06.20 撃沈 僕達のOSJ山中温泉トレイル
2021年6月20日 午前5時
本来であれば、あの「OSJ山中温泉トレイルレース」が開催された日である。開催延期にはなってしまったが、僕達なりに納得をしておきたいところ。
そこで、勝手にOSJ山中温泉トレイルのコースを走る会である。
ジャンAOK氏、嵐氏、僕の3名…
他にもランナーが、わっさーと集まると期待もしていたのだが、
僕ら以外に風呂待ちだろうか、おばあちゃんが二人腰掛けているだけ。一応念のために足元を確認したが、二人ともサンダルだったので候補からは外しておいた。
本来は、熱気で溢れたはずの会場を定刻どおりに3人で静かにスタート。
コースは何回も試走を重ねている。天候も曇天予報でコンデションも上々。
おまけに最近の僕は、
なんだか調子が良いらしい。ネガティブな要素なんてない。完走できる。そう信じていた。
スタート後、30分もしないうちに、水無山エリアから洗礼を受ける。トレイルを左右から覆いつくす濡れた草木を分けながら進まなければならず、全身びしょ濡れになってしまった。でも僕たちの勢いはそのまま次のピークである富士写ヶ岳もほぼ予定通りにクリアした。
次の大日山へのアタック前には
マッハ氏が合流してくれた。氏もまた山中トレイルを愛するひとり。これは心強かった。
加賀甲もまた笹のスゴイこと。足元は見えず、チクチク草にもやられてゲイター越しでもスネが痛い。
なんとか難コースを通過。頂上着。
タフな道中もハサウェイネタやBGMで僕達を励ましてくれたマッハ氏、ありがとう。
ここで自分にご褒美、塩羊羹。
このパターンの画は、完全にマッハ氏と嵐氏の影響を受けている。
大日山登山中から調子が上がらなくなったジャン氏が小大日エリア過ぎの分岐で離脱を余儀なくされる。この賢明な下山が後に僕達が救われることになる。
大日山はピークを越えてからもしんどい。全体的にペースも落ちてきたが嵐氏がその後も僕を引っ張ってくれた。
ガスって何も見えない陶石山。これを下ってしばらく走れば県民の森。このころから僕の下半身には異常を抱えていた。
県民の森へのロードも遠く感じる。自販機が開いていることだけをひたすら願いながら進んだ。
これが飲みたかった。もう1本いきたいところだったが、次の杉水峠を越えたところにデポ車が待機しているのでぐっとガマン。
杉水峠入口でマッハ氏と分かれ二人でイン。この杉水峠が鬼門となった。
登りはまだしも、ピークを越えてからは、草が生えまくり、トレイルを途中で見失ってしまった。小川の向こうに渡れない。ロストしたかともう一度ピークにまで戻る始末。GPSマップを信じてもう一度草むらを慎重に進むと丸太橋が見つかった。この辺りの道迷いのログを嵐氏がアゲておられたんで、私も軌跡を見てみた。
スゴイ迷いようである。
ここが今回のメンタルの持って行きどころポイントだったに違いない。なんとかこの杉水峠を越え、先に離脱してしまったジャン氏の待つ、デポ車で食事と水分を補給して、いよいよクライマックスの三童子山と鞍掛山へのアタック。
時間は17:00過ぎ、制限時間17時間内(22:00)でのゴールが難しいことは、二人とも口に出さずともわかっていた。鶴ヶ滝登山口から三童子山スカイラインまでの急登が堪える。
18:00前、休み休み何とか分岐まで登り切って、しばらくの沈黙。
「ここでDNFしませんか」「そうしましょう」判断するならココと二人とも意見は一致していた。
そうと決まれば日没までには下山したい。本コースとは逆の鞍掛山を目指す。三童子山登山口で待機しているジャン氏にも迎えに来てもらいたい。連絡を取るのにも電波の届く鞍掛山山頂が適しているらしい。下山は足腰に負担の少ない行者岩コースを選択。さすが嵐氏、冷静でリスクの少ない判断に全てお任せである。
しかし、必死の努力も空しく、ジャン氏とは連絡がつかなかった。
日本海に沈みゆく夕陽に何をおもふ。
とにかく、暗くなる前に下山を敢行。緊張の糸が切れたのもあって、話も盛り上がった。今日の課題はもちろん、練習方法や将来のこと、今回のことが今後の語り草になること等々。
予定を変更した鞍掛山の登山口に下りてくると、三童子山降り口で待機していたはずのジャン氏の車がすぅーっと入ってくるではないか。
嵐氏のツイッターでDNFを知り、下りてくるならココと機転を利かせてくれたらしい。ジャン氏がいてくれて本当に助かった。
時刻は18:47 僕達のOSJ山中温泉トレイルはDNFで終了した。
肉体的にも精神的にも要因はいろいろあった。解決していたはずのお尻の擦れは、もう一度見直さなければならないだろう。スポドリを摂りすぎると下痢をする傾向もあるな。レース中に喰らった打ち身は放っておいても回復しないし。
まだまだ経験不足、そして山中温泉トレイルに対する敬意も足りていなかったのかもしれない。
本番だったら、どうだったのだろう。答えは来年教えてもらおうと思う。