私がマラソンを始めるきっかけだった

大阪マラソンが終わりました。

 

ここで、この7年を総括し、

これからどんなランニングライフを歩むのか
心の中を棚卸ししたいと思います。

 


【 平成22年 (7年前) 】

 

当時は尼崎の猪名寺に住んでおり、

仕事場は大阪の本町でした。

 

42~43歳頃、運動不足で、

体はまるで老人のようにハリが無く
奥さんからはおじいちゃんと茶化されていました。


当時の上司がランニングしていると触発され、
平成22年1月1日より、土日だけ4キロ走り始めました。

 

初めて走った時は、1キロ走っただけで心肺がゼエゼエ。道端で動けなくなり
情けなくて、

まさに運動不足の象徴みたいな自分でした。

 

その後、

4キロ位なら普通に走れるようになり、

一年が経ちました。

 

 


【 平成23年 (6年前) 】

 

ある日、第一回目の「大阪マラソン」が

開催されると知りました。


フルマラソンなんて別世界。と思っていたのですが、

日に日に誘惑は高まります。


そしてエントリーだけなら、と、エントリーしてしまいました。


出るからには恥ずかしい様を見せられません。
真面目に取り組みます。

 

最初は4キロを10キロに伸ばしてみたのですが、
足裏が痛んで走れなくなり、鉄分サプリ始めました。

 

 


結局大阪マラソンは抽選落ち。

その代わりに神戸マラソンが当たり、
当て馬だった淀川市民マラソンも決定。


11月に隔週で2本のフルを走ることになりました。

 

 


練習では次第に距離を伸ばし、8月には30キロ。


サブフォーを目指して一生懸命練習しました。

 

9月にGPS時計、

ガーミンのフォアアスリート405を買いました。
走る事が更に楽しくなりました。

 

 

 

 

 

そして11月初旬、初マラソンの「淀川市民マラソン」に

出場しました。

 

結果、初マラソンで3時間57分5秒。

サブフォー達成しました。

 

25キロ辺りから両足の至る所が攣り、
記憶が無い、意識が無い、、死ぬような体験をしました。

 

35キロ地点、もう一歩も走れなくなり、
とぼとぼ歩いているところに、後ろから来たランナーさんに
「サブフォーまだいける」と肩を叩いてもらいました。

沿道のおじさんが大声で応援していました。

正気に戻り、死ぬ直前の状態で、完走しました。

 

その時の完走した感動がよっぽどだったんでしょう。
その日のうちに、3回目のフルマラソン「能登和倉マラソン」

をエントリーしました。

 

初フルのあと2日間は休暇を取っていたのですが、
2日では足らず3日間は、

立ち上がれないほどの筋肉痛でした。

 

 

その2週間後、神戸マラソンも3時間57分12秒で

サブフォー達成。

 

ど素人が2週間で2度のフルマラソン。
無理したので、ひざを壊しました。


3ヶ月間、一切走れませんでした。

 

 

 

 

 


【 平成24年 (5年前) 】


ヒザ痛に苦しみましたが、
3月の能登和倉マラソンはギリギリで間に合い、
しかも記録更新しました。 (3時間53分)

 

ヒザ故障中に、スクワット中心の筋トレをやったので、

筋力強化に繋がりました。

今の筋トレメニューは、この成功体験がベースです。

 

 

 

それから春~夏~秋と相当走り込ました。

 

 


2年目シーズンの開幕。

2度目の淀川市民マラソンに挑戦。


一生懸命練習したので、手応えはありました。
3時間40分切りが目標。

 

結果はなんと3時間22分。


キロ5分ラップを目標でスタートしたのですが、
歩いているみたいなスピードでもキロ4:50位。

 

前年のトラウマがあるので自重していましたが、
30キロ過ぎても足が平気過ぎて、
「これはいかん」とスピードアップ。

 

キロ4:30まで上げ
見事なネガティブスプリット達成。


びっくりするぐらいに走力が上がっていました。

 

 

 

その2週間後、2度目の神戸マラソン。

 

淀川の疲れが残っており、レースプランを悩みましたが、
出だしから軽く4:20が出たので、
後先考えずに突っ込みました。

 

そしてタイムが3時間13分。

 

淀川を更に9分短縮。
いくらでもタイムが伸びて、面白くて仕方がありません。

 

もう嬉しくて。

 

そこでサブスリーを意識する事になりました。

 

 

 


【 平成25年 (4年前) 】


2月に第1回目「高知龍馬マラソン」に出場。

 

高知は私の故郷です。
父は既に亡くなっていますが、

母がとても楽しみしてくれています。

 

更なるベストを目指しましたが
3時間16分。

 

うなぎ登りでタイムが伸びていましたが、ここで小休止。
一旦挫折を味わいます。

 

 

それから春~夏~秋とまた練習に練習を重ねました。

 


レース用シューズを新調しました。
今も手放せない、ニューバランスの「RC5000」です。

 

 

 

3度目のシーズンに突入。
第1戦目が、今もBPである「防府読売マラソン」でした。

 

持ちタイム制限があり、参加者全員がサブフォー。
シリアスランナーとの勝負、そして初サブスリーのため、
この日のために取り組んできました。

 

 

 

 

試合は12月でした。

エントリーは4000人。私のゼッケンが2300番くらい。
ゼッケンはタイム順。 私の申告は神戸の3:13。

 

燃えましたね。 3:13で半分より下か。。て感じ。


半分より上の順位に入り、

あわよくばサブスリー達成を狙っていました。

 

そしてレース。
 

最初の1キロが混雑で5分25秒。

このロスは大きかったですが、

序盤はキロ4:00~4:10、

10キロ過ぎて4:10~4:20。

 

今だとキロ4分なんて よう走れません。

 

ガーミンの実測ではハーフで1時間31分。


そこからペースは落ちたものの、

30キロあたりまで4:20~30で粘り、
そこから4:30を超えて、

ラストは5:00あたりまで落ちましたが

 

3:08:27でした。

順位は996位。


3200人が走ったようなので、上位3分の1に入りました。
1000位以内に入ったのが嬉しかったですね。


防府はネット計測はありませんが、
ガーミンでのネット計測だと、3:07:35でした。

 

サブスリーは達成出来ませんでしたが、
3時間10分を切った その嬉しさは天にも昇る思いでした。
次はサブスリーが狙える。。。そう思っていました。

 

 

 

しかしこの防府読売で無理をし過ぎ、3度目のヒザ痛。


この症状になると、完治まで3ヶ月は一切走れません。

 

翌年にエントリーしていた

高知龍馬マラソン、えびすだいこくウルトラマラソンも
DNSになってしまいました。

 

 


この走れない期間で、

昔から取りたかった資格「社会保険労務士」
をやってみようか・・・と、ふと思いついてしまいました。

 

私は資格マニアでもあります。

宅建、FP、貸金主任者を持っています。

中小企業診断士は取れませんでしたが、

惜しいところまでいきました。

 

 

 


一旦勉強を始めると、両立は出来ません。

やってみたい。。。でもマラソンを捨てる事になる。


参考書を買ってしまうと、勉強確定、

マラソンとは一旦お別れです。

 


悩んで悩んで悩みましたが、、、

 

魔が差す事があるですよね。
あまり深く考えず、まあ、いいか、、、みたいな。。。

買ってしまいました。

 

 


【 平成26年 (3年前) 】


元旦から、社会保険労務士資格の勉強始めました。
試験はその年の8月下旬。


極端な性格でして、
勉強を始めると、勉強しているか、仕事しているか、

寝ているか  だけの生活です。


土日祝とか、朝7時から夜11時ごろまで

ずっとこもりっきりで勉強。


完全にマラソンから離れてしまいました。

 

 

 

8月に試験が終わりました。

 

それからまたランニングを開始しました。


復帰戦は、翌年2月の「高知龍馬マラソン」です。

 

11月に試験結果の発表があり、

択一が2点足らず、不合格でした。

 

 

 

 

【 平成27年 (2年前) 】


社労士試験後、6ヶ月間、相当走り込みました。


そして2月、復帰戦として高知龍馬マラソンを走りました。

 

3時間12分でした。

 

 


復帰戦の高知龍馬マラソンを終えると、

またもマラソンから離れました。

社労士試験の2年目に突入しました。

 

それから、有り得ない程の勉強をし、
8月、2度目の試験を終えました。

 

労一の選択が救済待ちでしたが、
点数は圧倒的な点数を取りました。

救済を受けられるかどうか。。
不安な気持ちで合格発表を待つことになりました。

 


その年の9月、大阪から、名古屋に転勤となりました。
住むのは星ヶ丘。単身赴任です。

 

 

 

11月に合格発表。救済もあって合格しました。

その年の合格率は「2.6%」。
史上最も難関だった年になりました。

 

 

 

さあ、マラソン復帰だ!!
入れ込みましたねえ。

復帰戦は翌年2月の「高知龍馬マラソン」です。


入れ込み過ぎ、筋トレでカーフレイズをやり過ぎて、
右足が足底筋膜炎になりました。
それでも無理やりに練習しました。

 

 

 

 

【 平成28年 (1年前) 】

 

2月、復帰戦の高知龍馬マラソンは、

先日のブログでも書きましたが
3時間22分でした。

 

知っている方も居ると思いますが、
レース中に靴底が取れるハプニングもあり、

不本意なタイムでした。

 

靴底ハプニングがあり、足底筋膜炎にやられたのは

確かですが、
3時間10分位で走り切る、昔の様なキロ4分の走力は

無くなっていました。


代わりに、

力が無いなりに、レースをコントロールし、

マネジメントする老獪さがありました。


どの体調ならどのペースで走れば最後まで持つか、
そのために何をすれば良いか、
大体分かるようになっていました。

 

しかしまたベストを更新したい。

この時点では、まだ練習で走り込めば、

タイムは上がると信じていました。

 

 

 

その年の春、アメブロ始めました。

今はたくさんの方にブログを見にきて貰っていますが、
始めて1年くらいは、一日10アクセスあれば良い方でした。。

 


春~夏~秋と相当走りこみました。
ただ8月は、足底筋膜炎がひどくなり、

1ヶ月まるまるランオフでした。

 

 

 


そしてシーズンイン。

 

10月に京都北山トレイルに初参加。
310人中31位と大健闘。

 

その翌週、金沢マラソン。
3時間19分59秒でした。

 

もういくら練習しても これ以上は伸びない。

理解し始めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

【 平成29年 (今年) 】

 

 

 

年明け早々、母が亡くなりました。

 

既にエントリーが決まっていた「高知龍馬マラソン」。

 

毎年、母に勇姿を見てもらい、上位で走っている様を
喜んでもらうのが親孝行だと、毎年出ていましたが、
今年は、天国から観戦になりました。

 

大きな思いをもって参加した大会、
記録は3時間19分11秒でした。

 

 

4月に静岡市で行われた「日本平さくらマラソン」に参加。


10月に京都北山トレイルに参加。


そして昨日、11月26日の大阪マラソン。
3時間20分44秒でした。

 

レース中、これまでのランニング人生や、
母の事を思って走りました。

 


レースについて、駆け足で7年間を振り返ってみました。

原点は、大阪マラソンなんです。

 

 


まだ、これ外せません。年内はそのままにしておこうと思っています。