珍しく湿度の高い日が続いています。
数秘術のセッションをうけてみたい、と思うきっかけのひとつに、
自分のパーソナルイヤーナンバーを知って日々の参考にしてみたい、ということがあるように思います。
数秘の師である・阿部としみさんのブログにこのことが詳しく、そしてすてきにまとめられていて、
自分も何か書いてみたいと思いました。
私は4月生まれです。
誕生日の節目あたりになると、師の数秘セッションを受けたくなるから不思議です。
私は、パーソナルイヤー”2”の年に入りました。
”1”の年、2020年を振り返れば、長いロックダウンによってなにもかもが振出しに戻されたように感じる、まさに”1”の年、だったように感じます。
けれど、それがあったから得たものも間違いなくあった。
それがあったから何かが始まった、そんなふうに思えることもあります。
としみさんのブログでは、
”1”は”勇者の息吹”の年、という素敵なアドバイスの言葉でまとめられています。
どんな自分にも、自分で心からイエスと言えた時が最強。
そう感じます。
それから自分自身を振り返って思うことは、
何かを始めなければ!という焦りは決断を鈍らせる、ということです。
それよりも、すでに持っているもので十分戦える、と自分を鼓舞することに集中すれば、ぐっと力がみなぎるように思いました。
”9”の年からいろいろなものが断捨離状態になってくるので、せっかく必要最小限になったところにまたいろいろ詰め込むよりも、シンプルな環境で清々しくいる方がずっと健康的です。
私の母は、片付けて隙間ができるとそこにまたものをおきたくなる性格でした。
置くたびに妹がお説教して処分するということを根気よく続けてくれたおかげで、その悪習も治りました。
今思うと、なにもない=不安、という母の心が少し見えるような気がします。
モノが増えるとそんなことを思い出して反面教師にする娘です。
前置きが長すぎましたが、私は”2”の年です。
セッション中に心強く感じた言葉は、「”2”の年は、不思議と助けが入るから」でした。
2は、助け船がやってくる。
言葉を投げてもらい、自らでひろいに行く、それがセッションを受ける醍醐味だろうと感じます。
誕生日が過ぎて3か月。
不思議なタイミングでメッセージや電話がはいって、まさに今それを考えていました!、ということが多いように感じます。
今年は助け舟が来るぞ、と思っているからそう感じだけでしょうと言われればそうだろうし、
そう思っているからそういう状況が起こってくるのかもしれないし、
それはどちらでもいいことなのかもしれません。
どちらであっても、
どうであっても、
自分が拾ってきた言葉で自分を勇気づけて今日生きていけるのなら、それが一番大切なことだからです。
言葉の威力は、どんな薬よりも即効性があり、強力で、
言葉には、生と死の両極が宿っているように感じます。
生にも死にも向かわせることのできる、おそろしくて偉大なもの。
”2”は、写し鏡です。
目の前に現れる人や物事は、自分のありようを教えてくれている鏡のようなものといいます。
私が最近感じることは、向き合うものは結局、自分でしかないということです。
これはやりたい?やりたくない?
これはすき?これはきらい?
つまるところ、自分との話し合いが折り合わず迷いがうまれ、そこから無数の感情に派生していくだけのこと。
自分と他者を秤にかけて苦しんでいるようでも、よく眺めてみれば、自分の相反する感情が秤の両端でゆらゆらしているだけだったりします。
諦めなきゃ、諦めたくない。
食べたい、食べちゃダメ。
嫉妬、そんなのみっともないよ。
日常に起こる様々な出来事をひとつひとつ手にとって秤にのせ、自分のおもう常識や世界と比べている。
そうし続けているうちに、自分の好きとそうでないものが確認できるかもしれないし、できないかもしれない。
白黒はっきり決断する練習と言えるし、
決めきれない自分を認める作業かもしれないし、
迷い悩むことが好きなのかもしれないし、
答えは一つだけじゃないんだよということかもしれないし。
でもおそらく、いつかそんな自分に飽きてくるんじゃないかなと思います。
なんかこのパターンから外れたい!、と。
そうするとちょうどよく、飛び出す”3”がやってくる!
だから、飽きるまで悩んだり、ぐるぐるしてみるってことも大事なことなんだと思います。
悩みつくす、っていうのも、ある意味で完成形だろうと思います。
心がすっきりと晴れ波風のない時にだけ、自分の姿を自分ではっきりと見て取れる”水鏡”のようなものが心の中にあるような気がします。
ひたすら自分をみようとし続けることが、生きるということなのかなと、先日ふと思いました。
”2”の年は、パートナーシップ、恋なんていうのにもよさそうな。
先日、『赤色エレジー』という1970年の漫画を読んでみたくてしらべていたら、こんな文章にであいました。
元漫画編集者の由利耕一さんがこの漫画について評されたものです。
”動物の中で、ヒトだけは求愛に学習が必要だと言います。”
たった一度の恋しかしたことのない人というのは稀かもしれません。
失敗経験をいかに次にいかせるか。
恋愛から学ぶことは、意外と多岐にわたります。
夫婦というカタチの中なら、難問奇問は出てきて当然と言えるのかもしれません。
60代後半の友人は素敵なボーイフレンドを得て、600マイルドライブして会いに行きます。
誰かを想う気持ちは、すごい力をうむなあと驚きます。
それは、パートナーだけでなく、家族、友人など、大切に想うすべての人との間で生まれる力。
求愛学習。
上手に人を愛するって難しいけど、うまくなりたいですね。
夕べ久しぶりに向田邦子さんの本を読みました。
高校生の頃に叔母に勧められて『思い出トランプ』を読んだのが最初です。「向田作品は、いつかあんたを助けるけん」と押し付けられて、まんまとはまりました。
向田さんとはなにか重なる部分が多くて引き込まれてしまうので、もうずっと読み返すことができずにいました。
向田さんがお父様のことを多く書かれたように、私にとっても父との関係性は人生から外せないテーマです。
昨夜はすっかり夜更かしでした。
”私にとって愛は、ぬくもりです。
小さな勇気であり、やむにやまれぬ自然の衝動です。
『神は細部に宿りたもう』ということばがあると聞きましたが、私にとっての愛のイメージは、このとおり『小さな細部』なのです。”
”2”は細部。
そして、ゆっくり。
心の中にいつまでもずっとある小さな疼きは、見捨てずに大事にした方がいいです。
それがどんなものでも、自然とどこかに解けてゆくまでは、ただじっと抱きしめておいていいんじゃないかな、とそんなことを思いながら眠った夜でした。
卵たちの上にそっと座り続ける母鳥のようにしていれば、時が来ればそれは自然とふ化してどこかへ解けて行ってしまう。
最初はなんでも、小さいんだと思います。
物事は必要な分の時間をちゃんと知っていて、時計に縛られた人間だけが遅い早いとやきもきしているだけのような気がします。
実は“2”は、私にとってはチャレンジングな数字。
そして自分の数秘チャートに結構登場する数字。
自分へむけて書いているようなまとまりになってしまいましたが、
パーソナルイヤーに限らず、
”2”という数字が自分にとってはキーだなと感じる方に届くものがあればうれしいなと思います。
Kiki
マジェンタとのコントラストがとても美しかったです。
プラスとマイナスがないと発電しないんだよなー。
ヨガの最中に花を見ながらそんなことを思いました。
昨日の夕涼み。
かわいらしいものを寄せ集め。
ピンクのシロツメクサの集団。
解説不要。
キミはステキだ。