別れたい、でも簡単に別れてたまるか!

 

 訴訟に至るまで、2年以上いくつかの調停を行ってきました。最後の離婚調停では、コンピを少しでも長く貰うために、離婚したい気持ちは二の次に、「経済的に不安があるので離婚はしたくない」と調停委員に訴え不成立になりました。

 

 訴訟に移り、答弁書で反論。「離婚の原因を作ったのはモラ夫だから、有責配偶者でしょ!」「経済的に不安だから離婚はしたくない」と主張しました。

 しかし!もう別居も4年が経ってたし、審判になると離婚を回避できないだろうってわたしもヨシノ先生も思ってました。

  そして、モラ夫から訴えられない財産分与を争うなら、わたしから「予備的に附帯処分の申立」をしてください、と裁判所に言われました。

それが・・・「反訴」です。

わたしが「原告」、モラ夫が「被告」となる「反訴」を申立てました。

お互いが原告になり、ややこしい!

 

もしも、離婚訴訟で「離婚する」と審判された場合、わたしは「財産分与」について争いますよ~と、ここで初めて「財産分与」を離婚訴訟に乗せて(附帯して)離婚と財産分与を訴訟で争うことが出来るようになりました。

これが本来の順序。モラ夫やモラ夫弁護士は早く離婚成立をさせたいからなのか?わたしが反訴して初めて問題提議できることなのに、勝手に、一方的に言ってきたんです。

 

アホなのか!?

 

同じ土俵に立ったらあかん・・・と、しみじみ思いました(笑)

 

 

 

 

答弁書も1㎝の厚さ!

 

数日、わたしの為に時間を割いて答弁書を書いて下さったヨシノ先生、ありがとう!

 

さて、今、離婚訴訟の渦中にいるわたしの状況ってどこなの?

 

ー モラ夫ら訴状が郵便で届く

 離婚したい、養育費はそれなりに払う、財産分与したい

 

 ↓

ー 訴状に対して、わたしが「答弁書」で反論する

 離婚したくない、養育費や財産分与はこっちが言うセリフ!

 経済的に不安だ ←証拠書類含めて1㎝の答弁書!

 

まだ、ここまで!

できたのはここまでです。訴状~答弁書までわずか1カ月半。さすが弁護士さんです。離婚調停からお世話になっていれば簡単だったろうに・・・この訴訟からヨシノ先生にお願いして、わたしの状況の把握、わたしの気持ち、最終目的を組んでくださいました。

 

そして ↓

ー 第一回口頭弁論 出廷です

 

 

やっとこさ裁判が始まりました。

第一回口頭弁論までに裁判所は、原告、被告両方の書面を読んでいます。

凄いなぁ~。

 

そして裁判所は、わたしたちの争点をみつけだしました。

1.離婚は争うのか(被告のわたしに対して)

  わたしは争う

2.養育費と財産分与は、調停段階では金額を争っていたようだが、それでよいか

  調停段階でも離婚は争っていて、養育費、財産分与の金額で折り合いがつくのであれば離婚の検討の余地があった

3.財産分与について、原告(モラ夫)が主張するのは違うので、被告は予備的に附帯処分の申し立てるつもりはあるか?

  検討中。

 

・・・ということで、検討中の「予備的に附帯処分の申立」をすることになりました。(これについてはおいおい書きます)

 

第一回口頭弁論は5分で終了

(これだけの内容量でわずか5分って、素人じゃあ無理だわ・・・) 

 ↓

 

ー 次回期日は1か月半後

 

宿題(被告わたし) 予備的に附帯処分の申立をするなら期日までに提出

   申立てをすることになると思うので、主張と書証(証拠書類)の準備を

 

  (原告モラ夫) 被告の答弁書に対する反論を提出 

   財産目録をExcelで被告と共有してほしい

 

これから出廷することはなく、電話でのやり取りになり、

書面の応酬が始まりま~す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんなものを証拠にする?

 

 

答弁書で、わたしや子供たちがモラ夫にされたことや、今の経済状況や病気の状態をつらつら書いたけど。やっぱりそれなりに裏付けになる証拠は必要。

・・・ということで、どんなものを証拠として提出したのか?

 

病気に関して

 ・わたしのうつ病については、診断書ではなくお薬手帳と、処方薬の作用をヨシノ先生がネットで拾ってくださったもの、カウンセリングの予約票を提出しました。

これは、継続的、定期的に通っていて、服薬治療していますよ、という意味ですね。

 ・サクラの双極性障害についても同じでお薬手帳。サクラは離婚案件について関与が薄いためか、深掘りなし。

 ・トムの起立性調節障害は、調停時に提出した時の診断書を提出。

 

モラ夫が家族にしてきたことについて

 ・わたしは調停で時系列にして書いた年表があったので、再度提出。内容は、お金をくれなかったとか、怒鳴って外出して行った、「お前は何を考えてんねん!」と電話を切られた、別居後DV登録をした、DVセンターに電話相談した・・・ありとあらゆる事実です。セリフも覚えている限り書き留めていたので、そのまま書いています。

 ・サクラは大学のカウンセラーさんにお願いをして、本来は秘匿義務があって、家族でもサクラは何を相談していたのかは教えて貰えません。ただ、父親に対する相談で書ける事や、相談に来た回数、日付は書いてもらう事ができました。

また、サクラがカウンセラーに送った手紙も、父親の様子が書かれてあり、運よくサクラの手元にコピーがあったので提出。

 ・トムは「面会交流調停」で調査書が出ているので再度提出。

ほとんど、離婚調停で提出したものなので、新しい証拠はお薬関係だけでしたが、そこまで出すの?って思いません??

やっぱり裁判官も調停時と違うし、現状を訴える相手は裁判所(裁判官)なので、主張には根拠が必要なんだな~って思います。

 

しかし、証拠の最も重要なのは「日付」です。サクラの手紙も日付と自分の署名がちゃんと書かれていたから証拠採用されました。

 

それと、気を付けてほしいのは、何でもかんでも証拠を提出しない、必要のない部分はマスキング(黒塗り)をすること!

嘘は絶対にダメです。けれど、提出をしない、余計なものは見せない。証拠を精査すするのは、弁護士の腕の見せ所ではないでしょうか?

 

 

 

 

答弁書まとめ

答弁書で反論・・・わたしのされたことの主張

特に、性的、経済的DVを受けたこと。

 

 

答弁書で反論2・・・娘に対するモラ夫がしてきたことの主張

特に、教育的虐待や双極性障害になり、職にも着けない状態であること。

 

 

答弁書で反論3・・・息子に対するモラ夫がしてきたことの主張

特に、教育的虐待が一つの要因で起立性調節障害になった。モラ夫は息子と面会が叶わない事を離婚理由にするのはおかしい。

 

 

そして最後に、まとめとして、

・夫婦の別居は、モラ夫が性的DV、経済的DV、子どもたちに教育的虐待を行ってきた結果である。モラ夫はわたしや子供たちが自分の意に沿わなくなったから自宅を出ていき離婚を、求めてきた(出ていく日を先に決めたのはわたしなんだけど、実際はモラ夫が一週間早く出て行った)

・モラ夫のわたしへの行為がうつ病を悪化させている。娘は双極性障害で就労できない状況が続いている。息子は起立性調節障害で今後の進路の目途も立っていない。

・わたしたちは、精神的、経済的に非常に不安定な状態に置かれていて、離婚が成立したらもっと経済的に不安定になるのは明らか。

・そして、以上の状況を作った原因はモラ夫であり、モラ夫は有責配偶者なので離婚請求は元々できないよね。

 

まずは、離婚を要求するモラ夫の訴訟に対し、わたしはモラ夫が原因を作ったんでしょ、生活をするためのお金にと~っても不安なんですと主張しました。

 

 

 

 

 

 

モラ夫が子どもたちにしたこと

 

~~息子の場合~~

 

 

 

息子トムは起立性調節障害(OD)です。

原因不明ではありますが、少なくとも別居や中学校での出来事に影響があったのは否めません。

 

トムへの期待値が高かったのか、小学3年生で「上級ドリル」をさせ、小学6年生から毎週末、2時間「英語」の勉強会。少し舌っ足らずのトムは、英語の早口が苦手。

モラ夫が「アフター ミー」かのように、英文の一文をペラペラ読み上げ、トムにも同じような速さで言わせます。つまずくと「もっと早く!何回も!」と繰り返し。

出来ずに泣くトムをモラ夫が「やめてもええねんで、お前の人生なんやから。でも出来た方が選択肢は増えるで。どうする?」こんな言い方されて「イヤ」なんて、子どもが言えるでしょうか・・・?

 

トムは、この勉強会の嫌な気落ちを姉のサクラに泣きながら愚痴っていました。

サクラが「ママ、トムが英語するん嫌やねんて。私に言われても困る・・・」とわたしに相談してきました。しかし、その頃すでに夫婦は破綻、会話が出来る状態ではありません。さてどうしたものか・・・

 

「トム?パパに『英語の勉強やめたいって言ってみたら?言えそう?ママも助けるから」そうやって背中を押したら直ぐに「イヤやからやめる」と自分の口から言いました(よく頑張った!)その時のモラ夫、すんなり「わかった」と言ったけど。「サクラー、ママとパパが離婚したらトムに勉強を教えてあげてな。」

はぁ~~~???なんちゅーことを言うんや、モラ夫は?!

子どもに子どもを託す? 

わたしが高卒でバカだから?(本当に言われました)

 

こういう出来事をトムは、面会交流調停の調査官調査の中でこう言っていました。

「イヤやからやめると言えたけど、達成感は全くなかった。パパはママの悪口をいつも僕に言ってきて、ママが泣いているのをみて、パパは『悪者』と思っている」

 

ちょうど、高校受験が迫ってくるころの調査でした。その結果、「父から連絡は取らずトムからの連絡を待ちましょうネ。」になったんです。

 

こういうことも、しっかり答弁書に記載しました。

 

 

 

 

 

モラ夫が子供たちにしたこと

 

~娘の場合~

 

 

 

 

 

 

娘サクラは、大学を卒業してから数年後に「双極性障害」になりました。その時はすでに別居し、モラ夫から物理的に離れていましたが、離れたからこそ「反抗期」が来て、「自由」になり「自分の行く道を自分で決めて行動する」事が出来るようになりました。

22歳~23歳の大人の反抗期は、覚醒したかのようにサクラは言葉で反抗してきました。そして一番大事な「自分の思いを主張する」事が出来る様になりました。それが世間知らずの子どもが主張すると、的外れだったり、ただ感情的に叫んだり、泣いたり、わめいたり・・・でも、23年間、サクラはそれが出来なかったんです。

 

小学4年生から「高校物理」をモラ夫に教えられ、毎週末、2時間びっしり勉強会。高校受験はモラ夫の行かせたい公立進学校一択。滑り止めの私学を受験させたものの、適当に選んだ一番近い場所にある学校でした。(教育的虐待

 

モラ夫は単身赴任でしたが、金曜の晩に帰宅し、土日を自宅で過ごし、月曜の始発で赴任先に通勤していました。帰宅時は必ず玄関の鍵を開け、風呂を沸かし、モラ夫を「おかえり」と3人で玄関に出迎え、パジャマと下着を準備していました。別居直前は、肩が上がらない(五十肩)からと、サクラに風呂場で背中を流せと要求してきました(サイテー)。これがモラ夫のいう「俺を慰労しろ」という意味でした。

二十歳をすぎた娘に対して要求する事ではありません!(怒)

 

今振り返ると、こんな事がありました。

別居直後の連休。以前からモラ夫からサクラへ「話があるからパパの家へ来てください」とメールが何通か来ていたのを無視していたら、携帯に電話がかかってきて「話しをしたいと行ってるのに来ないのは、俺に感謝してないのか?学費(大学費用)出さへんぞ!夫婦の問題やと思ったら間違いだぞ!」

こんな怒号罵声を受けたサクラは「連休中にパパが家に押しかけてくるかも。」と怯えて息子と3人でゲストハウスに避難しました。(結局押しかける事は無かったけど)

 

そして、

別居1年半後に、私からコンピの調停を申立て、初出廷した時の事。帰宅して「今日の調停はこんなんで、あんなんで」と話してたら、サクラの様子がおかしくなってきて、パニックになり「ママーーーー!救急車呼んでーーー早く!」と叫ぶサクラ。

救急車を呼ぶのを少しためらい「落ち着いて、ね、大丈夫だから・・・」となだめていたんですが、「なんで救急車呼ばないのーーー、早く!」・・・119番。

精神科の病院へ搬送され、到着したころには随分落ち着いてたけれど。一応薬を処方されてタクシーで帰宅。翌日かかりつけ医へ受診。後々聞くと、サクラはその時の記憶があまりないらしい。

ちょっと、PTSD的な状態でした。

誰かが怒鳴ったり、特に大声を聞いただけで体が反応して「ビクっ」としてました。

 

こんな出来事も、日付と共に答弁書に反論として書きました。

 

 

 

 

 

 

※注意!銀行口座は開示されちゃうよ

 

~~モラ夫のお金に対する執着は凄まじい。~~

 

結婚している時は、全てわたしがお金の管理をしてました。

モラ夫は奨学金返済や結婚資金100万円の返済で貯金は無く借金だけ。その分、わたしは高卒から社会人になって、コツコツと貯金してました。

結婚から数年間は赤字でわたしの貯金を崩して生活。3年間で200万円は使ったかな・・・

娘のサクラが幼稚園に行く年齢になった頃、モラ夫から「パートに出てくれないか」と頼まれました。わたしもそのつもりだったので、保育園に行くことになりました。

 

それから月日が経ち、モラ夫の収入も増えたし、借金もゼロになり、少しづつ貯金もできるようになっていきました。

でも、離婚に向かっていく夫婦・・・モラ夫が「俺のキャッシュカードを返せ!お前名義の定期預金も全て解約して俺に渡せ!今までの生活費は解約した預金とお前のパート代でやれ!俺の金は俺の物、お前の金も俺の物!」と兵糧責め(経済的DV)をされました。

 

※お前名義の定期預金・・・俺の稼いだお金をわん子名義で預金し独り占めしている。

※パート代で生活費を出せ・・・扶養内収入なのでせいぜい8万円程度の稼ぎ。今までもずっと、全て生活費に充ててたわよ!

※俺は家賃や光熱費を出してやってる。だから生活費を出してるだろう?・・・結婚当初から変わってないやん~。ごはん代がないからパート行ってるんでしょ?それでも足りないから頂戴といってるのにくれないのは、子どもたちをひもじくさせるのよ!(これにより、同居中にコンピを申立てました)

モラ夫の頭の中はこれ以降、ずーーーーっとこんな感じです。

 

離婚調停の時、財産分与で「預貯金を開示してください」と調停委員に言われました。当然、わたしの預金口座は「共有財産」なので別居時点の残高を開示しました。しかし、こどもの口座やわたしの特有財産とするものは開示しませんでした。

モラ夫は別居前に財産分与の話をした時に書いた、銀行口座のメモを大事に持っていたようで、証拠として提出してきました。わたしは「この口座はこどものお金なので財産ではありません。これは・・・あるかな?」ととぼけて時間稼ぎをする為に提出しませんでした。

 

モラ夫の弁護士は裁判所に対して銀行口座の開示を求め、承認されました。

モラ夫のメモには「支店名・口座番号」が書いてなかったため、わたしの居住地周辺すべての銀行、支店へ開示請求をおこないました。子供名義も同じです。

裁判所から通達の来た銀行、信用金庫、ゆうちょ銀行は本人確認もなく、裁判所に回答をしてました!割とすぐに。一つだけ、娘サクラ名義の大手銀行だけ電話があり「裁判所から開示請求がきましたが開示してもよいか?」と聞いてきました。拒否をしても良かったんですが、サクラを調停に巻きこみたくなかったし、いずれ開示しなければいけないので「開示しても良い」と返事をしました。その時のサクラは「またパパに何かされる・・・」とビクビクして、本当に可哀想でなりませんでした。

 

モラ夫と弁護士は「払い戻しのある生命保険をかけてるだろう!通帳にトウキョウスターと記載されているからこの口座も持ってるだろう!」とぎゃんぎゃん言ってきました。ものすごい執着だなって思いました。

※トウキョウスターはATMを利用しただけでした。

 

それにしても、裁判所のチカラは凄い。口座位は簡単にバレちゃいますね。

手当たり次第に開示を求めたモラ夫側は不発に終わった口座もあるから、その分の手数料はまあまあ取られてると思いますが。その執着ぶりにはビックリです!

 

 

 

 

 

赤裸々、モラ夫を公開処刑!

 

モラ夫から訴状が届いたら、わたしは「答弁書」を最初の期日までに提出しなければいけません。

 

 

 

 

「答弁書」とは、モラ夫の訴状に対してわたしの主張を書きます。

一番最初のわたしの言い分です。

 

 ◎モラ夫の請求の趣旨

 1.離婚したい 

 2.親権者はあなた(わたしのこと)

 3.財産分与で相当額を支払う

 4.養育費は20歳の月末まで、相当額を支払う

 ◎モラ夫の請求の原因

 平成〇年〇月〇日に婚姻し、二人子がいる。

 あれこれの理由で相手が別居したいと申し出た。

 面会調停、コンピをしてこういう結果になった。

 離婚調停は財産分与と養育費の金額について激しく争ったため不成立になった。

 ◎まとめ

 別居も長いし、離婚事由もある。

 財産分与する意思あるよ、養育費も算定額で支払う意思あるよ。

 

 こんな文書と共に、証拠書類のコピーが何十枚も付いています。財産分与をしたいので、通帳や生命保険、退職金の算定額などのコピーが沢山。それに加え、離婚調停でわたしが提出した通帳などのコピーも添えられていました。

相手に渡した書類も、こうして相手の証拠書類として提出されるので慎重にしたい所です。

 

↑まっ、こんな文面に対して答弁書で反論していくんです。

 

例えば、

1離婚したい事については争う。

 モラ夫は頻繁に(最低でも週に1、2回)性行為を求め、わたしが生理中でしんどく拒否をすると、「セックスが出来ると思い帰宅してるのにがっかりする」といい、気遣う言葉もなかった。夜寝ているところを無理やり起こし性行為を強いられた。

日が経つにつれ、生理中でも無理やり性器を挿入し、布団やシーツが出血で汚れるようになった。一緒に寝ている子供に気付かれないように夜中にシーツを交換し洗濯をしなければならなかった。

 

2財産分与について 争う

 〇項の第一文は認める。第二文は認めるが原告の内心は不知。

 

一文、一句に認める、否認する、不知(知らない)を記入し、わたしの主張をしていきます。

・・・ちょっと生々し過ぎて気持ち悪くなった方、ごめんなさい。

でも、こういう事が事実であり、性的DVがあったと主張、反論をする必要がありました。

 

なんなら、離婚調停では、〇年〇月〇日こういうコトをされました、ああいうコトを言われました、お金を生活費を下さいとメールしました・・・と年表にして具体的に書いて提出していましたから今更なんですけどね。

 

けれどこれは「訴訟」。この先、訴訟が進行して最後に行きつく先は、三者が法廷に出て裁判官の尋問に答える「証人尋問」が待ってます。

公開ですよ!

裁判所にこの書面が主張として残るんです。

 

嘘は決して書いていません。いや、書いてはいけません!

 

 

 

 

 

 

モラ夫が主張したらあかんやん(怒)

 

 モラ夫から訴状が届きました。厚さ約1㎝。

 

 

 

 離婚調停で話した事をまとめたものでした。まあ、それはいいんですがー。

 なにせ、調停で揉めてた事って「財産分与」と「養育費の金額と終期」でした。

 つまり、お金の事だけ。ただ、わたしが言い続けていたのは、モラハラやDVを

 した夫が「有責者」であり、有責者から離婚請求はできないでしょ!離婚したい

 なら、わたしが有利になる財産分与と養育費を支払って下さい、と言い、それに

 反発し続けたモラ夫だから調停不成立になったワケ。

 

 で、訴状には

 1.離婚したい

 2.親権者はあなた(わたしのこと)

 3.財産分与で相当額を支払う

 4.養育費は20歳の月末まで、相当額を支払う

 

 ここでヨシノ先生や裁判所が「おかしい」と首を傾げたのが3と4なのです。

 わたしもちょっと理解できていないのですが、支払義務者=原告(モラ夫)が

 主張するべき事項ではないらしい。

 「離婚訴訟」は離婚を争うのが目的な訳で、モラ夫はそれを訴訟にした。

 財産分与と養育費の争いを、モラ夫から離婚訴訟に乗せて争う事は出来ない、

 したいのであれば別事件の調停になるという事らしい。

 だから裁判所は、財産分与と養育費を争うのなら、被告=わたしから、予備的に

 附帯処分申立をしてください、と言われました。

 要するに、離婚を争う事により、財産分与と養育費についても争います。それは

 わたしが主張することです。だから、離婚訴訟に財産分与と養育費の紛争を

 乗っけて(附帯して)訴訟を行います。こういう事、だそう・・・

 

 法律のことなので、全部を理解することは難しい。だから弁護士という代理人に

 お願いをしてるんです。

 モラ夫の弁護士は離婚訴訟の経験があるのかなぁ?と疑ってしまったのでした。

 

 

 

やること色々あるのよね(汗)

 

 

  モラ夫から離婚訴訟のお手紙が来て、第一回口頭弁論の期日まで約2カ月の時間がありました。余裕やん、と思うかも

  しれませんが、その間にすることがいくつもあります。

 

  ①弁護士(ヨシノ先生)に正式に代理人依頼

   委任状と契約書を交わし、着手金を支払う。これではじめて代理人になります。

 

  ②調停の内容の説明

   ヨシノ先生は関わっていないので、今までのコンピ、面会、離婚調停の全コピーと説明をしました。

 

  ③わたしや子供たちの状況、訴訟に対しての希望の説明

   経済的に不安がある事や、娘(サクラ)や息子(トム)の状況、離婚は仕方がないけれど、そもそもモラ夫のせいで夫婦が

   破綻したんじゃないか!ということの赤裸々な事柄を恥ずかしげもなく全て説明しました。

 

  ④「答弁書」の提出

   ①~③を行い答弁書をヨシノ先生に作ってもらいます。

   この「答弁書」とは、モラ夫からの訴状に対して、私の答弁、つまり反論を書きます。この締切日が、訴状が届いてから

   わずか1か月後。口頭弁論まで2か月もあるのに・・・ただ、裁判所(裁判官のこと)は時間が足りないだろうから、と、

   2週間ほど延長してくださいました。これで1か月半後までに「答弁書」を作り提出できます。

 

  裁判所は、全て紙でやり取りをするので、郵送が基本ですが、先にFAXで送ることの方が多かったみたいです。

  一人の裁判官が何件も事案を抱えているので、書面を読む時間も必要なのでしょう。書面提出の締切は必ず期日の1週間前に

  提出が基本です。