日本の外に長く住んでいると、

日本人が急に使い始める言葉などが浮くように分かります。

前まではそんなに見かけなかったのに…というような言葉に「おや?」と思うこともしばしば。

言葉は生き物ですので、流行り廃りがあって

急にみんなが使い始めたり急に使わなくなってきたり、

意味が歪んでそれが定着したりしなかったりするものです。

 

最近は、「アジア」という言葉の使われ方がとても気になっています。

「アジア」と言う言葉は、ラテン語と英語のAsiaから来ているはずです。

私は現在アメリカ合衆国に住んでいて、アジアに住んでいません。

「アジア」と聞くと、ブワッと「あーあの辺ね」というイメージが湧いて、

その中にきっちり日本が入っています。東の異国の国々という感じ。

「アジア人」って自分のこと。

「君たちアジア人」と言われるし、

自分のことでも「まぁアジアではね」と日本のことを言ったりする。

「アジア料理」に「日本料理」も入ってるし「アジア映画」に「日本映画」も入っています。

 

ところが最近、日本人が「アジア」と言うと、

「日本以外のアジア諸国」という意味だったりします。

 

私からすると相当気持ち悪いのですが、これはしょうがない。

言葉は生き物ですからもう止められない。

日本で「アジアの人」と言えば「日本以外のアジア諸国の人々」という意味で

「アジアに目を向ける」と言えば、「日本以外のアジア諸国に目を向ける」という意味なのです。

 

私だったら「日本に目を向ける」ことも「アジアに目を向ける」ことに含まれていると

思ってしまう。

まぁ例えて言うなら

大阪の人が、大阪以外の人のことを言う場合に「日本の人をよく見かけます」とか

「日本に目を向けよう」とか言ってるような気持ち悪さです。

自分はどこに入ってるの?と聞きたくなるような…。

(自分、大阪人です)

 

実際の意味とは違う意味で日本語が変化するということはよくあるので、

これもそれと同じなんでしょう。

元の英語の意味に囚われていては駄目なのか…。

 

ちなみに英語では「American」というとアメリカ合衆国の人という意味で使われ、

他のアメリカ大陸の人々は「おいおい、俺らだってアメリカ大陸人だわよ!」

と不満に思っているというのも聞きます。

「アメリカって言ったら俺らのこと」という

アメリカ合衆国民の思考が現れてしまった結果でしょう。

 

日本語の「アジア」現象はその逆でしょうね。

「俺らは他のアジア諸国とは別物だ」という思考が現れちゃってるのかな。

いちいち「アジア諸外国」というのが面倒臭いというのもあると思うけど

なにかいい言い方はないものか。

 

言葉は思考を作る。そして思考は言葉に表れる。

最近米国で公開された『The Farewell』という映画は、

幼い頃に両親に連れられ米国に移住した中華系の20代女性が主人公のお話。

中国に残っている祖母と彼女は、電話を頻繁にするような大の仲良し。

その祖母が末期の癌だと分かり、散り散りになっていた両親世代の家族が、

孫が結婚式を挙げるというでっちあげの話を祖母のために作り中国に集まる、

というのがあらすじになります。

結構いい評価を受けている映画です。

ちなみにこのおばあちゃんは、自分が癌であるということは知らされていません。

三代に渡って世界の違う場所で生きている家族達が集まり、

自分のアイデンティティーや家族のあり方、文化の違いというものを語っていて

私も興味深く観ました。

 

つい先日、字幕翻訳学校仲間の4人で集まりました。

みんな在米歴20年以上の日本人です。

みんなこの映画を観ていました。

ひとりは娘達が丁度この映画の主人公と同じ状況でした。

7歳と9歳の時に、日本から家族でアメリカに渡り、

今その娘達は20代後半でアメリカで働き、時々日本の親戚に会いに行き、

日本語は喋れるが読み書きができない、という状況です。

 

私は友人に「娘さんたちは、自分を『日本人』と思っているのか

それとも『アメリカ人』と思っているのか、どちら?」と聞いてみると、

「うーん。どっちだろう?分からない」

と言っていました。

 

集まった4人ともみんな違う状況でアメリカに住んでいて

(子どもが居る居ない、夫が居る居ない、日本に家族が居る居ない、など)

それぞれ、自分が世界のどこの属した人間かという感覚は4人の中でも様々です。

たぶん共通していることは、4人ともそれほどそこに拘ってはいない。

しかし、なにか寂しいものもあるのは確か。

それが、移民の生き方なんだなと、色々思ったわけです。

こういうモヤッとしたものを描けるのは、論文とか研究学問書とかでなく

小説とか映画とか詩とか、そういうものなんだろうなと、映画を観て思いました。

 

 

私の知り合いで、日本の某大手外国語会話学校で英語を教えるべく

来年から1年間、日本で過ごす人がいます。

海外で長年暮らす私からすると、1年なんてあっという間だぜぃと思いますが

彼は今から色々心配ごとが絶えないよう。

 

病院に行く時はどうすればいいのか

どの薬なら持って行けるのか、何の薬が日本では手に入るのか

近くに目当ての店を見つけるにはどうすればいいのか

道に迷ったらどうすればいいのか

自然災害に遭った時にはどうすればいいのか

アパートで不便があったらどうすればいいのか

 

などなど、数えるとキリがないようです。

 

私のアドバイスとしては、「市役所に海外からの在住者の為の何かがあるはずなので

そこに行けば助けてもらえるはず」というもの。

 

そしてよくよく考えてみたのですが、はっきり言って英語が母語の彼は、

ほぼ何も心配しなくても誰かが必ず助けてくれると私は思いました。

もし母語がマイナーな言語だとしたら…

想像できますか?

 

米国では、英語が母語ではない人でも暮らしていけるような配慮が

なされていることが多いです。

英語が分からない人の為に様々な言語でチラシやら説明書が発行されています。

しかし、日本語は…ほぼないですね。(ないことはない)

米国内では、日本語は結構マイナーな言語なのです。

市役所でも病院でも学校でも日本語で対応してくれる場所はほぼありません。

英語で生きていけということでしょう。

 

逆に日本に来る外国人のことを思うと、

私のその知り合いみたいに母語が英語の場合、何を心配することがあるのだ、

と思わずにはいられません。

彼にはもっと自信を持って日本で滞在していただきたいものです。

まわりに聞け!

大丈夫だ!

 

結局は、自分の状況の捉え方でしょうね。