■ 資格試験について(中小企業診断士編 第4回)
この件のくだりをご存知で無い方もいらっしゃるので簡単にご説明致します。
7年前のことですが、立て続けに、宅建、ファイナンシャルプランナー3級、2級を合格し、
資格試験4連勝を目指して「中小企業診断士」を目指しました。
8ヶ月勉強し、1次試験を合格しましたが、その2ヵ月後の2次試験で不合格でした。
このシリーズは、最終的に不合格で終わった試験の、取組についてのお話です。
前回は、「中小企業診断士」合格のための計画立てについてお話しました。
今回から、科目別の勉強取組についてお話します。
この試験は、「企業経営理論」「財務・会計」「運営管理」「経済学・経済政策」
「経営法務」「経営情報システム」「中小企業経営・中小企業政策」の7科目があります。
テキストの「1」は、「企業経営理論」です。
どの企業も、市場環境の変化に対応し生き残りを掛けた経営戦略が求められています。
ヒト・モノ・カネの経営資源を最適に投下するための理論を学びます。
大きく「経営戦略論」「組織論」「マーケティング論」に分かれています。
私に経営コンサルが出来るほどの資質はありませんが、
この科目を勉強したことで、ビジネスマンとしてのモノの見方、組織の動かし方など、
自分が大きく成長した事を実感した、そういう科目です。
平成21年1月2日から勉強を始めました。
本教科にかける時間は、3週間で計画しています。
約200ページのテキストを2回転読み込み、
過去問を全問解けるようになるまで、何度も繰り返します。
平日は仕事で疲れてますが、1時間でも30分でも勉強します。
知らない間に眠りに堕ちていたりはしょっちゅうです。
土日は、朝8時頃から夜は11時過ぎまで、食事とお風呂以外は全て勉強です。
この勉強法は、宅建の試験で確立したものです。
このやり方しか知らないんです。
という事で、なんとか計画通り、3週間で本科目の1クール目を(無理やり)終わらせました。
一応、計画通りと言えます。
「企業経営理論」は、得意不得意でいいますと、
7科目の中で、苦手では無いけど得意でも無い、中間的な科目でした。
本試験の結果は、100点満点中で60点でした。、
7教科で取った点数が448点、平均すると64点だったので、取った点数でいうと平均以下という事になります。
しかし1次試験の合格基準は、7科目平均が60点以上である事なので、
合格圏ギリギリの点数を一応確保出来た事になります。
次回は、2科目目「財務・会計」について書きます。。。
■ 「挑戦記!」~高知龍馬マラソンへの道(第3回)
来年2月のマラソンに向け、11月17日より本格練習を始めました。
11月中は土日の走行距離20キロが目標でした。
タイムは上がりませんが、一応20キロは走れました。
12月に入り、土日の走行距離25キロが目標です。
先週の土日は大阪に帰ったため、大阪を走りました。
「先週の練習メニュー 」
●12月1日(火) 朝2.7キロラン、筋トレ
夜2.7キロラン、筋トレ
●2日(水) 朝2.7キロラン、筋トレ
●3日(木) 朝2.7キロラン、筋トレ
●5日(土) 27キロラン (猪名寺の自宅~芦屋往復)
●6日(日) 26キロラン (猪名寺の自宅~梅田~本町往復)
平日のトレーニングは、火水木と朝晩行いたいのですが、色々ありましてこのような結果です。
筋トレは、スクワット260回、カーフレイズ、腿上げ両足420回です。
11月当初よりかなり回数も増やせるようになりました。
12月2週目は、スクワット280回、カーフレイズ等は450回に増やしました。
ちなみに自宅の猪名寺は、11年前にJR脱線事故があった「塚口~尼崎駅」間の
塚口の1つ宝塚寄りの駅です。私が大阪に転勤となる前の年に事故は起こりました。
電車で毎日通りかかるそのマンションの前を通り過ぎる時は、本当にぞっとします。
今でこそ走るの大好き人間ですが、最初からそうだった訳では有りません。
走るきっかけは、当時大阪で一緒に仕事をしていた上司(当時の西日本CSセンターの支店長)が
「俺、土日は5キロ走ってんだ」と飲みの席で聞いた事です。
年齢でいうと42歳の頃の話ですが、当時運動というとゴルフくらいの私は、
お腹と背中に余分な肉がつきかけ、年寄りみたいな貧相な体になりつつあり
腕立て伏せや腹筋も、いくらやっても筋肉がつかず、そういう年齢になったと
諦めていた時期でした。
あの人が走っているなら自分もやってみよう!!と思ったのが一番最初のきっかけです。
という事で、キリ良く、42歳だった年の「1月1日」からランニングを始めました。
初めて走ったコースは、猪名寺駅から阪急電車園田方面への往復約4キロです。
1キロも走らないうちに、あまりに息が苦しくて止まってしまい、しばらく動けませんでした。。。
100メートル走ってゼイゼイ息しながら休み、また100メートルで休み、命からがら家まで辿り着きました。
その後の筋肉痛は、ひどいものでした。
というところから始まった訳です。