今はなき、荒川区尾久球場での
米国女子野球チームと日本大学野球部との
記念写真を偶然入手。
試合は大正14年10月23日に行われて、
日大が6-0で勝利した。

 

 

 

アメリカから来た女子野球チームは、
フィラデルフィア・ボビーズという。
日本に来たことさえ、あまり知られていないが、
現在は佐山和夫の「日本野球裏面史」に詳しい。

写真のサインはこのチームを率いた
元大リーガーのエディー・エインスミスと
アール・ハミルトンのものと思われる。

 

 

 

また、写真最後列の真ん中あたりの背の高い女性が
日本からアメリカに帰る船上で高波にさらわれ、
行方不明になった女性投手レオナ・カーンズかもしれない。
(日本野球裏面史のカバー写真がレオナ・カーンズ投手)

 

 

尾久球場は現在の都電荒川線・荒川遊園駅の
荒川遊園と反対側の住宅地になっている辺りにあった。

下町風情の残る荒川遊園周辺も、球場側の住宅地は
大きめの区画で整備されていて、なんとなく、
球場を解体したあとに、住宅街になったのだか?と
推理できる。集合写真の奥に当時の架線と電気線の
大きな鉄柱が見えるので路線から
そんな遠くない場所に球場があったように思える。

 

 

ちなみに尾久球場は東京帝国大学野球部が
主に使用していたそうだ。

 

〇荒川区の広報誌から


野球殿堂入りしている。中野武二が尾久球場建設と運営に
関わっていたと言われている。

尾久球場は 20段のスタンドを持ち、

東京大学(帝大)野球部の球場として 使われていたようだが、

大正11年から昭和2年という短期間で 廃止になった。

大正終わりの地図には載っている。

しかし、今は住宅地となって、その面影はない。

 

 

尾久球場での記念写真は、来日して最初の試合だったので
ボビーズとしては、負けたものの、明るい笑顔で写っている。
その後、興行的に失敗し、
米国に帰ることが困難な
状態になるとは夢にも思わなかっただろう。

 

 

現在、女子プロ野球も行われているが、今から
約100年前に日本にやってきた女子野球チームが船で来たこと。
そして、荒川区には東京スタジアムと尾久球場という
野球史に燦然と輝く野球遺跡があったことを、
もっと知らしめて欲しいと思う。

 

 

 

 

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