だれかをかわいそう、と思ったのなら、それは自分をかわいそうとみなしていただけ。
だれかをいとおしい、と思ったのなら、それは自分をいとおしいとみなしていただけ。
だれかをきらい、と思ったのなら、それは自分をきらいとみなしていただけ。
ゆるせないのも、こわいのも、腹が立つのも、自分に対してだった。
どこまでいっても、どこまでいってもそんな幻想を生きていた。
もうそういうことは終わり、そういう反応をすることはなくなっていく。
自分が見る景色は統合された「ひとつ」の創り上げたもので、
ひとも、モノも、動物も、植物も、幻想に過ぎない。
自分という分離意識・個人意識が統合された意識に溶けて、
自分をみているだけだと気がつき、いままでの反応をすることがなくなる。
統合された意識はいままでと違う世界・次元を体験していく。
いままでの人間関係、周りで起きる出来事、テレビや新聞、ネットの情報など、
いままでと同じようだけど、それを見ている自分にとってはなにかが違う世界。
いままでの人間としてのあらゆる感情体験は個人の責任ではなかった。
それはただ、統合された「ひとつ」が創って、体験したかったことに過ぎず、
個人の誰かがいいとか悪いとかいう問題ではなかった。
だから、罪悪感も、自責の念も、後悔も、手放すだけ。
それらは、統合された意識では存在しえない。
すべての出来事は、統合された意識が起こしたことだから。
これからも、統合された意識によって必要なことが必要なときに起こってくる。
ただ、個人の分離を体験するという意図から、
統合された新たな世界・次元を体験する、という意図に変化しているので、
いままでとは異なった世界・次元が展開されていくことになる。
分離による不足も、おそれも、苦悩も、不安も、争いもない新たな世界・次元へ。