〈【内観(1)】から続く〉

 

 私を含む、ひかりの輪の多くの人たちは、今からちょうど10年前の2007年(平成19年)に、オウム真理教の後継団体・アレフ(現Aleph)を脱会して、ひかりの輪を立ち上げました。

 

 その過程で、皆が、オウム信仰(麻原の説いたオウム真理教の教義に対する信仰)から脱却していくにあたっては、各人さまざまな体験がありました。

 

 私の場合、「内観」の体験が、その決定的な役割を果たしてくれました。

 

 しかし、内観でいきなり脱却したというわけではなく、主に以下の4つの体験が、オウム信仰からの脱却を強力に後押ししてくれたのでした。


●体験1,河野氏との出会い

 

 一つ目は、松本サリン事件被害者・河野義行氏との出会いです。1999年のことでした。

 

 この時の私は、当時のオウム教団の出家信者の中で、初めて事件被害者に会う役割を務めました。その際、私は緊張していたのですが、河野氏はといえば、被害者であるにもかかわらず、加害者側である私たちに対して大変広い心で接して下さいました。

 

 その時、「自分がこれまでオウムでしてきた修行は何だったのだろう、オウムとは何だったのか?」という衝撃が自分に走ったのです。
 
 そのことは、私のオウム総括文を記したこちらのページの「9,事件被害者の方との出会いがもたらした衝撃」に記してありますので、ご覧ください。

 

 なお、この時の私の経験が、後にひかりの輪になってから、河野氏に対して、ひかりの輪・外部監査委員への就任をお願いするきっかけとなったのでした。

 

 このような河野氏を前にすれば、ひかりの輪の皆も、河野氏に恥ずかしくないよう反省・総括を進められるのではないかと思ったのです。


●体験2,オウム事件の直視

 

 二つ目は、オウム事件を直視したことでした。

 

 1999年末に、上祐代表が出所してくるまでは、当時のオウム教団内に事件の詳細を直接知る幹部はおらず(事件関与者は皆逮捕されていたので)、それがために、「オウム事件は国家権力が起こした陰謀であって、教団は陥れられたのであって、無実」などと主張するような人たちもいました。

 

 そのため、教団の事件関与は、半信半疑の人が多かったか、または関与していたとしても、それには深い意味があったに違いないと思う人が大部分でした。

 

 そんな中、上祐代表が出所してきて、「事件はオウム・麻原によるものだった」「麻原も間違いを犯す人だった」と教団(当時は「オウム真理教」から「アレフ」に改称)の中で説き始めたのでした。

 

 さらに2004年には、そんな上祐代表に激しく反発する麻原絶対派に対抗して、私も参画して、いわゆる上祐派(私たちは代表派と自称)を立ち上げました。そして、オウム事件に関する勉強会を教団内で次々と開催し、オウム事件の悲惨な実態を直視していきました。

 

 こうした積み重ねが、オウムや麻原の重大な過ちを、今さらながらに私に実感させたのでした。

 

 その詳細は、私のオウム総括文を記したこちらのページの「1,麻原の絶対性の否定」と「10,代表派勉強会で目が覚める――事件は私が起こした」に記してありますので、ご覧ください。


●体験3,麻原絶対派からの攻撃

 

 三つ目は、上祐派でオウム事件の直視をする勉強会などの活動をしつづけていたところ、アレフ教団の中で麻原絶対派から激しい批判を受けたことでした。2004年~2007年にかけてのことでした。

 

 自分が内部で激しい批判を受けることによって、初めて、かつてオウムが自教団の意見に合わない外部の人たちを攻撃してきた恐ろしさを実感したのでした。

 

 これによって、ますますオウムの後継教団や、その教義を作り上げた麻原に対して、醒めた目で見ることができるようになりました。

 

 その詳細は、私のオウム総括文を記したこちらのページの、「12,「この宗教」の恐ろしさを感じる」に記してありますので、ご覧ください。


●体験4,内観を実践して

 

 そして、四つ目が、ひかりの輪発足から2年後の2009年に、「内観」を実践したことでした。

 

 もちろん、アレフを脱会して、ひかりの輪を発足させた2007年の段階で、すでにオウム信仰からの脱却は果たせていました。しかし、この内観の実践によって、いっそう、オウム信仰に至った私の根本的誤りを、自分の人生を幼少から振り返る中で、実感することができたのでした。


 ――以上、四つの体験を通じて、私はオウム信仰からの脱却を果たし、特に四つ目の内観が決定的な役割を果たしてくれたのですが、このプロセスは、まさに自分自身やオウム教団というものを「客観的」に見直していくプロセスだったということができます。

 

 この、「客観的」に自分を見ていくというのは、本当に重要なことです。

 

 こうしたことを、これから順次書いていきたいと思います。

 

                                      (【内観(3)】に続く)