1951(昭和26)年6月27日
大阪球場の松竹ロビンス戦、2回走者1.3塁で
阪神の駒田桂二投手が、
松竹の林茂投手の初球をレフトスタンドに本塁打を放った。
阪神駒田桂二投手
スリーラン本塁打にベンチは大騒ぎだったが、
林投手のセット時間が早すぎたため、
駒田投手が本塁打を打つ前に「ボーク」の宣告。
そのため「無効打ち直し」の判定となった。
スタンドもしくは場外に打った本塁打を打ちながら
取り消しの悲劇にあった選手の第2号となった。
先発は千場投手だったが、1回の2点を取られ
ツーアウトで降板、駒田投手は1回途中から
ロングリリーフをし、最初の打席だった。
今では、このルールは打者側に立ったルール改正が行われ、
「ボークが宣告されたケースでも、打者の打撃内容が優先する」ということになり、
その後はこの様に無効になることはない。
そのためボークの球を打った無効になるケースは
駒田投手が最初で最後となった。
そして、駒田投手のすごいところは、打ちなおしてヒットを打ち、走者をかえした。
そして、この試合は4対4の同点で9回表阪神が7点の猛攻で勝利し、
空前絶後の本塁打取り消し試合を駒田投手の勝利投手で終わった。
ある意味、駒田投手のための試合でもあった。
しかし、駒田桂二投手の幻の本塁打の物語はここで終わらない。
1954(昭和29)年7月25日大阪球場での阪神 対 中日13回戦
9回が終わって3対3の同点で延長10回表、
中日の4番打者杉山悟外野手は3人目の駒田投手から
ツーラン本塁打を放ち、合計3点を入れ5対2でリードした。
10回裏阪神は駒田投手に代打に真田重男を送った。
真田は1951年まで松竹ロビンスに所属していた鉄腕投手で
打撃も投手とは思えないセンスであったので、代打は当然だが、
ここで、駒田が幻の本塁打打った相手球団のエースが
自分と同じチームに入り、代打に送り出される因縁が面白い。
中日の投手は魔球「フォークボール」を武器にこの年は絶好調。
杉下を擁した中日はこの年初優勝するほどの強さだ。
そこで、敗戦濃厚の阪神としても何とかしたい。
しかし、jカウントは2ストライク2ボール
そして、真田は食らいつくが、杉下のフォークに空振りか?!と思われた瞬間。
かすかに真田はかすったように見えた。
ここで中日の捕手が直接取ればアウト、ワンバウンドだったらファール。
しかし、杉村球審は見落としていたが、中日河村捕手のアピールで
「アウト」の宣告。ここで、阪神ベンチは松木謙治郎監督と
藤村冨美男内野手が猛抗議・・・・。
そして、結果は
阪神の放棄試合で0対9で中日の勝利となった。
放棄試合は9回までの記録は公式に残るが、
延長戦は公式記録として認めないルールがあるので、
10回表の中日杉山外野手の本塁打は
幻となってしまったのだ。
結局、駒田投手は
幻の本塁打を打ち、打たれた唯一の選手として名をとどめたのだった。
しかし、この珍の記憶を消し去るような
1954(昭和29)年7月25日阪神放棄試合は
球史に残る事件として「7.25事件」として
阪神球団に暗い影を落とすこととなった。
こちらの話はまた別の機会に・・・・。
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