ものやサービスに、いくらお金を払うのが妥当か。

もったいないのか、お得なのか。

そういうのは個人によってバラバラなんだと思います。

みんなおそらく、○○にはこれくらい払ってもいいな、

でもXXにそんなに払うなんてもったいない!と思っていることがあると思います。

 

私は、普段は妙にケチなところがありますが

映画鑑賞とストリーミングサービス、あとはパソコン系のものには

比較的に何も考えずにお金を使う方です。

それはおそらくよく使うからだと思います。

「もとを取れている」という安心感があるのかな。

 

先日友達に「アンチウィルスソフトに年間$40も出すなんて高いよね?」と言われ、

「いや私は年間$110払ってますよ」と思いました。

彼女は普段、アンチウィルスは「無料」のものを使っていて

彼女にとってはそれが普通で、お金を出すことすらもったいないと感じるようです。

私からすると「それくらい払おうよ」と思うのですが、

彼女にとってはすごく嫌な出費なわけで・・・。

そう考えると、きっと私の中にも、出し惜しみしているものがあって

人からすると「それくらい払おうよ」と思うものってあるんだろうなと思うわけです。

それってなんだろう。

服かな?

レジャー代?

 

ま、人それぞれよね。

高いとか安いとかって、なにを基準にするかですよね。

それは何に対してもそうであって、これをたぶん相対主義って言うのでしょう。

 

このサイズがデフォルト。

美味しかったけど、最後の方はオエッとなった…。

もうひとサイズ小さいのないの?

私は仕事の最中に、ポッドキャストを聞いたり映画やTVドラマを観るのが楽しみのひとつです。

もちろんそうなると、オーディオブック(本の朗読)にも興味が湧くのですが

CDで聴くとなると1冊につき10枚とかザラなので、面倒だなと思っていました。

ところが最近、図書館を通して無料でインターネット上でオーディオブックを聴けると知ったのです。

(図書館はミニマリスト天国。所持品として溜まらないし、しかも無料。)

ここ数日はずっと図書館のオーディオブックをネットで聴いています。

 

さっき「The Art of Procrastination(後回しの美学:Inori訳)」という本を聴き終えましたが、

とても面白かったです。

スタンフォード大学の哲学の教授が書いたもので、

「あなたがこれを読んでいるのはきっと、今現在やらなければいけないことを後回しにしているからだ」

と、ユーモアたっぷりに後回し(先送り、先延ばし)癖のある人の気持ちを代弁してくれています。

スタンフォード教授の心が軽くなる先延ばし思考」(日本語でも出てました)

 

なんでも先送りにしてしまう癖のある人は、常々罪悪感に苛まれ、

時々は鬱症状まで出てしまうことがあるので、自分の傾向を否定するのはどうか。

実は先送り癖のある人でも、それを前向きに考えどんどん「他のこと」をやれば

気がつけば色んなことを成し遂げちゃったりしてるのだ、と前向きなことを書いてくれています。

 

私は嫌なこと以外にも、考えすぎて行動に移せない傾向がありますが、

「これをまずやらなければ!」と思うあまりに、他の何をするにも罪悪感を感じ、

結局何もしないまま(ぼけーっとしたり寝たり)時間が過ぎることがよくあります。

逆に、全く別のことをやっちゃえば、色んなことが成し遂げられるような気がしてきました。

 

もちろんこの本は、少しでも後回し癖を軽減できるようなアドバイスも書かれています。

(後回し癖のある人は完璧主義な人が多いので、完璧じゃない仕上げを最初から想定してとりかかる、

 とか。動きやすい音楽をかける、とか、やることリストの使い方とか…)

でも本人が過度の後回し癖のある人で、治せる術を知っているならとっくに治している

治らないんだから治らない、とおっしゃってます。

結局「基本的に自分の癖をよく知り、それを逆手に取る形でハッピーになればいいのでは」

というのが本のメッセージで、聴いていて嬉しかったです。

 

この教授は、締め切りは守らない、机はぐちゃぐちゃ、だけど常に何かをやってて

人には「すごいねぇ、そんなことする時間どこになるの?」といわれるようなタイプの人で、

そういう人の思考も分かって面白かったです。

ケロッとしているというかなんというか。笑

 

彼の本を読んだから自分の後回し癖が治るとも思いませんが

人は千差万別だから自分に合う方法でやっていけばいい、それを模索していこう、

と前向きになれたので全てよし!

そもそも、人に罪悪感を植え付けたり、これはダメだとかアナタは変わるべきだみたいな、

否定的なものを信じ込ませるような本は

自分がもったいないしハッピーになれないなと思えました。

哲学者が書いた本らしく「幸福ってなにかを考えてみるといい」と最後の方に指摘。

そうよね、幸せだったらいいのよ、人生。

 

昨日のお散歩の風景

例えばいくら趣味が同じでも『波長』が合わない人ってのがいます。

あと、会って話せば楽しいけど、メールやLINEでのやり取りの波長が合わない人。

逆もしかり。

 

今回は、LINEのやりとり(連絡の取り合い)の波長の合わないお友達のお話。

 

最初に「ん?」と思ったのは、サンクスギビングの一週間前くらいのこと。

私が「もしサンクスギビング何も予定ないならうちに来てもいいよ。私も何もする予定ないし」

とぼんやり話してたら、彼女は「そうねぇ分かった」というあいまいな答え。

それ以来全くそのことについて言ってこないので、まぁ何か予定があるんだなと思っていたら

サンクスギビングの当日に「今日いつ行けばいい?」というメッセージ・・・。

来るの?!

もっと早く言って欲しかった。

彼女の中ではあれが「私はその日行くのでよろしく」という答えだったのか?

 

そして最近のこと。

私の誘いをことごとく断り続け、しまいにはイベントに一緒に行く約束を前日の夜にドタキャンされ

もういいや、と思っていたら、彼女のお仕事がスローになったらしく最近お誘いがくるようになった。

ところが、私が忙しい時期であまり時間がなくて申し訳ない。

 

友人:「今週どうですか」

私:「相変わらず忙しいです。会えるのは2時間くらいかな。お食事でもする?(私の思考:今週って平日のことだろうか週末のことだろうか)」

友人:「わーい」

私:「私はいつでも都合つけることができるから、ごめんだけど場所と日時決めてくれる?」

(2日経過)

友人:「●●料理とか食べたいな」

私:「いいよ」

(1日経過)

「XXと、〇〇どうでしょうか。(リンクもなくレストランの名前だけ)」

(私の思考:選んでくれて助かるわ。でもリンクくれるともっと助かる。どこの何料理レストランかも分からぬよ。しょうがない。自分でレストランを検索かけて調べてみる)

私:「有難う。じゃあ〇〇にしよう」

友人:「オッケー」

(…3日経過)

私:「で、いつ会うの?(私の思考:もう金曜日だけど。どうなってるの)」

(次の日の早朝)

友人:「今日か明日なら」

私:「で、今日か明日のどっちなの?(私の思考:なぜはっきり言わないんだろう。)」

 

(そして半日経過。今ここ)

 

こんな調子です。

おそらく、相手が日程に対してどういうことを求めているのかを判断できない人のようです。

レストランは選んでくれるので、どうも日に弱いらしい。

これからは、私が彼女の分も日程を決めてあげた方が早いかもなぁと思いました。

 

普段何気にやりとりしているLINEやメールですが

スッと相手と予定を立てることができるって、実はすごいんじゃないかと思ったりします。

特定の人からくるメッセージにいちいち「?」となる事ってないですか?

それはたぶんその人と自分の『波長』が合ってないんだと思います。