本名は「胡桃(くるみ)」なんだけど、
我が家ではすっかりミコという愛称が普通になっている。
2018年の秋、近所の遊歩道にある草むら。
私を見るなり子猫のフリをしてヨレヨレと近づき、ひざの上にまで乗ってきたミコ。
両目はグズグズで、毛並みもボロボロ。
耳や顔にある傷が、いろんな外猫と拳を合わせてきた日々を物語っている。
当時のことはうっすらしか記憶がなく、たぶんミコあるいは猫神様の力によって私の頭から詳しい経緯などの情報を消し去ってしまったようだ。
暮らしてみて確信したのは、
間違いなくどこかの家庭で人間の手によって養われたものの、かなりいい加減な飼育環境だったであろうこと。
そして、引っ越しか何かのどさくさで置き去られてしまったであろうこと。
もしひざの上から地に降ろし、そのまま立ち去っていたならば、
翌日の台風接近と大雨によってミコは命を終えていたかもしれない。
たぶん「あの家の家族になりなさい」という猫神の仕業だったのだろう。
病院でおおよその年齢を告げられた、のではあるが、
いま私はミコの年齢について「どうでもいい」という見解でいる。
保護した猫との暮らしに対する考え方。もちろん人それぞれあるだろう。
1年でも1日でも長く。時間より毎日の幸せを。どちらも間違っていないと思う。
私は保護してからの1年、ミコの姿を見て、ミコの過去を想像し、この先我が家でミコがどのように終生まで過ごすのがベストなのかを考え、方向性を決めた。それが「年齢はどうでもいい」という見解である。
腎臓の機能が少し落ちている。
歯の汚れ方からして相当の年齢と考えるのが自然。
避妊手術されているので、人間には慣れている。
獣医師からの見立てを参考にしながらも「この先」を考えるのは飼い主の責任。
シニア用のフードを与えてみたが、あまり食べなかった。
腎臓の療養食も、ほとんど残した。
どちらも「やれやれ」といった顔で皿に向かうのが見て取れた。
そして普通のフードを食べているたま胡、胡ぶへいがうらやましそうだった。
ミコの機嫌を損ねてまで、長生きさせたいとは思わない。
「あの時、みんなと同じごはんを食べさせてやっても良かったんじゃないか」なんていう後悔の念を残す自分の姿があっさりと想像できた。
ということは、ここで一般論を当てはめるのはNGになる。
時間をかけて試して、観察して、考えたことを自信にして、飼い主の判断で接すればいい。
ミコはこれからも年齢不詳。
でも見た目、年々若返っているのよね。なんなんだろ。不思議だわ。
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