最近ブログを全く書いていませんでした。

一度書くと毎日書きたくなるんだけど

ちょっと間が空くと、全く書かなくなるんですよね。

不思議です。

 

私はなんと日本語学校で夏学期から自分のクラスを任され

6人の生徒に日本語を教えています。

半信半疑、でも一生懸命どうすればいいのか考えながらやっています。

生徒は11歳~13歳の中学生クラスです。

週に一回しか来ないし、普段の生活で全く日本語に触れることがない子たちなので

一体どうしたら日本語が身につくのか皆目分かりません。

生きる上で必要でもないし、子どもだからのほほーんとしているし、

先生も辛い!

でも、小学生クラスよりは大人しく、それなりにプリントもやってくれるし

集中力もあるので、逆に何も覚えてくれないのは私のせいかもと思うと

申し訳ない毎日です。

最近はずーっと形容詞の復習ばかりしています。

それにしても、どうして形容詞の否定形って2種類あるんですか?

「~くないです」「~くありません」

形容動詞の否定形は3種類あります。

「~じゃないです」「~じゃありません」「~ではありません」

時と場合で使い分けるのがいいですが、そう教えると

間違えるのが怖い生徒は使うこと自体を嫌がります。

一番いいのは、ひとつ覚えてそれ以外はその言い方もある、みたいなのがいいのかも。

とりあえず口に出して言って欲しい!モジモジして口を開いてくれない!

 

まぁ、そんなこともやりながら、漫画の仕事をやったり

映画もドラマもせっせと観たり、

先週は世界最大のオタクの祭典、サンディエゴ・コミコンンにも行ったり

忙しい日々を過ごしております。

あ、検定の勉強してない…。

 

日本は参議院選挙でしたね。

少しでも多くの人がよりよい暮らしをできるような社会になればいいなぁ。

 

7月4日独立記念日の花火

 

オタクの祭典のごくごく一部

世界最大の大会なので、ものすごく規模が大きく

たぶん半分も見れてない。

私は今、日本語教師検定のために通信教育で勉強しています。

そこで、「聞く教育」と「読む教育」について、たった今勉強しました。

(これから「話す教育」と「書く教育」について勉強します。)

 

「読む」とこについて、初級・中級・上級と教育の方法が書かれているのですが、

そこで私は、自分が英語の“読む勉強”をあまり授業でやらなかったと気付いたのです。

特に「上級」としての読む勉強は授業では受けていません。

上級の読む勉強というのは、新聞コラムや随筆や小説などを読む際に

ネイティブ並みの読解力と速さで読めるようになる勉強です。

私は高校生でアメリカに来たので、きっとその時点では「中級」だったのだと思います。

そしていきなりアメリカの大学に入ったので、

急に自分で速読・読解力をつけなければいけない羽目になったのです。

 

大学ではアメリカ文学のクラスも取りましたが、

実際に最初から最後まで自分で読みきったという感覚を持った作品はひとつもありません。

他にも色んなクラスの色んな読み物を山ほど渡されていたので

ざっと適当に読む力だけは付いたけど、

どれも自分で読んだ・理解したという気にはなれなかったのです。

 

今回、私が一番最初に英語で読んだ“本”は何か思い出そうとしたのですが

・・・思い出せません。

そういうものなんでしょうか?

それともみんな、結構覚えているものなんでしょうか?

何かの短編だったかな?

米国史のクラスの課題で出て一冊読んだベトナム戦争の本だったか?

自分で買って最初から最後まで英語で読んだのは、

『ファイトクラブ』か『検屍官』だったと思うけどはっきりしない。

 

その程度、ぼんやりしたものです。

 

言葉を学ぶ際によく耳にするアドバイスとして「たくさんの文章を読め」というのがあります。

読む力をつける方法みたいなのを、日本語教育の教科書の中で学べて面白かったです。

要は、レベルに沿って簡単なものから難しいのに上がっていくのがキーのようですよ。

あとは、興味をそそるもの。

むかし私は、ツイッターで

「日本語を勉強している人に、『来週・来月・来年』と言うのに

どうして『来日』だけ違う意味なのかと聞かれた。ホントだ。どうしてだろう」

というようなツイートをしたことがあります。

 

そしたら、フォロワーさんから

「それは『来』という文字に「未来の」という意味があって、

『来日』が明日のことかさらに先のことか分からなくなるから使われなくなったのだ」

というようなリプライがきました。

 

私はなんとなくオヤ?と思ったのですが、その理由を考えて見ました。

 

まず彼女の返事が、私の疑問の答えになってなかったこと。

“昔は「来日」という言葉も使われていたけど、

『来』という文字が混乱を招いたので次第に使われなくなった”というのは、

なぜ「来週・来月・来年」が現在“次の”週・月・年という意味で使われいてるのに

「来日」だけ違うのかという、私が本当に知りたかったことの答えではないのです。

ちなみに私もググッて調べてみたけど、

彼女の答えと全くおなじ答えにしか当たりませんでした。

きっと彼女は、気になって調べてくれたんでしょうね。

 

次に、別に本当になぜなのか知りたいわけではなく、

ただ「ほんとだね、面白いね」という共感を得たくてツイートしたものに

ガチで答えが送られてきたこと。

これはたぶんこの方(かた)が、読んだことや聞かれたことを

文字通りに受け止めるタイプだからなんだなと思いました。

一瞬「いや、聞いてないし」と思ったんだけど、どうなんでしょうか。

聞いているようにも読めるのかな。

 

きっとこうやって、共感を求めるような問いをした人に

ガチで答えを言ってしまうという人は結構いるんだろうなぁと思いました。

言葉そのものと言葉の裏にある話者の気持ちを読む力は

どうやって養われるものなのでしょうか。

 

ちなみに、その質問をした日本語を勉強している人がまた私に面白い質問をしました。

「『二日目(ふつかめ)、三日目(みっかめ)、四日目(よっかめ)…』と読むのに、

どうして一日目は(いちにちめ)と読んで(ついたちめ)と読まないんですか」

だそうです。

ほんとね。どうしてだろうね。