気にしちゃうんだけど、まぁ、もうなんでもいいや。
好き勝手書いてやるψ(`∇´)ψ
なので、批判も肯定も甘んじて受け入れやす(。-_-。)