たとえば、貸しきり状態のような空いた映画館で悠々と映画を観ることがあるとします。

なんて静かなんだろう。この席からのスクリーンは最高だなぁ。

トイレに行ってもスカスカで綺麗だし。

ふと「平日の午前中の映画館って大好きだ」と気付いたりしますよね。

すると途端に、週末の映画館の混雑や、

ある程度人が入った劇場さえも、無性に嫌になったりしませんか。

私は週末の映画館には近寄りません。

 

朝、開店したばかりのスーパー。

棚には新鮮な野菜がぎっしりで、客も少なく車もすぐ止められます。

やっぱり朝のスーパーは最高だなあ。好きだ。とふと思ったりするのです。

ところが、夕方、やむを得ずスーパーに行く日があったりする。

車は止められない、人でごった返してぶつかる、目当ての品物は売り切れ、

もう2度とこの時間に来るか!!と半ギレになります。

 

これが好きだと気付いたお陰で、それ以外のものに嫌気がさしたり

拒否反応が出るんです。

もう好きなソレ以外は不快でしかないような…。

何かを好きになるのはいいのですが、それ以外が駄目になるという原理は

どうなんでしょう。ちょっと寂しいし、生きづらい気がします。

何も好きじゃない方がいいんだろうか?

どれも適当に好きでも嫌いでもないくらいがいいのだろうか。

これが好きだ!という気持ちは、良いものなはず。

 

朝、好きな時間に起きられるのが好きなので

毎朝ある時間に起きなければいけない事があるとすれば、耐えられる気がしません。

 

そんなあれこれ。

日本語を勉強している友人がいます。

彼女は近所の日本語学校でクラスを取っています。

毎週土曜日、朝8時半~12時半だけ行われる週末学校です。

見学に来たら?と誘われたので行ってみたら、面白かった!

 

まずこの4時間で、一気に10クラスが同時並行で行われます。

私はこの全10クラスを見学させてもらいました。

つまり、先生が10人いるということですね。

補充で入る人やらお手伝いも合わせると先生は15人は居るらしいです。

すごいですね。

生徒の数も100人ほどいます。

半分は子どもです。

 

私は今まで1対1の会話の中でしか日本語を教えたことがなかったので

授業という形で日本語を教えているのを見たのは初めてでした。

色んな年齢・レベルの生徒を見てたくさん学ぶことがありました。

 

まず、複数の子どもに日本語を教える場合、

大人に日本語を教えるよりも5倍はスキルが必要とされると思いました。

子どもは集中力もないしモチベーションも低いし、まとめるのが非常に大変なのです。

特に、アメリカ人の生徒はフリーダムの頂点をいってるので

日本人の生徒よりもコントロールが難しいのが分かると思います。

個人主義でどんな時にも意見を述べ、偉そうな上にもろさも備え

やわな先生は太刀打ちできません。

そもそも日本語などこの地で生きていく上で必要なものでも何でもないのです。

それを子どもに教えると?

「cactus」は「サボテン」と綴るのかをなぜ覚えないといけないのでしょうか。

小学生には到底理解できないでしょう。

しかも週に一回4時間のみです。休憩やぐだぐだを入れたら3時間かな。

子どもクラスを担当する先生方はゲッソリしていました。

 

大人クラスは生徒にまだやる気が感じられ、教え甲斐がある感じでした。

テストをやっているクラス、リピートで例文会話を何度も繰り返しているクラス

ただ先生の話を聞いているクラス、色々でした。

上のクラスへ行くほど先生がうだうだ喋っている率が高かったです。

主に日本とアメリカの文化の違いについてなど…。それはそれで面白いんですけどね。

大人クラスの年齢の幅は広く、高校生・大学生~シニアまで居ました。

みんな一生懸命テキストと睨めっこして勉強しているのですが

たぶん日本語で会話はできないだろうなぁというのは、見ていて感じました。

外国語教育って、難しいですね。

会話には文法や単語の知識は必ず必要ですが、それだけでは駄目。

会話には、「場数」が必要。

しかも会話は自然に起こるものなので、練習したとおりには運ばない。

(「This is a pen.」と言う機会が訪れた時の感動はありますが。

 私は一度、「Excuse me. Would you tell me where the nearest train station is?」

 と聞かれて、おーこれはよくある道の聞かれ方だな!と嬉しくなったことがあります)

 

外国語学習も「目的」によって勉強の仕方が変わります。

大好きな本を原書で読みたい、

ネットの記事を読んだり、メールやメッセージで海外の人とやり取りをしたい。

それだけなら、別に話せなくて聞き取りができなくても十分だと思います。

でも、言葉というのは音が先。

人間は文字を作り出すずっと前から、喋ることによりコミュニケーションを取ってきました。

「言葉」の基礎は、お喋りのコミュニケーションなのです。

やはり、話せて聞けてというのが“目的”にある方が楽しみも広がると思います。

文字を覚えて読めるようになり書く力がつくと、話すことにも自信がつきます。

しかしあくまでも、「会話でコミュニケーションをとる」を最終目的にすることにより、

言語学習もより楽しくなるかなと思っています。

 

がんばれ、日本語学習者のみなさん!

私は10月の日本語教育能力検定試験の為に勉強中なのですが、

「試験」というものをここ20年ほど受けたことがなく、

問題をさっと読んでさっと答えるということに未だ戸惑っています。

 

たとえば、日本語学習者が文を音読するのを聞いて答える問題があります。

学習者が間違って発音していたりイントネーションなどが不自然なものを聞いて、

「次の中で適当でないものを選べ」という問題。

A ○○のイントネーションが違う

B XXのアクセントが違う

C △△のプロミネンスが違う

D ・・・・

 

この問題、つまりは「間違っていると言っている中で間違っているものはどれか」

という回りくどいもので、それを一瞬で理解してパパッと選択しないといけないのです。

聴解問題ということもあり、次々と問題が流れるので

こんなのプレッシャーの中で問題を読み取って答えられるのか

今から不安でなりません。

テスト慣れしている人にはどうってことないものなんでしょうね・・・。

慣れるしかない。