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「編集者がシェアしたい本」 3分で一冊読んだ気になる読書ブログ

出版社で書籍の編集者をやっています。
読んだ本からシェアしたい名言・格言をご紹介させて頂きます。

「我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります。戦争が終わった時、我が国民はこのような戦争を再び繰り返してはならないとの深い反省にたち、平和国家としての道を歩むことを固く決意して、国の再建に取り組みました」」(1992年10月揚国家主席主宰晩餐会)

「中国というのは近い国ですね。日本人として、中国は非常に重要な国だと思います」(1978年8月夏の定例会見)

「歴史的に見てみると、日本の文化というのはずいぶん中国の恩恵を受けているわけですね。中国からあるものを受けいれて、日本の文化というものが形成されてきたわけです。そういう歴史的な過程というものを十分知っておくことが、これからの中国との付き合いの基本になるんじゃないかと思います」(1994年8月夏の定例会見)

「両国の永く密接な交流の間には、我が国が朝鮮半島の人々に多大の苦難を与えた一時期がありました。私は先年、このことにつき深い悲しみの気持ちを表明いたしましたが、今も変わらぬ気持ちを抱いております。戦後、我が国民は過去の歴史に対する深い反省の上に立って、貴国国民との間にゆるがぬ信頼と友情を造り上げるべく努めて参りました」(1994年金泳三韓国大統領ご夫妻のための宮中晩餐)

「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京をはじめとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、いま、極めて大切なことだと思っています」(平成27年元旦新年の抱負)

「この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。
戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を守るべき大切なものとして日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。
戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」(80歳の誕生日会見)

(第二次大戦末期、疎開先で戦況の見通しについて説明に来た陸軍中将・有末精三に対して)
「なぜ、日本は特攻隊戦法をとらなければならないの」

(秋の園遊会で当時、東京都教育委員を務めていた元棋士の米長邦雄氏が「日本中の学校に国旗を挙げて国歌斉唱させるのが私の仕事でございます」との言を受けて)
「やはり、強制になるということではないことが望ましいですね」

天皇という権威をかかげて、国民に法的根拠のない義務を強制することは絶対にしない

「沖縄の問題は、日米両国政府の間で十分に話し合われ、沖縄県民の幸せに配慮した解決の道が開かれていくことを願っております」(63歳の誕生日会見)

■日米安保の本質
・米軍は日本の国土全域で何の制約も受けず、自由に軍事行動ができるという条約を「日本側から希望して結んだ」という形になっている
(1957年アイゼンハワー大統領への調査報告書9
・米軍は1952年の日本独立後も占領中に持っていた権利を全て持ち続けている
・米軍は日本政府との協議なしに、日本国内で自由に行動することができる
・米軍は日本政府の許可なく、自由に日本に出入国することができる
・米軍は新しい基地の条件を決める権利も、現在の基地を使い続ける権利も持っている

「天皇は憲法に従って務めを果たすという立場にあるので、憲法に関する議論については言を慎みたいと思っています」(平成元年8月即位に際して)

「天皇という立場にあるということは孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました」(80歳の誕生日会見)

「皇后は結婚以来、常に私の立場と務めを重んじ、また私生活においては昭和天皇をはじめ、私の家族を体質にしつつ私に寄り添ってきてくれたことを嬉しく思っています。
私ども二人は育った環境も違い、特に私は家庭生活をしてこなかったので、皇后の立場を十分に思いやることができず、加えて大勢の職員と共にする生活には戸惑うことも多かったと思います。しかし、何事も静かに受けいれ、私が皇太子として務めを果たしていく上に、大きな支えとなってくれました」(結婚満50年の会見)

■明仁皇太子と美智子妃の養育方針
・皇室史上初めて病院で出産
・渋谷区から母子手帳をもらう
・母乳不足に備える乳母制度の廃止
・親子同居の実現
・専任の養育係を置かず、ご自身たちで子育てをする
・時には美智子妃が自ら料理を作り、夕食後は必ず一家団欒の時間を持つ

■美智子皇后のお言葉

「誰もが弱い自分というものを恥ずかしく思いながら、それでも絶望しないで生きている。そうした姿をお互いに認め合いながら、懐かしみあい、励ましあっていくことができればと、そのように考えて人とお会いしています」(46歳の誕生日会見)

「25年もけなげに孤独な道をお歩きになっていらした東宮(=皇太子)様のために乏しい力の全部をあげて暖かいホームを作ろうと決心いたしました」(毎日新聞記者宛の手紙)

「とりわけ自らが深い悲しみや苦しみを経験し、むしろそれゆえに、弱く、悲しむ人々のかたわらに終生寄り添った何人かの人々を知る機会を持ったことは、私がその後の人生を生きる上の指針のひとつになったと思います」(70歳の誕生日会見)

「私は今でも昭和34年のご成婚の日のお馬車の列で、沿道の人々から受けた温かい祝福を感謝と共に思い返すことがよくあります。東宮妃として、あの日、民間から私を受けいれた皇室とその長い歴史に傷をつけてはならないという重い責任感とともに、あの同じ日に私の新しい旅立ちを祝福して見送ってくださった大勢の方々の期待を無にし、私もそこに生を得た庶民の歴史に傷を残してはならないという思いもまた、その後の歳月、私の中に常にあったと思います」(70歳の誕生日の文書回答)

「私の目指す皇室観というものはありません。ただ、陛下のお側にあって、全てを善かれと祈り続ける者でありたいと願っています」(60歳の誕生日の文書回答)

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天皇皇后両陛下がいかに世界の平和のために心を砕かれていらっしゃるのかを、
恥ずかしながら初めて知りえた。

特に10度も足を運ばれている沖縄への思いは、
自分などには想像もつかないものでいらっしゃるのだろう。

戦争はいけない。平和がすべて。
そう語るのはたやすい。

自分は何をどう考え、どう行動していくのかを
改めて考える大きな機会を与えて頂いた。

身が引き締まる一冊だ。



自分は右でも左でもなければ、ナショナリストでもないし、
原発推進派でも原発反対派でもない。

反安倍派でもないし、自民党支持派でもない。

ごくごく普通の思想というか、関心が薄い方だと思う。
ただ、戦争はいけない、繰り返してはならないという考えは勿論ある。

そんな一般的な考えの持ち主にこそ、ご紹介したいのが本書だ。
著者は、ベストセラーになった『日本はなぜ、「基地」と「原発」を
止められないのか』の矢部宏治氏。

<私たち日本人が誇りにし、何より守りたいと思っている
「戦争をしない国」(=平和国家)という基本のかたち。
それがなぜ、安倍政権によって破壊されようとしているのか。
なぜ、圧倒的多数派であるはずの私たち非戦派は勢力を
結集してそれを押し戻すことができないのか>

あとがきに書かれたこの言葉は、自分も含め、
一般的な人々がニュースをみながら何となく疑問に感じる
思いと近いものではないだろうか。

<日本はついに、平和憲法指一本触れぬまま、平和憲法を
完全に葬り去ろうとしている。
憲法についてなに一つ議論しないまま、世界中で米軍の指揮もと
「戦争ができる国」(=他国に先制攻撃を行う国)になろうとしているのです>

終戦記念日の今日くらい、今、日本が置かれている現状について
向き合ってみようかな。
そんな方には、写真も多く、ページ数も僅か128ページと
気軽に手に取ってもらえるのではないだろうか。

天皇皇后両陛下のお言葉に様々な思いが巡ってくる一冊。
正直、そのような思いでいらっしゃったとは存じあげないこと
ばかりであった。

特に印象に残ったお言葉は以下。
*「  」で注釈のないものはすべて平成天皇(明仁天皇)の
 言葉・文書として、本書に掲載されているものです。

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「深い闇」とか「もがき苦しむ」というと、「今の天皇のイメージには合わないな」と仰る方も多いかもしれません。しかし、明仁天皇と美智子皇后ほど大きな闇を体験し、その中でもがき、苦しみ、深い思索を重ねた方は珍しいのではないかと私は思っています

I shall be Emperor.(私は必ず天皇になります)
これは明仁天皇が学習院高等科の最初の英語の授業で、「将来、何になりたいのかを書きなさい」という課題に対して英語で書いた回答です。
「普通の日本人だった経験がないので、何になりたいと考えたことは一度もありません。皇室以外の道を選べると思ったことはありません」(1987年米国報道機関からの質問に文書で回答)

「僕は天皇職業制をなんとか実現したい。毎日朝10時から夕方6時までは天皇としての事務を取る。その後は家庭人としての幸福を掴むんだ」(結婚式直前に友人に語ったと東京タイムスより)

「僕は皇居内に住みたくない。皇居はなるべく早く開放して、大衆向きの公園に使ってほしい。天皇になっても、僕は街の中に住む」(結婚式直前に友人に語ったと東京タイムスより)

沖縄では昭和天皇に対する批判は非常に強いけど、今の天皇に対してはそれとは違う感情を持っている。というのも明仁天皇は、沖縄にしょっちゅう来て戦没者を慰霊してるんだけど、そのとき「琉歌」という沖縄形式で歌を詠んだりするんだよ(著者知人の証言)

「石ぐらい投げられてもいい。そうしたことに恐れず、県民の中に入っていきたい」(沖縄初訪問を前に)

■ひめゆりの塔事件(1975年)
・ひめゆりの塔の前で明仁皇太子(当時)と美智子妃に向かって火炎ビンが投げつけられた
・それでも明仁皇太子はスケジュールを変えず、煙を大量に吸い込んだ服も着替えず、次の慰霊地へ向かわれた
(沖縄に住む有識者の世論調査の結果)
1、長い間のモヤモヤがあの一発で吹っ切れた
2、皇太子ご夫妻にあたらなくてよかった
3、皇太子ご夫妻に好感を抱いた

(第2次大戦中、米軍の魚雷攻撃で撃沈された学童疎開船・対馬丸についての説明を受けた際)
「なぜ護衛艦が児童の救助に向かわずに危険海域から脱出したのでしょう。
護衛艦はそういう時には助けないという決まりになっていたのですか」


「政治から離れた立場で国民の苦しみに心を寄せたという過去の天皇の話は象徴という言葉で表すのに最も相応しいあり方ではないかと思っています。私も皇室のあり方としては、そのようなものでありたいと思っています」(結婚25周年の記者会見)

「広島、長崎は原爆のため印象的でよく知られていますが、沖縄は逃げ場のない島です。たくさんの人たちが亡くなったのに、本土の人たちの視野から落ちがちです。本土から大勢の人が訪れますが、沖縄の人々の痛みを分かち合うようになってほしい。それが本土復帰を願った沖縄の人々に対する本土の人々の道であると思います」(1987年8月)

「日本ではどうしても記憶しなければならないことが4つあると思います。終戦記念日と広島の原爆の日、長崎の原爆の日、そして6月23日の沖縄の戦いの終結の日、この日には黙祷をささげて、今のようなことを考えています」(1981年8月)

「どうしても腑に落ちないのは、広島の原爆犠牲者の慰霊式の時はテレビ中継がありますね。長崎は中継がないんですね。沖縄戦でも県では慰霊祭を行っていますが、それの実況中継はありません。平和を求める日本人の気持ちは強いと思うのに、どうして終戦の時と広島の時だけに中継をするのか」(1981年8月)

明仁天皇自身は、必ずこの4つの日には家族で黙祷をささげ、外出も控えて静かに過ごされる。

■2015年3月に東京で行われたドイツのメルケル首相講演
・自分はもともと物理学者であり、長年、原発推進派だった
・しかし福島の原発事故を見て、考えが変わった
・日本のような高度な技術を持つ国でも想定外の事故が起こることを知り、ドイツは2022年迄に原発を全廃すると決めた


<その2へ続く>
ブログのタイトル詐欺になってしまって申し訳ないが、
非常にすばらしい小説に出会ったのでご紹介したい。

以前、「くちびるに歌を」を紹介したところ、
「同じ著者なら『百瀬、こっちを向いて。』
もお薦めですよ」と言われ本書を手に取った。

4編の短編が収められているが、どれも若者の淡い恋愛模様が描かれている。
4作品に共通しているのが、皆、奥手で恋愛とは
縁遠い主人公を題材にしているところ。

特に自分が気に入ったのは昨年、映画化もされた表題作。
自称「人間レベル2」の男子高校生ノボルが、
学校のアイドル的存在で幼なじみの
宮崎先輩から偽装カップルを頼まれる。

ノボルにとって宮崎は子供の頃からの憧れであり、
幼少期の命の恩人でもあるが故、
女の子と話すことさえままならない非モテ男でありながら、
その頼みを聞き入れる。

その偽装相手の少女・百瀬が活発で積極的、
不良にも動じない度胸の持ち主とノボルとは対照的。

ノボルは偽装でありながら、徐々に百瀬に惹かれていく、
というストーリー。

ホント、高校時代にこんな恋愛がしたかったなぁ~
と読みながら何度も胸がいっぱいになった。

登場人物の誰もが魅力的で愛しくて、地味だけれど、
不器用でまっすぐな思いが痛々しいほど伝わってくる。

他の3作品もハズレがなく、日常のほんの一コマを切り取りながらも、
繊細で揺れる想いを淡々と描ける著者の筆力に脱帽。

高校野球シーズンと相まって、「高校時代に戻ったら……」
などと夢想してしまう作品だ。

野球部の練習後に舌を緑色に染めながら飲んだチェリオの味が
甦ってくるような、胸の奥が切なくなる一冊だった。