「我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります。戦争が終わった時、我が国民はこのような戦争を再び繰り返してはならないとの深い反省にたち、平和国家としての道を歩むことを固く決意して、国の再建に取り組みました」」(1992年10月揚国家主席主宰晩餐会)
「中国というのは近い国ですね。日本人として、中国は非常に重要な国だと思います」(1978年8月夏の定例会見)
「歴史的に見てみると、日本の文化というのはずいぶん中国の恩恵を受けているわけですね。中国からあるものを受けいれて、日本の文化というものが形成されてきたわけです。そういう歴史的な過程というものを十分知っておくことが、これからの中国との付き合いの基本になるんじゃないかと思います」(1994年8月夏の定例会見)
「両国の永く密接な交流の間には、我が国が朝鮮半島の人々に多大の苦難を与えた一時期がありました。私は先年、このことにつき深い悲しみの気持ちを表明いたしましたが、今も変わらぬ気持ちを抱いております。戦後、我が国民は過去の歴史に対する深い反省の上に立って、貴国国民との間にゆるがぬ信頼と友情を造り上げるべく努めて参りました」(1994年金泳三韓国大統領ご夫妻のための宮中晩餐)
「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京をはじめとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、いま、極めて大切なことだと思っています」(平成27年元旦新年の抱負)
「この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。
戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を守るべき大切なものとして日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。
戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」(80歳の誕生日会見)
(第二次大戦末期、疎開先で戦況の見通しについて説明に来た陸軍中将・有末精三に対して)
「なぜ、日本は特攻隊戦法をとらなければならないの」
(秋の園遊会で当時、東京都教育委員を務めていた元棋士の米長邦雄氏が「日本中の学校に国旗を挙げて国歌斉唱させるのが私の仕事でございます」との言を受けて)
「やはり、強制になるということではないことが望ましいですね」
天皇という権威をかかげて、国民に法的根拠のない義務を強制することは絶対にしない
「沖縄の問題は、日米両国政府の間で十分に話し合われ、沖縄県民の幸せに配慮した解決の道が開かれていくことを願っております」(63歳の誕生日会見)
■日米安保の本質
・米軍は日本の国土全域で何の制約も受けず、自由に軍事行動ができるという条約を「日本側から希望して結んだ」という形になっている
(1957年アイゼンハワー大統領への調査報告書9
・米軍は1952年の日本独立後も占領中に持っていた権利を全て持ち続けている
・米軍は日本政府との協議なしに、日本国内で自由に行動することができる
・米軍は日本政府の許可なく、自由に日本に出入国することができる
・米軍は新しい基地の条件を決める権利も、現在の基地を使い続ける権利も持っている
「天皇は憲法に従って務めを果たすという立場にあるので、憲法に関する議論については言を慎みたいと思っています」(平成元年8月即位に際して)
「天皇という立場にあるということは孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました」(80歳の誕生日会見)
「皇后は結婚以来、常に私の立場と務めを重んじ、また私生活においては昭和天皇をはじめ、私の家族を体質にしつつ私に寄り添ってきてくれたことを嬉しく思っています。
私ども二人は育った環境も違い、特に私は家庭生活をしてこなかったので、皇后の立場を十分に思いやることができず、加えて大勢の職員と共にする生活には戸惑うことも多かったと思います。しかし、何事も静かに受けいれ、私が皇太子として務めを果たしていく上に、大きな支えとなってくれました」(結婚満50年の会見)
■明仁皇太子と美智子妃の養育方針
・皇室史上初めて病院で出産
・渋谷区から母子手帳をもらう
・母乳不足に備える乳母制度の廃止
・親子同居の実現
・専任の養育係を置かず、ご自身たちで子育てをする
・時には美智子妃が自ら料理を作り、夕食後は必ず一家団欒の時間を持つ
■美智子皇后のお言葉
「誰もが弱い自分というものを恥ずかしく思いながら、それでも絶望しないで生きている。そうした姿をお互いに認め合いながら、懐かしみあい、励ましあっていくことができればと、そのように考えて人とお会いしています」(46歳の誕生日会見)
「25年もけなげに孤独な道をお歩きになっていらした東宮(=皇太子)様のために乏しい力の全部をあげて暖かいホームを作ろうと決心いたしました」(毎日新聞記者宛の手紙)
「とりわけ自らが深い悲しみや苦しみを経験し、むしろそれゆえに、弱く、悲しむ人々のかたわらに終生寄り添った何人かの人々を知る機会を持ったことは、私がその後の人生を生きる上の指針のひとつになったと思います」(70歳の誕生日会見)
「私は今でも昭和34年のご成婚の日のお馬車の列で、沿道の人々から受けた温かい祝福を感謝と共に思い返すことがよくあります。東宮妃として、あの日、民間から私を受けいれた皇室とその長い歴史に傷をつけてはならないという重い責任感とともに、あの同じ日に私の新しい旅立ちを祝福して見送ってくださった大勢の方々の期待を無にし、私もそこに生を得た庶民の歴史に傷を残してはならないという思いもまた、その後の歳月、私の中に常にあったと思います」(70歳の誕生日の文書回答)
「私の目指す皇室観というものはありません。ただ、陛下のお側にあって、全てを善かれと祈り続ける者でありたいと願っています」(60歳の誕生日の文書回答)
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天皇皇后両陛下がいかに世界の平和のために心を砕かれていらっしゃるのかを、
恥ずかしながら初めて知りえた。
恥ずかしながら初めて知りえた。
特に10度も足を運ばれている沖縄への思いは、
自分などには想像もつかないものでいらっしゃるのだろう。
自分などには想像もつかないものでいらっしゃるのだろう。
戦争はいけない。平和がすべて。
そう語るのはたやすい。
自分は何をどう考え、どう行動していくのかを
改めて考える大きな機会を与えて頂いた。
改めて考える大きな機会を与えて頂いた。
身が引き締まる一冊だ。

