昔から日本海軍の”主力艦”と云われた

「大艦巨砲主義」の権化である

 

戦艦(Battleship)は無論、正規空母等大型艦は

あまり興味が無く

 

”補助艦艇”と云われる様な小型艦

 

特には駆逐艦を主力とした突撃部隊である

 

「水雷戦隊」に惹かれてしまうものがありました

 

自艦の20~30倍もの排水量の巨艦艦隊に

被害を鑑みずに突撃して必殺の魚雷を叩き込む!

しかもレーダーもない夜戦で・・・

 

最初の大戦果は日露戦争時の日本海海戦で

ロシア艦隊を完全全滅させるほどの

猛威を振るったのが日本の”水雷戦隊”でした

 

その後時代は移り

 

その「水雷艇」を排除すべく作られた艦種が

水雷艇を大型化したような

「水雷艇駆逐艦」(水雷艇を駆逐する者)

 

それが所謂”駆逐艦”という艦種の始まりでした

 

”鴻型水雷艇”誕生経緯

 

更に時代が下がり軍縮の為の「ロンドン海軍軍縮会議」が

1930年に締結発行され日本は米英に対して

主力艦を10年間建造禁止とされ補助艦艇群も

海軍戦力を7割(正確には69%)以下に制限される

事となり

 

戦艦以外の空母や潜水艦等の”補助艦艇”も

厳しく制限されたことで

その活路を制限外の600t以下の極小艦に

求めた結果が本艦の誕生の経緯

 

実質的に艦隊決戦の為の”小型駆逐艦”を想定

していましたが

 

ネームシップ”鴻”をはじめ4隻が建造中に

1935年「第四艦隊事件」が発生

 

過大な兵装を改めたり船体構造を強化する等で

建造が遅れ条約失効後にずれ込むのを

見越して当初の16隻建造を8隻で打ち切りました

 

終戦時残存艦は”雉”ただ1隻だけでした

 

*雉の初出航時

 

そんな海軍軍縮条約の結果生まれた

”鴻型水雷艇”でしたが、当たり前ですが

 

小型すぎると単に脆弱過ぎてとても「艦隊決戦」に

使える物ではないのですが・・・

 

特にww2時は航空機になすすべもなくやられて

しまいましたが太平洋戦域では敵潜水艦の被害も

 

大変大きく実際沈没した半数は米潜水艦の戦果という

話もある位で”シーレーン”防衛というか

 

対潜水艦対策を対飛行機と同等以上にすれば

そこまで被害も無かったかもですが

 

如何せん思考の中心に「艦隊決戦」が長年刷り込まれて

いる上に日本の何もかもが不足している状況では

 

結果は変わらないとも思われますが。

 

それはともかく

 

以前も制作した水雷艇の模型再販が

目に留まったので思わず購入しましたが・・

 

何これ?w

 

 

これで¥1500

 

以前は箱入りで2隻セットなので事実上

2倍以上の値上げムキー

 

*元々はこんなパッケージでした

 

やはり3Dプリンター導入してデーターを探すか

 

自前で設計するのが面倒でも最良なのかもしれませんね

 

・・・部屋の整理進めて3Dプリンタの置き場所

確保したいです汗