大工な、わだログ by 株式会社和宇 -78ページ目

建築組合青年部幹事会

建築組合は建築のプロ集団で、

僕はその奈良青年部の議長とゆう役を

させてもらってます。

組合の事務局が、しっかりしているので、

ほとんどする事はありません。

会議もほとんど、意見なく議長の方采配が

悪いと反省します。



精進の中に楽あり


人生の楽しみは、ひたすらな努力、

精進の中に潜んでいるってことです。


議長としての才能が僕にはないですが、

この役を精一杯、力いっぱい、命いっぱい、やり遂げたいと

思います。

建設業者のお話聞きに行きました。

葛城市の総合建設業、同業の方の話しを聞く機会は

沢山あるのですが、同友会での話しは少なく

自社で実践出来る事が多いので、

仕事を早く切り上げて、参加しました。

繊維業から建設業に転職されその会社の倒産を機に

独立、地道な営業活動と、真面目な姿勢で

順調な経営をされています。


これからの建設業会を生き残る為に何が必要か

公共事業は、談合からクジ引きになって運任せ。

安価が強みだが、利益が出ない。

利益を出す為に、価値の創造が必要、提案力アイデアで

仕事が来るのを、待つスタイルから脱却されてました。


社長は、これからの日本を心配されていて、40歳になる

同級生は、仕事の不満や、女のケツを追っかける話しばかり。

国歌を歌わない事も不安に思っておられました。


社長にとっての成功は、御客様が、想像した通りの物を造り続ける。

事だと、おっしゃておられ、僕の成功の定義、

泣くほど、感動する建物を造ることです。

によく似ていて、すごい共感が、ありました。

僕は、まだ感動して泣いてもらえる事は、ありません。

もっと話しをしたくなる社長でした。

明治6年

明治6年1月3日
小林一三さんの誕生日です。
名前の由来が1月3日生まれだから一三だそうです。

清く正く美しく

宝塚や阪急電鉄、阪急百貨店、東宝などの

創業者で、戦後復興院総裁を歴任された方です。

学生の頃勉強しなっか僕が、元から小林一三さんを

知っていたはずも無く、今日読んだ本に出て来たので、

夏休み読書感想文みたいなのりです。

梅田から池田、池田から宝塚、さらに有馬に路線を伸ばす計画段階の頃

大都市を結ぶ線ではない事と、途中の村々も人家は、まばらで

計画倒れになるともっぱらの評判だっだそうです。

小林一三さんは、この計画路線に興味を持ち計画路線を

2度歩いて当時誰も思いつかなかった事、沿線に住宅地を開発し売れば、

沿線の利用者が増える。

ただその為に好条件な鉄道建設なら地価は上がって、

開発が困難になるから、この計画は危ういとみせつつ、

資金を集め、失敗したら損失の全てをカブるから、

新会社経営の全権を委任して欲しいと親会社に

申し出、この時小林一三さんは34歳

沿線の買収が終わると、派手な広告をし

当時としては斬新なローン販売を行って

大阪、神戸のベッドタウンが次々でき

小林一三さんは、社長となり、

その後も才気溢れる経営をされていきました。

日本を創って下さった経営者に感謝の気持ちでいっぱいです。

歴史で年号を覚える前に今の日本の基礎を創って下さった

話を勉強するべきと思います。


僕はただ、年号や人物の漢字覚えるの苦手だったから
そう思うのかもしれません。


明治4年


明治4年に岩倉具視使節団が、欧米諸国を視察したのは、


勉強しなかった僕でも、なんとなく知ってる話です。


ただ当時の年齢を知ってびっくり、岩倉具視47歳、大久保利通42歳


木戸孝允39歳、伊藤博文31歳です。


伊藤博文は31歳の若さで、アメリカで紋付袴で堂々と歩き


講演で日本の国旗の赤丸は、チェリーじゃない、サンライズであると


その態度は、不平等条約改正に繋がったに違いありません。



留守を預かっていた方々も若かったんですね。


三条実美35歳 西郷隆盛45歳 板垣退助35歳 大隈重信34歳


今の政治は年寄りに任せ過ぎなのかも知れません。


青年部会の年齢で動乱の日本を、治めていたのですね。


自分の人間としての小ささにビックリです。



僕の無知にびっくりされるかも知れませんが、


日本の教育で歴史は、明治維新から教えてもらいたいです。


僕の子供も年頃になれば、テストはいいから、まず幕末の志士は


何のために、命を燃やしたのか、アジアのほとんどが、欧米諸国の


植民地になった時代、日本が近代化し世界の国と、いかにして


対等に付き合えるようになったのか、教えたいです。


僕もしっかり勉強しないと子供に嘘を教える訳にはいきませんので。

久しぶりの定時帰宅

経営者なので会社に定時はありません。


でも、かみさんが決めてる定時はあります。


夕食の時間19時です。


ほとんど帰れないので、申し訳なく思います。



昨日は、会合もあり帰ったのは、定時の7時間遅れです。


定時に帰ると娘と遊ぶ時間ができるし、かみさんの話聞けるから


僕もなるべく早く帰り、家でできる仕事は、子供と嫁が寝てから


しています。



今日帰ったらまだ外が明るかったので、ハイツの庭の除草作業もでき


かみさんとも話できよかったです。



ちなみに今月定時に帰ったのは1回目です。