ネットやら何やらで、自分が入力したものや検索したもの、

自分が買ったものや足を運んだ場所など、様々な情報を

誰かがかき集めてそれを利用しているという話はよく聞きます。

クレジットカードなど直接お金に関係してくるような情報を悪用されるのは困るけど、

それ以外にぼんやりしたものは、特に自分に関係ないと思ってしまいがちです。

しかし、コンピューターはこれら情報を使って、

私たちが気付かないような操作をしているらしいですよ。

例えば、自分が(無意識に)欲しいと思っているもの(情報やら商品やら)を割り出し、

『買わせる』 『意識を操作する→行動させる』のです。

行動する人間が気付かなければ気付かないほどいいシステムという事らしいです。

アルゴリズムでネットで出てくるニュースを選り分けることにより

政治投票の結果なども操作できる時代になっているらしいです。

こうなってくると、自分の意思なのか誰かがそうさせてるのかも分かりません。

しかもそれをプログラミングした人間も、コンピューターが計算して出した答えが

どのようにして出たものかが分からない域に達しているようです。

昔から広告やプロパガンダについては、同じことが言われてきているので

方法が変わっただけで、根本での問題は変わっていないのかもしれませんが

一般市民としては、知っておくだけでも大切かも…。

 

それにしても、こうやって無意識に欲しいものをコンピューターが当ててくれ、

色んなものが手に入りやすくなった世の中とは言いますが、

なぜか私は探しても探しても近くで趣味の合う友達が全く見付かりません。

言うほど簡単でもないんじゃないでしょうか、結局。

 

写真コーナー

何の花かは知らないけれど…

ミツバチがたくさんいました。

先日友達とビーチの散歩をして思ったことがあります。

私は普通に彼女と話をしながら歩いているのですが、

その間に何度も彼女は「そこの人、なにしてるのかな」

「あの犬ってさぁ」「さっきの人は…」「ちょっとあの人って…」

と、周りの人のことにいちいちコメントをつけるのです。

私はそんなこと考えずに歩いているので、「誰のこと?」「なに?」「どこ?」

と、話を振られた時にはその人はもうすれ違った後だったりするのが常。

その頻度に疲れながらも、ちょっと考えることがありました。

 

彼女は特に周りの人にコメントをつけるタイプだとは思いますが

他の友達でもこういうことはよくあり、

私が一緒に居ても彼女たちは他の人を私よりも数段観察していて、

私はその度にショックを受け、この人は私の話全然聞いてないじゃないか!と思いながらも

もしかして自分の視野は狭いんだろうか?と疑うようになりました。

自分の世界に引き篭もっているからこういう事が起きるのだろうか?

人よりも見えてないことが結構あるんじゃないだろうか。

 

自分の目をもう少しだけ外に向けようかなと思った今日この頃。

 

でも今、少し思い出したこともあります。

 

日本に帰るとよく父と散歩するのですが、父もよく周りのものにコメントをつけます。

私がぼけーっと家並みを眺めて「どんな人が住んでるのかな」と思ってると

同じ方向を見て「ほら、この木は○○だ」と全く同じ方向を見てても観てるものが全く違う。

だから、私も何も観てないんじゃなくて、きっと友達と違うものを観てるだけで

そのコメントの速度と回数、口に出すか出さないかの差だろう。

彼女は人が好きなんだろうな。

父が木や鳥を好きなように。

 

そもそも会話しているのに、周りの人の観察なんかできないわ、私。

明日はアカデミー賞授賞式です。

映画が好きな私は、それなりに毎年アカデミー賞を追っていますが、

年によっては、何がノミネートされて何が受賞したかも特に気にしない年もあります。

そんな時は大抵、観たことのない作品ばかりがノミネートされているからです。

映画をあまり観なかった年ということですかねぇ。

今年はノミネート作品のほとんど観たので、賞の行方がとても気になっています。

 

私の印象としては、アメリカに住む人々は映画が好きで

日常の会話に映画がよく出てきます。

最近何を観たとか、会話の中で映画の台詞が出てきたりだとか、

みんなで家などに集まっては一緒に映画を観たりだとか…。

アカデミー賞前のこの季節は、一般の映画ファンから評論家まで広くに渡って

受賞予想の話題で持ち切りになります。

そして、たぶん世界中の映画業界がこの授賞式を注目していると思うのです。

 

時々アメリカの映画ファンでも「アカデミー賞なんてどうでもいい」と言う人がいます。

その理由は、この授賞式は結局人気投票だったり

映画の本当の良し悪しよりもその時の勢いで決まったりして

内部のやり取りや映画人同士の偏った見方で受賞者が決まるのが

多数の映画ファンにとっては、

「アカデミーがナンボのもんじゃい!」と思わせるんだと思います。

その気持ちも分かります。

アカデミーで認められなくても素晴らしい映画はたくさんあります。

 

それでも私は米国アカデミー賞は大切だと思います。

世界の映画業界や時代をひっぱる役割を担っていると思うからです。

その年を反映する映画が選ばれ、

過去を振り返る時に受賞作やノミネーション作を見てみると、

その時代が浮かび上がったりするのです。

そういう役割があると思います。

 

授賞式前には各ノミネート作品について細かい議論がなされ、

何が受賞するかしないのか意見をぶつけ合う。

深く作品を考察することで映画という芸術が練られて更に素晴らしいものになっていく。

いいなぁ~~と思うのです。

 

数年前に、アカデミー会員のほとんどが白人男性で

その大半が65歳以上であるという事実が問題になったことがあります。

アカデミーはその後、女性や若い人、有色人種の会員を増やしました。

それもあり、ノミネート作や受賞作の色もこれからどんどん変わると予想されます。

 

毎年アカデミー賞を追っているとしんどくなるのは分かるので、

時々はまったく気にしない年もあってもいいし、文句を言ってもいいと思います。

それでもやっぱり映画ファンとしては気になる賞で、

色んな意味で重要度は高い気がする。

これから変わっていけると思うし、希望はあると思います。

 

日本人の私は、こんな賞があるアメリカが羨ましい。

 

写真コーナー

ハイキングに行った時に、近くにあったカフェでアボカドサンドを食べました。

美味しくて、超早食いになって、もっとゆっくり食べればよかったなぁと…。

一緒に買ったスコーンもすごく美味しかったです。