訴訟に辿り着くまでの道のりと始まり

 

 わたしは、

   婚姻費用の調停(コンピ) を同居中に申立て、その後取下げ

   ↓

 

   別居してから 

   

   ①婚姻費用の調停(コンピ)を申立てをする(私の主張が認められる)

   ↓

   途端に、嫌がらせのようにモラ夫から②面会交流の調停を申立てられる

   (息子の意思が尊重される)

   ↓

   (①②同時進行)

   ↓

   コンピ・面会調停終了後、③離婚調停を申立てられる(わたしはごねて

   14か月かけてやった)

   ↓

   不成立  →  ④離婚訴訟を申立てられる ←ココのお話

 

  調停は「申立人」「相手方」と呼ぶんですが、訴訟になると「原告」「被告

  と呼びます。④離婚訴訟では、起こしたモラ夫が「原告」、その相手のわたし

  が「被告」です。この呼ばれ方は何だか犯罪者かのようで、気持ちの良いもの

  ではなかったです。

 

  そして、  

 

 

  訴訟は「裁判官」に「書面」で「主張」し、どれだけ裁判官からの心証を良く

  見せるか?にかかっています。

 

  代理人に依頼をすると、弁護士も期日に出廷することはなく、弁護士事務所と

  裁判所を電話で繋ぎ、書面で主張した事を裁判官が深掘りし、この夫婦の争点

  を整理していきます。

  最初は訴訟を起こしたモラ夫(原告)が主張書面を提出しているので、次回の

  期日は、原告からについての反論、主張をわたし(被告)が提出する形になる

  ので、期日当日はMC裁判官が原告、被告交互にやり取りし、最終的に和解案や

  審判を出すという流れになります。

 

  弁護士事務所の一部屋で、電話を繋いで訴訟を行うのですが、勿論本人がその

  場に行ってもOKです!わたしは一回目の「第一回口頭弁論」に裁判所へ行き、

  傍聴席で見ていました。後半戦の頃に一回、事務所に出席しています。

  モラ夫やモラ夫の弁護士とは声を聞くこともありません。ここはとても安心

  材料です。また、三者で話しをすることは証人尋問が行われるまで、ほぼ

  ありません。

 

  わたしの弁護士のヨシノ先生が言ってましたが、「何度かやり取りをした

  事のある裁判官。なので、この裁判官は割と早く進めるタイプ。」であることと

  「期日を行うたびにモラ夫の弁護士は怒ったものの言い方をしてくるね、と

  裁判官といつも話すのよ~」と仲良し(?)(笑)

 

  しかし、心象というのはとても大事です。裁判官も人間ですからね。

 

 

  

 

 

 

  

 

精神病に偏見を持つモラ夫

 

 色々あって29歳でうつ病になったわたし。

 

 

 一度目の発症の時は、治療を開始するまで3カ月かかりました。

 夕方、仕事から帰ってくると、毎日わんわん泣いてモラ夫に電話を掛けてました。

 

  「なんか・・・わからん、けど、涙が出て・・わーーーーん(泣)」

 

  「しんどいんやったら休んどいたらいい。なるべく早く帰るから」

 

 と電話口のモラ夫は優しかったな・・・。

 

 それから10年後、実父が亡くなった時に再発した時は、会社に行けないくらいになっていたので、退職を申し出たけど会社は中々受理してくれず、だったら

 

  「うつ病の診断書を出して退職しよう」と診断書を提出しました。

 

 モラ夫「えっ・・・、うつ病って言ったん?何でそんなん言ったん?」

 わたし「そうじゃないと、中々辞めさせてくれないんやもん。だから診断書を出して分かってもらおうとしたの・・・」

 モラ夫「===3 (ため息)」

 

 同居中はこの2回、うつ病で寝伏せったんですが、当然ながらわたしに性欲はありませんでした。普段の家事・育児を最低限するので精一杯。けれど、「中3日」というピッチャーよりも早いローテーションの約束でモラ夫の相手をさせられていました。

 

 家族に「精神病がいる」事に「世間体が悪い」と思い、わたしの体調が悪くても、優しく接してるように見せかけて、実は早く回復してもらい、性の相手をして欲しいのが目的なんですよ!れっきとした性暴力

 

 

 でも、どう考えてもモラ夫は「自己愛性パーソナリティー障害」という人格障害だし、モラ夫の兄弟と実母は「統合失調症」。偏見を持つより自覚しろよ!

 

 

 

 

色々ありすぎて、ウツにもなるさっ

 

自己紹介にあるように、うつ病の持病を持っています。

きっかけは、29歳の時に流産を経験し、自分を責めてしまったこと。パート先の産業医に「食欲なく、突然涙が出るんです。両腕の筋肉痛や体のだるさで朝起きるのも辛くて・・・」と相談したら、即答で「仮面うつ(*)だね~」と言われました。

 

「えっ・・・?わたしウツビョウ?」他人事と思っていた病名に信じられませんでしたが、産業医に早めに受診したほうがいいよとアドバイスされ、診療内科に受診し

投薬治療が始まりました。1か月もするとかなり調子も良くなり、パートも続けることができました。

 

長期に投薬してたのを減薬~投薬なしになり、寛解しました。

それから1年足らず、実父が亡くなり、またこれがきっかけで再発。

「落ちた」(うつになった)感覚はすぐに感じ、また投薬治療開始。けれども、今回ばかりは調子が上がらずパート先を辞めました。

 

それから現在まで10年以上、薬を変えながら投薬は続いてる状態です。

 

にも関わらず!その合間に別居、婚姻費用・面会調停を経て、一人で行った「離婚調停」の時期に、3回目の再発。色んな事が重なった。

モラ夫側からの心無い回答が調停委員越しに聞かされ、じわじわ追い詰められ、期日までには書面を作り、弁護士を付けていないわたしは、モラ夫側が裁判所へ提出した書面や証拠書類が手元に届かない為、裁判所へ「提出物ありますか?では取りにいきます」と電話をし、裁判所でコピーを取ることまでしていました。

 

そしてそして、新型コロナの真っただ中、社内では「接触者」だの「学級閉鎖の家族も出社自粛」だのと言って、同僚が次々と休む。全部仕事がわたしに集中ー。

 

ある日、たまらず休日に半日だけ出社し、社長に報告。

社長「休日出勤したらダメなんだよ。労基に怒られるんだから。何時何分に注文書のFAXがどれだけ来たの?報告書作ってくれる?」と要求され、休日出をしなきゃいけないほど切羽詰まってんのに慰労どころか文句を言われる始末。そして報告書を作るのに2時間かかり(これやるなら仕事させてくれー)提出したのにその後一切そのことに触れられず。いらんのかぁい!そして一言「給与泥棒と思っていたよ~

 

・・・(無)  社長もハラスメント野郎なのかな?

 

この会社には10年以上勤務してたけど、たまに社長と対峙することもあり、

「もうええわ!」おさらばしたよ。

 

で、今も投薬しつつ仕事してます。

 

*仮面うつとは。心のしんどさよりも、痛みや食欲不振、不眠などの方が全面に出て

一見うつ病に見えない。わたしも腕の筋肉痛がとても痛くて整骨院に行ってました。

 

とうとう不登校になったトム

  ~前編の続き~

  

 

 

   部活も退部し、スッキリしたはずの学校生活。中学2年生でクラス替えがあり

  仲良しの友達と離れてしまったトム。

   登校直前、靴を履こうとすると鼻血がタラ~タラー止血してから登校。遅刻は

  セーフ!4月からこの繰り返し。友達が玄関まで迎えに来てくれて一緒に

  登校しようとするんだけど、鼻血の止血したらほんの少し遅刻をしてしまった。

  その時の教室に入る嫌な雰囲気、クラス中の視線を浴びて「僕の事はほっといて

  くれ」「見ないで」そんな気持ちになってしまったトム。

 

   鼻血が出るから立ちくらみしたり、遅刻すれば注目を浴びるので学校を度々

  休む様になってしまいました。次の日から、朝起きられない→休む→起きられ

  ない→休むのループに入った頃、鼻血は全く出なくなり気分的に落ち着き始め

  ました。そうすると、朝起きられず、夕方から復活、夜10時は活動のピーク。

  昼夜逆転の生活になり、とうとう「不登校」になりました

 

   担任と相談し、週に1回、別室登校。けれど、こんな条件でも行けない時は

  多々ありました。でも、昼から別室登校した時、同学年のA君が来ていて、

  「僕、朝起きられなくて昼から調子良くなるんよ。起立性調節障害って言われ

  てて病院に行ってる」と聞かされて「症状が一緒やから、僕もそうかも」

  となり、たまたま専門病院が通える場所にあり受診した所、

 

    「起立性だね~、結構重症だよ、でも治るからね。」

 

  医師からお墨付きをいただきました(笑)

 

  ・朝起きられず夜は元気、昼夜逆転になる

  ・1分以上、じっと立つことが出来ない

  ・座る(足を下にする)のも辛い為、横になって過ごすことが多い

  ・ふらふらする、頭痛がたまにある

  

  一見、サボり仮病と思われがちですが、専門医で血圧と頭までの血流の戻り

  具合を検査すると、寝た状態から立った時に血圧が上がらず、心臓をバクバク

  動かして血流を上に上に運んでる様子が数値でわかりました。

  検査中の結果グラフを見せて貰い、「先生、この部分、血圧がストンと落ちて

  ますけど、どういう状態になってるんですか?」と尋ねた所、「血圧がゼロに

  なってるね~、君、死んでるよ~」と軽く笑われました。

  でも、これで原因がわかって、わたしもトムもホッとしたのが正直な気持ち。

  不登校になっても、トムは「登校したい」「行かなきゃ」って思ってました。

  

  中学3年生になり別室登校をしてたら、別室担当の先生が付くようになり

  ました。その先生と相性が良かったおかげで、高校受験もできました。

 

  これがモラ夫と暮らしていたら・・・

  「学校に絶対にいきなさい、お前の人生の為やぞ」ぐらいの勢いだっただろうし、

  とにかく病気も認めない不登校なんて許さない人間失格と言いかねなかった

  だろうなって思います。

 

 

 

息子(トム)の出来事

 

   息子(トム)は「起立性調節障害」です。あまり聞き慣れない病名ですが、

  最近、テレビや新聞記事にも取り上げられるようになってきました。

 

   発症したのは中学2年生になったばかり。別居して半年経った頃です。

   クラス替えをしたら、仲良しの友達と離れ、逆に苦手な同級生と一緒の

  クラスになりました。トムの性格を考えると、苦手な人がいると関わりを

  持たなくてもすごくストレスになり、小学生の間は何とか乗り切れたのですが、

  中学生になると部活動などで関係性が変わり、クラスという箱に自分の居場所

  が無くなった感覚だったようです。

 

   時は少し遡り、中学へ入学した時のこと。「部活はできるだけ入りね」と

  モラ夫もわたしも言ってました。トムが希望したのはバドミントン部。わたし

  も姉のサクラもバド部で、小学生のときにクラブ授業でバドミントンをして

  とても楽しかったみたい。でも中学のバド部は「女子」しかなく諦めていたん

  ですが、「仮入部できるか先生に聞いてみたら?」と提案しました。

  トムは顧問に掛け合い「仮入部させてくれるって!」と嬉しそうに帰宅してきた

  のを覚えています。女子ばかりの所にひとりで部活に行き、数日後には男子の

  友達を誘って、一緒に練習に参加していました。

   仮入部期間が残り3日という時に顧問から、「男子の試合に引率できないから

  男子の入部は出来ない」と断れてしまい、号泣して帰ってきました。試合に

  出なくても一緒に練習はできないか?と顧問と話してみましたがダメでした。

   仕方がないので、残りの3日で吹奏楽部に参加し、男子も数人いたので、

  「吹奏楽部に入部する」とバド部のいきさつから父に報告しました。

 

   「なんで運動部じゃないねん、パパは運動部に入りなさいと言ったやろ?

 

   わたしもトムも「え?そんな話ししてたっけ?」・・・当然ながらそんな

  話は一切聞いたことありません!!モラ夫の勝手な考えです。

   「吹奏楽部も体力使うし、運動部と変わらないよ」と助け船を出したんですが

  「運動部にしなさい」の一点張り。数少ない部活に運動部を選べって言われ

  仕方なく卓球部に入部しました。野球、サッカー、バスケを選ばなかった男子

  が卓球部に集中し、いざ入部してみると「台を独り占めされた」「下手くそな

  奴は練習できない」など毎日愚痴って「楽しくない」と・・・

  小学生から「空手」の稽古もしていて部活と両立する為に、空手のある日は部活

  を休んでいました。その事を同級生に「部員なのか?」と言われ、夏休み明けに

  は別居と同時期に退部し、空手にも行かなくなりました。

 

   中学1年生の夏は、引越し、親の別居、部活の揉め事、父(モラ夫)からの

  しつこい「会って話したい」電話のコール。←恐怖しかない。トムには沢山の

  事が重なった夏でした。

 

             ~後編へつづく~

 

  

 

 

うつ病?何かが違う病状

 

  ~前編の続き~

 

  

 

 

  何とか合格した大学に通い出したサクラ。〇〇検定1級を課せられたサクラは

 勉強に真面目に取組んでいました。それこそバイトもせずに。その成果もあり、

 成績優秀者として表彰され、iPadと賞金5万円を貰いました。父(モラ夫)に

 チラッと報告しましたが、モラ夫は特に反応なしだったと記憶しています。

 

  そんな中、サクラは学校のカウンセリングに時々通っていました。卒業する頃

 には、カウンセラーから「引き続きカウンセリングを行い、心療内科の受診を

 勧めます」との事で、自宅近くの心療内科に通い始めました。この時は既に別居

 して1年半が経ってました。

  卒業後のサクラの生活は一日中寝臥せって、スマホをずっと見ている感じ。一番

 不調な時は、お風呂も歯磨きも億劫で虫歯になりました。こんな状態なので、初回

 の診断は「うつ病」。処方薬を飲み、2週間に1回のカウンセリング。半年投薬

 しても変化はなし。ただ、たまに調子が良くて、ちょうどその時期、かぎ針編みの

 定期本の初回号が発売され、サクラに「やってみる?」と渡したら、ハマって、

 家で一日中、数日間、ずっと編み物をやり続けた事がありました。

  また、「自転車で出かけてきた。その時に見つけたカフェのバイトに応募して、

 あさって面接に行く。」と、1日で二駅分を自転車で往復し、バイトの面接まで

 こぎつけてきました。

  しかし翌日、面接の前日に「面接に行くのが嫌だ。」と泣き出しました。

 あまりにも乱れていたので、その日の内に診療内科へ受診し冷静になって帰宅して

 きたものの、昨日までの元気さはなし。

 

  面接の日、不調でしたが「とりあえず行く」と出かけ、帰宅すると「明日から

 来てくださいと言われた」とまさかの採用。当然、サクラは嬉しくない・・・

 でも、真面目な性格がバイトに行ってしまい3日目でアウト!紅茶専門店だったので

 初日から茶葉の特徴をばーーーーっと言われ必死にメモを取ってたけれど、頭が

 働かないので真っ白。限界。号泣。「辞めようっか。」「うん」。この出来事があって

 検索したら「双極性障害Ⅱ型」なんでは?と思ったんです。サクラにその自覚は

 ないので、診察に行ってもいつもの処方になると思い、医師に「こういう出来事が

 あり双極性の疑いがあります。そちらの治療をお願いします」と手紙を郵送しまし

 た。医師もわたしからの手紙を受け取った事は秘匿にしてくれ、双極性障害の投薬

 に切り替えて貰いました。 ビンゴ!少しづつ気分の波が緩やかに、日常生活を送れ

 る状態に。

  

  双極性障害に行きつくまで1年とかからなかったのは早かったと思います。鬱状態

 が本人にとってしんどく、その時に受診をするのでうつ病と間違われてしまいます

 家族や友人など、普段の生活と関わっている人が見ていないと、変化に気付けない

 と思います。遺伝的には少ないそうですが、実はモラ夫の母は「統合失調症」らし

 く、わたしは29歳でうつ病を発症していますし、モラ夫も「自己愛性パーソナリ

 ティー障害」であろうと思われます。体質的になりやすかったかもしれませんし、

 両親のごたごた、そして別居で父から解放されたという環境の変化や自己主張

 が出来る自分になった事、いろいろな要素が重なったのだと思います。

 

  サクラがまだうつ病の治療をしている時、大人の反抗期がありました。その時、

 爆発したサクラの一言が今でも忘れられません・・・

 

  「わたし(サクラ)の23年間を返して!!!」と言って一晩家出しました。

 

  この言葉にとても心痛みました。私たち夫婦の責任です。

  「サクラがそう思うなら、ママのせいだと思ったらいいよ。」これが精一杯の

 私からの声掛けでした。

 

 

 

娘(サクラ)のこころの傷

 

   サクラは「双極性気分障害」です。発症したのは多分(としか言えない)、

  大学4年生から卒業のあたりでしょうか・・・

 

   大学3年生の終わりから就活が始まりますよね。一応、インターンに参加

  したり、就活フェスにも行ってたんですが、4年生の夏には全く活動が

  ストップしていました。「学校に相談してる?カウンセラーさんと話したり

  してる?」と尋ねても「うん」と答えるだけ。わたしは見ていてイライラ

  してたけど、何を考えているのか?話しを聞くことにしました。

 

   「どうやって決めたらいいのかわからない。順序がわからない

 

   どういう意味か?

   小学4年生から父(モラ夫)から毎週末、2時間「高校物理」の勉強を教え

  ていました。そもそもの話しなんですが、モラ夫が急に「サクラに勉強を

  教える。お前(わたし)はどうせ高卒なんだから、教えられないだろう?塾も

  行かせず俺が教える」と何の相談もなしに、この言葉を言い放ち、週末塾が

  始まりました。難しい問題を解き、できなければ泣いているサクラを「やれば

  できる」と言い聞かせていました。そして中学になり成績も良く、高校受験を

  どうするか?という時期には、この辺では「おぉ~賢い!」と言われる公立の

  進学校を行くよう言われ続けました。サクラにとって、選択肢はゼロ

 

   そして合格。わたしはサクラの努力を褒め「おめでとう」と言ったけれど、

  モラ夫は「俺が教えたおかげ。」

   大学受験になると、「国公立大学しか許さない」「通学のみ」。高校で成績は

  「落ちた」というより身の丈に合わない学校なので、上位に沢山いました。

  今、アラサーになった友達は、弁護士修習生、薬剤師、看護師、理学療法士と

  いう顔ぶれ。同級生はもっと活躍してる事でしょう。

   国公立って言うけど、通学出来る国公立大学はみなレベルが高い!サクラの

  偏差値を20もあげなきゃいけない。それでも滑り止めなしの一校一択で受験。

 

   失敗・・・  浪人。それも宅浪。

 

   2回目、同じ国公立大学、失敗。私学OKとなったけど、ランク付けの4大学

  のみという条件。受験、失敗。 その年の3月末、やっと合格。その大学、学部

  はランク外でオープンキャンパスさえ行ったことのない「受験日があった大学」

  でした。

   わたしはそれでも「よく頑張ったね、おめでとう」と言ったけどサクラの顔が

  引きつっていたのを覚えています。モラ夫に何を言われるかわかっていたから

  です。モラ夫の一言目は、

   「卒業までに〇〇検定1級合格したら学費払う」がサクラへの言葉でした。

 

   後に、この時の事はコンピ中の書面に書いてありました。

   「予備校に通ったらどうかと提案したが、サクラは受け入れず、結局志望校に

  合格出来なかったため、サクラの大学合格時、快く思っていなかった

 

   子どもに期待することは親として当然、気持ちはあると思うけれど、自分

  (モラ夫)通りの道に行けなかった事で、プライドなのかステータスなのか、

  同僚に対しての自慢したい気持ちなのか自己満足なのか・・・あまりにも

  自分本位の考え方でした。

 

                 ~「後編」へつづく~

 

顔も声もほとんど知らない

 

   「類は友を呼ぶ」と言いますが。そんな光景を見た気がします。

   

   別居して遠方の単身赴任先に家を構えたモラ夫と調停を行った時、お互いに

  弁護士が付いていたので、裁判所に行かずとも弁護士事務所で「電話調停」を

  しました。電話の向こうには顔もわからない調停委員さん二人の声だけ。

   離婚調停の時は、わたしに弁護士が付いていなかったので、家庭裁判所の

  小さな会議室で調停委員さん二人と直接お話をするも、退席している間に

  調停委員は電話でモラ夫と弁護士と会話をしています。モラ夫は遠方のまま

  弁護士事務所で電話で調停をしているんです。

   同じ裁判所で行うと、顔を合わせないよう待合室を離してくれたり配慮を

  してくれるそうですが、弁護士が言うには「裁判所に来たときやトイレなど

  でバッタリ会う」事もあるんだとか。いくら沢山の部屋があり、階数が多く

  ても、同じ裁判所にいたら、そんな事もあるでしょうね。

 

   それでも一度だけ、モラ夫の弁護士を見る機会がありました。それは、

  「離婚訴訟の初日」でした。「第一回口頭弁論」という日です。家庭裁判所の

  管轄は、モラ夫の居住地でも、わたしの居住地どちらで申立てても構わない

  のに、何故だかモラ夫はわたしの居住地の管轄裁判所に申立てました。

  この「第一回口頭弁論」には、わたしの弁護士は法廷に行かなければなりま

  せんが、モラ夫の弁護士は電話でも良かったし、裁判官からも「来る必要は

  ないので電話で構わない」と助言したにも関わらず、「行きます」と新幹線に

  乗って来ました。その時、わたしはヨシノ先生に「法廷に行ってもいいです

  か?」と尋ねました。やっぱりモラ夫を弁護してる人の顔を見たいじゃない

  ですか!ヨシノ先生「いいよ~、私の横でもいいし、傍聴席でもいいし~。

  どうせ5分位で終わるから~」という事で、心の負担にならないように傍聴席

  で見る事にしました。お初!

 

   時間通りに法廷に入ったわたしとヨシノ先生、それとヨシノ先生が連れて

  来た研修生、担当裁判官。既にモラ夫の弁護士は座って待っていました。

   顔はマスクでハッキリと見えませんが、「はい、そうです」と低いドスの

  聞いた声。同じ位の世代。見た目はサラリーマン。そんな感じでした。

 

   けれど・・・「第一回口頭弁論」って、モラ夫の訴訟内容とわたしが提出した

  「反訴」の内容の擦り合わせをするだけ。次の期日を決め、裁判官からの宿題が

  でて終わり。本当に5分。それだけの為に、わざわざ新幹線に乗って?1日の

  時間を使って?来る?

 

   日当目当てじゃないの?今まで散々調停で負けたから、儲からなかったの

  かな?

  いや、この人、離婚訴訟の経験がないのかも!

   実は裁判官もヨシノ先生も、訴状の内容がおかしいって言ってたのよね。

  「普通はこんな事を原告(モラ夫側)は書かないよね」って。モラ夫が「記載

  して欲しい」と頼んだ可能性は無きにしも非ずだけど、弁護士が法に則って

  書けないって。プライドが高いのかな?モラ夫と同じ匂いがプンプンしました。

 

 

 

 

離婚調停、20人の弁護士たち

 

   わたしは二人の弁護士に依頼をしたことがあります。二人とも弁護士会や

  市の無料相談で出会った先生です。だから「探す」というのはとても大変で

  時間も交通費も、たまに有料相談も利用したので1時間¥5,500支払って

  何も得ずという事もありました。また「弁護士ドットコム」というサイト

  で相談したり、逆に「わたしの代理人募集」をしたりしました。何にしても

  労力は使いました・・・面談した弁護士は20人ほどで色んな人を見ました。

   

  ケース1:離婚調停半ばでメールから相談のアポを取った先生がおられ

  ました。「では、お待ちしています」という返信がきたんですが、少し先の

  日にちだったので、約束の前日に確認を取ろうと電話をすると事務員の方が

  「お約束されてたんですか?申し訳ありません。先生が今日急逝されまして」

  と、突然の訃報。

 

  ケース2:「弁護士ドットコム」で相談し、よく回答をしてくださった先生。

  経歴も長く経験も豊富。依頼はしませんでしたが調停前に相談に行き、どんな

  書面を書いたら良いか?と数回尋ねた事があります。力になってくれましたが

  「先に送ってくれた書面を読んだ時間15分を相談料で頂く」とシビアにお金を

  請求されました。経済的DVを「兵糧攻め」とおっしゃった先生。

 

  ケース3:元裁判官の弁護士先生。個人事務所で事務員も雇っていない様子。

  30分無料相談中、何度も依頼者であろうからの電話で席を離れるので

  忙しそう。帰り際「訴訟になってから来てください」とやんわり仕事を受け

  られないと断られた。

 

  ケース4:離婚専門をうたう弁護士事務所。初回60分無料相談。離婚調停も

  後半になってきた時期で「もう不成立になるし、今から着手金30万円と報酬

  50万円かかるので、依頼は勿体ないですよ。」と電卓をはじかれて終了。

 

  ケース5:事務所ホームページの「お問い合わせ」から面談の依頼をしたが

  未だに返信がない。

 

   そのほか、「慰謝料は300万円は取れる」と豪語した先生→慰謝料は

  取れないと感じてたし。 研修生付きなので日当が発生したら二人分を

  請求しますと言った先生→二人に依頼したい訳じゃないしそっち都合やん。

 

   結局、ヨシノ先生に話を聞くと、わたしのように飛び込みで依頼が来るのは

  珍しく、「ほとんど紹介よ~」なんだそうです。紹介と言っても、周りに弁護士

  と関わった人なんて、フツーいないですって~・・・

 

  

 

どの様に探したのか?見つけられたのか?

 

   自分のブログがスマホでどの様に見えてるのか?気になって見てみたら、

  見にくいじゃない!あちゃ~、気付かなかった。まぁいっか(笑)

 

   さて、離婚訴訟を起こされたわたしは代理人、つまり弁護士をみつけなく

  てはならなくなりました。コンピ、面会調停の時に依頼した弁護士は体調不良

  で休職。離婚調停は代理人なし。ただ、離婚調停では調停の期日と期日の間に

  無料相談や有料相談を利用して、約20人の弁護士と面談しました。

  1回30分~60分の中で次回のアドバイスを聞きたかったんですが、初めて

  会う弁護士にまず、現状を説明→わたしの考えを伝えるので15分使い、残り

  15分で意見を貰う。けれど「わたしの聞きたい答え」が必ず返ってくる訳でも

  ない。ほとんどそんな状態。でもわたしは訴訟を見越してたので、「話しやすい」

  「レスポンスが早い」「的確に的を得た回答」をしてくれた数人の弁護士に当たり

  を付けていました。それに事務所へ行けば必ず名刺を貰う、弁護士会などの無料

  相談を利用した時は名前を聞いたり、控えておく。後に検索すれば事務所や

  何期生かがすぐわかります。最初の弁護士はそれで連絡を取りました。

   結局わたしの選んだ代理人は、調停が最終期日になるだろうという直前に

  市の無料相談で出会った女性弁護士に決めました。とにかく頭の回転が速くて

  「この書面出したらいいよ~」と的確アドバイスをしてくれ、「訴訟になったら

  受けて貰えますか?」と聞いたら「できるよ~」と言ってくれて「訴訟って相手

  の顔、見なくていいから~」という新情報をゲット!「えっ、顔合わせないで

  いいの?」と安堵感半端なかった。ついでにどっぷり鬱になってたわたしに

  元気を沢山くれました。木村佳乃さんっぽい感じ。ヨシノ先生としてブログに

  登場して貰います(笑)

   取り敢えず、見つかって良かったぁ。