【内観(13)】から続く〉

 以上に書いてきた出来事をきっかけに、私はこの時期(2009年以降)から、さらに深く自分自身を見直していくことになったのでした。

 あらためて、私自身のオウム・アレフ時代の過ちを整理すると、次の5つとなりました。

(1)麻原を神格化した過ち

 麻原を神格化してしまった理由はこれまで詳細に述べてきたとおりです。そして、その神格化が、一連のオウム事件を宗教的に肯定させることになりました(逆に、事件を宗教的に肯定するために、あえて麻原を神格化した面もあったように思います)。

 私は「自分に一定の利益を与えてくれて、自分を認めてくれて、しかも自分が出家までして一生をかけた存在なのだから、完全な存在であってほしい」という「願望」を、麻原に投影していたのだと思います。

 だからこそ、麻原が狂気に陥った結果あのような残虐な事件を引き起こし、裁判の場でも現実逃避して責任をとろうとしない見苦しい態度をとったにもかかわらず、わざわざ深い意味があると思いこもうとしたのでした。

(2)善悪二元論的な考えで人を二分化して見た過ち

 人間を「善い人」と「悪い人」、「煩悩を超越する聖なる魂」と「煩悩を肯定する邪なる魂」などと単純に二分化して見てしまう、善悪二元論的な考えを持ってしまいました。

 その結果、「悪い人」や「煩悩を肯定する邪なる魂」は、神格化された麻原によって「ポワ」されても仕方がないという考えを、オウム教団が事件を起こしたことを知った後で容認してしまうことになりました。

(3)自分への過度なプライドがあった過ち

 このような麻原神格化や善悪二元論の背景には、「自分は他人と違って常に絶対的に正しくありたい」という過度なプライドがありました。

 絶対的に正しくあるために、自分が帰依する麻原を神格化し、他人と違いをつけるために「自分は善で、他者は悪」という定義付けをしたわけです。

 とにかく「自分は正しい」というプライドです。

 このような自分に対する過度なプライドを持つと、自分や自分が属する集団を批判してくる人に対して、過剰反応が生じ、過度な嫌悪感を抱き、過度な闘争心を燃やすことになります。

 それが、教団の一連の事件を招き、事件前後の私自身が社会に対して行った攻撃的な対応を招いたのだと考えています。

 また、麻原の起こした事件は正しいことだったのだという無理な「推測」や「願望」を重ねさせた背景にも、過ちを認めたくないという自分のプライドがあったことは、間違いありません。

 結局は、自分に対する過度なプライドという私の煩悩が、あのような教団を生み、事件を引き起こしたのです。
 
(4)麻原への依存心(怠惰な心)があった過ち

 これもすでに何度か書きましたが、麻原への神格化の背景には、麻原への依存心もあったと思います。麻原が完全な存在であれば、その指示に従うだけでよく、自分で考えなくてもよく、その結果の責任を――たとえサリン事件のような重大事件の責任であっても――とる必要もありませんから、非常に楽になります(現に、これまでのオウム・アレフ教団は、真の意味で事件の責任をとっていません)。

 これは裏返せば、自分自身の怠惰な心の現れだったということもできます。

 前述した「マハームドラー」の教義(こちらの総括文の「●6,事件を肯定させた教義」に記載)を受け入れる一つの素地が、ここにあったということもできます。

 これに関連して、さらに反省するならば、この地球上の様々な複雑な問題が、自分たちの地道な努力によって解決されるのではなく、ハルマゲドンのような現象で一気に解決されることを望んでいたのも間違いでした。

 自分たちが地道になすべき努力を放棄し、いわば神頼みのような形で、奇跡的な問題解決を待望していたのは、あまりに安易であり、怠惰な心の現れでした。そうした意識が、あのような過激で現実離れした、ある意味子どもっぽい教団を形成することにつながったのだとも思っています。

 そういう意味では、依存心や怠惰な心という私の煩悩が、あの教団を生み、事件を招いたともいえます。

(5)他者に冷淡、無関心だったこと

 さらに、自分や自分が属する集団を守ることに精一杯になるあまり、つまり自分のことしか考えていなかったがために、オウム事件のたくさんの被害者の方や、教団施設の周辺住民、社会の平穏を守る多くの機関の皆さんの苦しみに対して冷淡になり、無関心になっていました。

 特に、私の両親に対しては、20年もの間、家出をして大変な苦しみを与えてしまいました。これこそ私の冷淡な心のあらわれの最大のものでした。

 そして、こうした冷淡な心という私の煩悩が、あれだけの被害者を生むオウム事件を引き起こしていったのだと思います。

                                                                                    〈【内観(15)】へ続く〉