アメリカはレストランでの注文時に
チーズやドレッシングの種類を選択できることが多い。
他にもメキシコ料理では豆の種類を選べる。
ビールもどのメーカーの何ビールがいいかを伝えなければ
「ビールひとつ」などという注文で出てくることはない。
あまり食べ物に詳しくない私は
「一番この料理に合うチーズを乗せて欲しい
このサラダに一番美味しいと思うドレッシングを教えてくれ」
と思うけど、
よく考えたら何を美味しいと思うかなんて、その人それぞれなのだ。
レストランに行く度に自分で細かいトッピングを選択することに慣れると、
日本で勝手にドレッシングが乗っていたり
ソースが決まっていたり、あれこれ付いてきた際に
「これが誰もが美味しいと思うトッピングだと思ってるのね、大きなお世話だわ」
と感じてしまうことがある。
アメリカにかぶれた証拠だろう。
自分で選ばなくてもいいということは、確かに楽だ。
出されたものをそのままいただく、というのは日本の文化だろう。
全員が全員、同じものを美味しいと感じるのか?
日本人の味覚は、そこまで平均的なのか?
シェフもきっと「これ・・・こっちのチーズ(ソースでもなんでも)の方が
美味しいと思う人もいるよねきっと」と思うことがあるのではないか。
こちらでも高級なレストランになればなるほど、
食材やトッピングを自分で選ぶことはなくなる。
決まったものが出てくる。
それはシェフが腕に自信があるからだろうし、
気に食わなければ食べなければいい、ということだからかもしれない。
巷のファミリーレストランやチェーンなど、
軽く食べられる場所だと選択肢が増えるのだ。
そうしなければ、客が来ないからだろうか?
選べるから美味しいし楽しい。
選ぶ楽しさも付いてのメニューなのだろうか。
「何チーズを乗せますか?ドレッシングは何がいいですか?
豆はどの種類がいいですか?パンにも色々ありますが」
そんな事を聞かれるたび、
どれがどんなものなんだったっけ。知らないから決められないよ、と
何のためにこんなに選べるメニューになっているのだろうと考えたりするのである。
チーズやドレッシングの種類を選択できることが多い。
他にもメキシコ料理では豆の種類を選べる。
ビールもどのメーカーの何ビールがいいかを伝えなければ
「ビールひとつ」などという注文で出てくることはない。
あまり食べ物に詳しくない私は
「一番この料理に合うチーズを乗せて欲しい
このサラダに一番美味しいと思うドレッシングを教えてくれ」
と思うけど、
よく考えたら何を美味しいと思うかなんて、その人それぞれなのだ。
レストランに行く度に自分で細かいトッピングを選択することに慣れると、
日本で勝手にドレッシングが乗っていたり
ソースが決まっていたり、あれこれ付いてきた際に
「これが誰もが美味しいと思うトッピングだと思ってるのね、大きなお世話だわ」
と感じてしまうことがある。
アメリカにかぶれた証拠だろう。
自分で選ばなくてもいいということは、確かに楽だ。
出されたものをそのままいただく、というのは日本の文化だろう。
全員が全員、同じものを美味しいと感じるのか?
日本人の味覚は、そこまで平均的なのか?
シェフもきっと「これ・・・こっちのチーズ(ソースでもなんでも)の方が
美味しいと思う人もいるよねきっと」と思うことがあるのではないか。
こちらでも高級なレストランになればなるほど、
食材やトッピングを自分で選ぶことはなくなる。
決まったものが出てくる。
それはシェフが腕に自信があるからだろうし、
気に食わなければ食べなければいい、ということだからかもしれない。
巷のファミリーレストランやチェーンなど、
軽く食べられる場所だと選択肢が増えるのだ。
そうしなければ、客が来ないからだろうか?
選べるから美味しいし楽しい。
選ぶ楽しさも付いてのメニューなのだろうか。
「何チーズを乗せますか?ドレッシングは何がいいですか?
豆はどの種類がいいですか?パンにも色々ありますが」
そんな事を聞かれるたび、
どれがどんなものなんだったっけ。知らないから決められないよ、と
何のためにこんなに選べるメニューになっているのだろうと考えたりするのである。