占星術基礎講座を受けて早いもので2年。
昨日はその時の懐かしいメンバーでリクエスト講座を受けてきました!
「土星と天王星の架け橋 キロンを知ろう」というテーマ。
それはやはり「土星の苦手意識」でキュッとカラダに緊張が入る。
さらに「キロン」と聞くだけでも「チーン

」と反応してしまう私。(みんな誰でもそうだと思う!)
この講座の中で一番響いた内容は……(自分のキロンを知った上で、次のワーク)
「過去の出来事から自分のキロンを知る」という照らし合わせるワーク。
キロンが最初にスクエア(90度)は18歳。
→誘われて入ったサークルが合わなかった、楽しくなかった、新しく出会う人付き合いが苦手、サークルの移動手段の車では100%乗り物酔いでふらふらだった、体調崩して入院……
青春を謳歌するイメージの学生時代はなかなかヘビーだったかも。
キロンが最初にオポジション(180度)は24歳。
この年に阪神淡路大震災がありました。 急ピッチでたくさんの国、人の助けを受けてライフラインの復旧し、倒壊した建物が撤去され、道路が整備され、線路も直り最寄駅からの通勤が可能になって。街はどんどん元通りというか綺麗になっていきました。本当に嬉しかったし、当たり前って無いんだということを見に染みた年でした。
ただ、復旧して、元のような生活が送れるようになっても、ココロの中が全く復旧していなかったのです。
ありがたいことに家族、親族は誰も亡くならず、自宅も半壊(大規模修繕にて住むことができた!)怪我はしたものの大怪我でもなく、私は大丈夫!だから何かできることを他にしなくては、、、もっともっと辛い思いをしておられる方がいるんだから、、、私なんかまだまだできる!と。
また、しばらくの間は瓦礫の中、両手が空くようにリュックを背負い、頭部保護のために帽子を、手には軍手をという姿で、夜道には懐中電灯で足元を照らしながら帰宅していました。 誰もがそうでした。 ですが、朝通勤して大阪に出ると途端に私一人が浮いてしまうのです。 当時「震災ルック」と言われたファッション?ですが、地下鉄に乗る頃にはもう「浮まくり」のピークでした。
恥ずかしいというよりは、
孤立
孤独
大阪は無傷だからここでは誰もわかってくれない
いつまでそんな格好してるの?
たいそうな〜
ということを感じて、ひとりで傷ついていたのでした。
ツライ、傷ついているってことをわかっていたけれど身体が弱い母や、転職したばかりの父にも友だちにも心の内を吐露することができないまま
そんな24歳〜25歳でした。
キロンが2回目のスクエア(90度)は32歳
元夫との全く!!!望まないセックスがあり、心身共に無力感やなんでこんなことをしなければいけないのか?幼い頃から家や学校で教えられたこと、世間一般の通説、常識であった「良妻賢母」って何なん??????????結婚って?妻って?嫁って?母って? 全てが「こうあらねばならぬ」の呪縛だらけ! と、
はじめて本気で向き合い始めたことでした。
キロンが次にコンジャンクション(0度)は50歳❣️
悩みに悩んで、開業届を提出し、超絶苦手な確定申告に取り組みました。
キロンと月がコンジャンクション(0度)の時は22歳。
講座の中でみんなにシェアした時には、特に何もない、思い出せない、多分普通にOLしていた と発表したのです。
が! 帰り道 電車に揺られているうちに バババババーーーーっとその頃の画像が脳裏に浮かんできたのです❗️
当時の私 大阪支店の組合担当になっていました。 東京から赴任した新支店長がとにかく社内外に置いてトラブルメーカーすぎて大問題になっていて、そんなこんながあり結論としてその支店長を更迭しました。
「更迭」(こうてつ)という言葉を知ったのもこの時でしたし、分厚い社内規約を読み漁ったのもこと時期でした。。。
本社含めて大問題となりました。
そもそも人前で意見を言ったり、発表する、リーダーになるというのに憧れるものの、大の苦手な私だからこそ このような事態を引き起こしてしまったのだ と今なら何となくわかるような気がします
もう2度と!!!金輪際こういうのはお断りですがね!w
今回の講座は、キロンと過去の出来事を照らし合わせて感じる 私の魂の傷、トラウマが本当に純粋に抽出された3時間だったな〜、得るものが多かったな〜と ざっくり50年(キロンの周期)を振り返って 感じました。
渦中にいるときは無我夢中でしたが、「過去」となった時には心も体も一瞬はキュウっとなるものの、当時よりは冷静に見つめることができました。
第2回が楽しみ だけど今度はどんな自分に出会えるのか、思い出すのか、不安とドキドキ❣️
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