広島・呉遠征時に立ち寄った
「大和ミュージアム」に展示されていた
「海龍」(潜水艇)を目の当たりにしましたが
そういえばこの呉の隣にある江田島の
「海上自衛隊第一術科学校」(旧海軍兵学校)へ
昔見学に行った際にそこに安置されていた
”甲標的”もあった事を思い出しました
*公式Hpより”甲標的”(特殊潜航艇)
(自前の写真が無いのは撮影禁止だった為)
甲標的といえば開戦時1941年12月8日(現地7日)
5隻の甲標的がそれぞれ母船である伊号潜水艦5隻より
発進して警戒厳重な真珠湾内に突入したが
全艇未帰還になり
それを当時の大本営は大々的に戦死した9人の
乗組員を”九軍神”と宣伝したり
(1人は奇跡的に脱出して捕虜第一号となる
/なので10人ではなく九軍神とした)
大戦末期の「回天」の特攻とあわさって
全く良い印象が無かったのだが
具体的な事は何も知らないのでこの機会に
少し調べてみたらこの本が2019年に
出版された新しい書籍だったので購入して
みることにしました
過去に”甲標的”関連の本はいくつか出版は
されていましたが
部分的な開発や作戦の限られた紹介だけ
だったのでこの書籍に期待した訳です
この書籍の大部分の基礎データ・写真・資料を
拠出された甲標的に関わった方が2016年に
亡くなっておられるので、余程の資料が発見されない
限りこの本が甲標的の”集大成”的ものに
なると思われます
本当はもっと展示されていた「海龍」や
「蛟龍」の詳細資料も見てみたいのですが
戦後の混乱期に資料は散逸して無いのでしょうね
*「蛟龍」
(現在はジャパンマリンユナイテッド(株)呉事業所)の
乾ドック内1945年10月撮影
これから読むのが楽しみです