入團を果たし(仮入團)、そこからは母校の歌やら応援の形体、声を出したりという基本練習、といったことを毎日やっていく日々でした


応援するぞ!といったところで、いろんなことを覚えて、練習してからいかないと行ってもなんの役にもたちません

ただ、1回生で初めての応援なんで、とにかく気合入れて声を出し続ける、ということから始めるしかないワケです

まあ歌詞やフリを間違えることより、声が小さいやら気合が入ってないことが應援團としては恥ずべきことなんですね

間違えようがなにしようが気合を入れてやりきることのほうが大切なワケでして


とはいうものの、これはいまだから言えることであって、基本的には間違えてはならんものです

間違えれば後から先輩方からお叱りを受けるワケです

間違えるより間違えないほうが何事も上手くいきます😅


そうこうしているうちに、ついに春のリーグ戦の応援が迫ってきました

初陣です😄

もう30年も前のことなんで、対戦相手も忘れましたが、相手の応援団はいない(応援団が無くなった大学)のは覚えております


前の日、ワシは『あした初めての応援やねん』と気合を入れて家に帰りました

ワシは実は高校からずーっとスポーツ刈りであり、その後もずーっと35歳になる手前くらいまで同じ髪型でした(スポーツ刈りやめてからはずーっと『スキンヘッド』にしております😅)

それを聞いた兄貴(当時は大学生です)が、『ちょっと気合足らんのちゃうか?ここはやはり剃り入れなあかんのちゃう?』と笑いながら煽ってきました😅

そやのー、それええなー😅

兄貴の発案?により、ワシはスポーツ刈り+鬼剃りという昭和の不良スタイルになりました


そして鬼剃りが入った気合の姿で当日登校し、いよいよ応援に出動することになりました

場所はいまは亡き日生球場


応援に行く際は制服(学ラン)・制帽(昔の機関車の運転士のような革の帽子、だいたい靴墨で真っ黒に艶出しされているため、雨や汗で靴墨が流れてカッターシャツが黒くなる)・腕章(幹部は役職名が入る、幹部以外は◯◯大学應援團と入っているだけ)を着用する

制帽は備品を守るために横に立つ時などと球場内のみ着用する、という決まり

また制服の下はカッターシャツ、当然革靴(靴下は黒)、応援に行く際は財布やらは所持禁止、ハンカチ(白)とちり紙は持っていないといけなかった

が、ワシはいつもこっそり財布は持って行ってたけどね😅


移動にも細かい決まりがある

まず部室で集合し、『行け!』となると下級生は駅までダッシュ、駅に着けば切符を買って整列、幹部の到着を待つ

幹部が着いたらまた集合、『◯分の電車に乗れ!』となると、電車が来たらダッシュで乗る

要は、指示→ダッシュ移動→集合→指示→ダッシュ移動→集合、を繰り返すワケですな

当然電車で座るなんてことはありえない

つり革に掴まるのもない

また、團旗や太鼓も同じように運ぶ

團旗も太鼓も二人で持ってダッシュで運搬する

ある意味、下っ端の團員より團旗や太鼓のほうが位が上のようなものである😅

そして集合中は團旗や太鼓は『サイド』という『護り役』がつく

『サイド』は制帽をかぶり、團旗や太鼓の横に立つ

『サイド』は無言で務めなくてはならず、もし通りがかりの人が團旗を触ったり太鼓を触ったりしそうになれば身体を張って止めなければならない


ワシらの頃はそんなことはなかったが、これはおそらく昔の全盛期(他大学との抗争も全盛期)、團員もたくさん居た頃に他大学が團旗や太鼓を襲いに来たことがあるのであろう

それを護るためにいかなる時も護る役をつけたのが始まりかと思う

実際、OBの方は他校の團旗を襲い(燃やし)に行かれた方が居たと言われてたし😅


話が逸れたが、ワシらは近鉄→環状線を乗り継いでついに森ノ宮の駅に到着した

森ノ宮から日生球場までは猛ダッシュである

球場に入ると応援の用意

これを1秒でも早くせなあかんワケだ

応援席、というのは基本的に自校のベンチ側の内野席全部になる

その一番真ん中のええ場所にリーダーが立つ

そこらに応援道具を用意する

当時やから必ず灰皿も🚬(当時は球場内はタバコOKだった)

横断幕を張る

團旗の用意

太鼓の用意

そして『水』の用意である

『水』とは、『応援中に摂取する水分』である

いまはそんなことやっている人おらんと思う

ましてや熱中症だの感染症だのあるし

当時、我々に与えられる水は『コーラ瓶1~2本』と決まっていた

小さいコーラの空き瓶に球場のトイレの手洗いで汲んだ水を与えられるだけ😅

しかも『この便所の水は飲用ではないので飲むな』と貼り紙がしてあった

が、この水が無ければ我々は死んでしまうのである


この水が人生の中で一番旨い水だった、とワシは常々言っている

人間、いつでもある、というものは有難味がないから、旨いも不味いもないものが多い

しかし、もうこれが無いと死ぬ!って時に食べたり飲んだりしたものこそ、死ぬまで記憶に残るものである


そして用意が終わり、試合が始まった

ワシは『兵隊』としてリーダーに合わせて歌やフリをする立場である

そして母校が守備をしている時はひたすら『野次』を飛ばすのがしきたりである(この時は座れる)

が、野次が途切れると前のほうに座る幹部が後ろを振り返って睨んでくる(もっと野次飛ばさんかい!という圧力)

野次が少ないと学校に帰って叱られる😅


試合中、ワシはふときょうのスタンドに何人くらい居るのか数える気になり、数えてみた

あっ、この当時、大学野球というのは基本的に平日の昼間開催であった(現在は土日開催に移行しそれなりに観客も入っている)

スタンドに入っている人とはだいたい父兄か関係者か応援団である

この日の相手校は応援団がいなかった


ちなみにこの日の観客?は30人を切っていた😅

えっ、大学野球ってこういうもんなん?

コロナ禍になり、プロ野球が無観客試合になったのがテレビで中継されていたと思うが、状況としてはあれが近い

高校野球のほうが断然華やかである

というのも、ワシの母校の應援團は他校と大きく違いがあった

だいたいの大学は『三部制』である

リーダー部→ワシらみたいな学ラン部隊

吹奏楽部→応援歌や校歌の演奏部隊

チアリーディング部→チアリーダーのお姉ちゃん部隊

の三部を『応援団』としている

うちは学ラン部隊しかいない

よって、応援は『声』と『太鼓』と『團旗』のみによる

だから『声』が途切れることは死活問題なワケである


他校はリーダー+吹奏楽を基本にやるが、声を出すにはチアリーダーもたくさんおるし、チアリーダーが応援する回もある

ワシらは傍目にみて『楽しとんのぉ~』と思っていた😅

例えれば、他校が『テレビ』だとするとワシらは『ラジオ』

映像と音に対してうちらは『音のみ』みたいはものである

が、ラジオがテレビに勝つには音のみで頑張らないとなんともならないのである😅


そして試合が終わり、応援も終了した

だいたい大学野球は2時間前後で終わる

が、2時間声を出し続けることはなかなかしんどいものである

応援が終わると撤収するが、これも1秒でも早く片付けて撤収しないといけない 

そして球場の外で集合し、また指示→ダッシュ移動→集合、を繰り返して学校へ帰る


部室に帰ると速攻で片付けをし、幹部が帰ってくるのを待つ

幹部が帰ってくるとお茶を出し、おしぼりを渡し、集合する

この時にきょうの応援の講評がある(基本的に叱られる)

叱られた内容は上級生→下級生に伝達され、改善を求められるワケである

まあサラっと『講評』だの『叱られる』だの『伝達』だのと書いているが、どんな講評がありどう叱られたり伝達されるかはご想像にお任せ致します😅


全てが終わり、やっと飲みたいものを飲み、吸いたいものを吸い、しばしホッと一息つける状態になる😄

応援が終わるとだいたい解散後にごはん食べに連れて行ってもらえる

餃子の王将やら天下一品やら、まあがっつりみんなでご飯食べさせてもらったものである

この時、だいたいみんな素晴らしく喉が渇いているため、着席して3分くらいで水のピッチャーをおかわりしているくらい水を飲む

メシを食い終わるまでに水のピッチャーを3回くらいおかわりするのはザラだった


ちなみにメシ食って帰宅し、個人的にはここで初めてホッとするのだが、応援が終わって帰宅した時はだいたい家に着いたら午後の紅茶(ワシはミルクティーだった)の1.5リッターを2口くらいで飲み干し、ここかはコーラやらとにかく飲み物をめっちゃ飲んでいた😅

それが始まりで糖尿になったんけ?

わからんけど、いまは代わりにお茶をめっちゃ飲んでるな😅